第1節「前夜(上)」
夜の聖療院は静かだった。
昼間の慌ただしさが嘘みたいに、人の声も少ない。
「……」
シャーロットは屋上の手すりへ軽く寄りかかりながら、王都の灯りを見下ろしていた。
暖かな光。
遠くまで続く街並み。
少し前まで、こんな景色を見る余裕なんてなかった。
「ここにいたのか」
低い声が聞こえる。
振り向く。
レオンだった。
「殿下」
「最近ここが気に入りか?」
「……なんか落ち着くから」
小さく笑う。
レオンはその隣へ立ち、静かに王都を見下ろした。
少しの沈黙。
風が静かに吹く。
「……変わったね」
シャーロットがぽつりと呟く。
「王都も」
「聖療院も」
地方にも少しずつ医療が広がっている。
教育も始まった。
届かなかった場所へ、救いが繋がり始めていた。
「……ああ」
レオンも静かに頷く。
「お前が動かした」
「私だけじゃないよ」
シャーロットはすぐ首を振った。
「皆がいたから」
エリシア。
マリア。
ルナ。
フレア。
医療班。
修道女たち。
誰か一人じゃ、ここまで来れなかった。
「……」
レオンは少しだけ目を細める。
昔なら。
この少女は、“自分がやらなきゃ”と言っていた。
でも今は違う。
ちゃんと支えられることを覚え始めている。
「……殿下」
「なんだ」
シャーロットは少し迷ってから口を開いた。
「私、まだ怖い」
小さな声だった。
「……何がだ」
「全部」
自分でも少し困ったように笑う。
「助けられなかった人とか」
「届かなかった場所とか」
「今でもたまに夢に見るし……」
11章の光景は、まだ心に残っている。
命を選ばされた日。
届かなかった苦しさ。
「……」
レオンは何も言わず聞いていた。
「それに」
シャーロットは少しだけ視線を落とす。
「最近、皆の見方も変わった気がして」
奇跡の聖女。
神に愛された子。
そんな噂が王都には広がっている。
「……時々、私じゃなくなる感じするんだ」
ぽつり、と零れる。
怖かった。
自分が“奇跡”として扱われていくのが。
その時。
「シャーロット」
レオンが静かに名前を呼んだ。
「お前は、お前だ」
短い言葉だった。
でも。
不思議なくらい真っ直ぐ胸へ落ちた。
「……」
シャーロットは少し目を見開く。
レオンは静かに続けた。
「奇跡だろうが聖女だろうが関係ない」
王都の灯りを見ながら言う。
「お前は、放っておけない人間へ手を伸ばし続けた」
「それだけだ」
その言葉に。
胸の奥が少し熱くなる。
「……えへへ」
小さく笑う。
少しだけ安心した。
風が吹く。
王都の灯りが静かに揺れていた。
そして二人はまだ知らない。
明日、自分たちがさらに大きな立場へ進むことを。
少女は今――
“救う側”から、“国を支える側”へ進む前夜に立っていた。




