第2節「前夜(下)」
夜風は静かだった。
王都の灯りが遠くまで広がっている。
「……」
シャーロットは手すりへ寄りかかったまま、ぼんやり夜景を見ていた。
少し落ち着いた。
でも。
胸の奥には、まだ小さな不安が残っている。
「……殿下」
「なんだ」
「私、本当に大丈夫かな」
ぽつり、と零れる。
「最近、すごく思うの」
聖療院。
地方支援。
教育。
王国改革。
気づけば、自分の手の届く範囲を遥かに超えていた。
「私、元々スラムの子だよ?」
少し困ったように笑う。
「礼儀も全然だったし」
「勉強だっていっぱい教えてもらったし」
今も分からないことは多い。
政治も。
国家運営も。
貴族社会も。
「……なのに」
シャーロットは夜空を見る。
「こんな大きな場所にいていいのかなって」
怖かった。
いつか失敗するんじゃないか。
期待に応えられなくなるんじゃないか。
「……」
レオンは静かにその横顔を見ていた。
この少女は、本当に変わらない。
どれだけ奇跡を起こしても。
どれだけ周囲が称賛しても。
根っこはずっと同じだった。
「シャーロット」
「……うん?」
「お前は勘違いしている」
「へ?」
レオンは静かに夜景を見たまま言った。
「私は、“聖女”だからお前を隣へ置こうとしているわけじゃない」
その瞬間。
シャーロットの目が少し揺れる。
「……え」
「奇跡が使えるからでもない」
「民衆人気があるからでもない」
静かな声だった。
「お前が必要だからだ」
胸がどくんと鳴る。
レオンは続けた。
「届かない人間へ手を伸ばせる」
「壊れそうになっても、諦めない」
「見えていなかった場所を見ようとする」
それは。
王国に一番足りなかったものだった。
「……でも」
シャーロットの声が少し震える。
「私、一人じゃ何も出来なかったよ?」
「知っている」
即答だった。
「だからいい」
「……へ?」
「一人で全部やろうとする人間は、いずれ壊れる」
レオンの視線が静かに向く。
「お前は支えられることを覚えた」
「任せることも」
「繋ぐことも」
だから。
「今のお前なら、隣へ立てる」
その言葉に。
シャーロットの目が少し潤む。
昔の自分なら、きっと無理だった。
一人で抱え込んで。
潰れていた。
でも今は違う。
支えてくれる人がいる。
繋いでくれる人がいる。
「……っ」
胸の奥が温かい。
「……殿下って」
シャーロットが小さく笑う。
「たまにずるい」
「何がだ」
「そういうこと、真顔で言うから……」
顔が熱い。
フレアがいたら絶対騒いでいた。
「事実を言っただけだ」
「うぅ……」
逃げ道がない。
その時。
遠くで鐘の音が響いた。
王都の夜へ静かに広がっていく。
「……明日」
レオンが静かに言う。
「さらに忙しくなる」
「うん」
「後悔するか?」
短い問いだった。
でも。
とても大事な問いだった。
シャーロットは少しだけ考えて。
そして、小さく笑う。
「……しないと思う」
怖い。
不安もある。
でも。
ここまで来た。
一人じゃなく。
皆と一緒に。
「……そうか」
レオンが小さく目を細める。
風が吹く。
王都の灯りが静かに揺れる。
二人は並んだまま、しばらく夜景を見ていた。
それはきっと。
新しい時代が始まる前の、最後の静かな夜だった。




