第3節「崩壊(上)」
王都の空気は変わり始めていた。
「聖療院のおかげで助かったらしいよ」
「地方でも診療所増えてるんだって」
市場。
酒場。
街角。
人々の会話には、自然と“聖療院”の名前が混ざるようになっていた。
「奇跡の聖女様だよなぁ」
「第二王子殿下も動いてるらしい」
それは希望の声だった。
助かった人間がいる。
届いた救いがある。
だから支持は広がる。
当然だった。
だが。
「……最近、民衆の空気が危ういですね」
王城の廊下で、老貴族が小さく呟く。
「第二王子殿下側へ流れすぎています」
「第一王子殿下への支持低下も始まっています」
ひそひそと交わされる声。
それを。
アルベルトは静かに聞いていた。
「……」
表情は変わらない。
でも。
周囲の空気は確実に変わっている。
「第一王子殿下」
若い文官が慌てて駆け寄ってくる。
「地方貴族側から反発声明が」
「内容は」
「医療予算増加への不満です」
アルベルトは静かに資料を受け取る。
予想通りだった。
地方支援が増えれば、当然負担も増える。
改革は、全員が喜ぶものじゃない。
「……っ」
だが。
若い文官の表情はどこか焦っていた。
「それだけではありません」
「……?」
「一部地域で、“第一王子は民を見ていない”という声も……」
空気が止まる。
「……そうか」
アルベルトの声は静かだった。
怒鳴りもしない。
感情を荒げもしない。
ただ。
少しだけ疲れて見えた。
「殿下……」
「下がれ」
文官は頭を下げ、慌てて退出していく。
静かになった執務室。
アルベルトは一人、窓の外を見た。
王都。
その中心には聖療院がある。
あそこから流れが変わった。
「……私は間違っているのか」
ぽつり、と零れる。
誰へ向けた言葉でもない。
彼は民を嫌っていたわけじゃない。
救済を否定したかったわけでもない。
ただ。
国家は感情だけで回らないと知っていた。
「……だが」
手元の資料を見る。
死亡率低下。
地方安定。
感染症抑制。
数字が並んでいる。
結果が出ている。
だから苦しい。
「……兄上」
低い声がした。
振り向く。
レオンだった。
「また来たのか」
「報告書だ」
相変わらず簡潔だった。
だが。
今日は少しだけ空気が違う。
「民衆側支持率、逆転した」
静かな声だった。
その瞬間。
部屋の空気が凍る。
「……」
アルベルトは何も言わない。
「地方貴族側も揺れ始めている」
レオンが淡々と続ける。
「改革支持派が増えている」
現実だった。
もう止められない流れ。
「……そうか」
アルベルトは静かに目を閉じる。
怒りはなかった。
嫉妬も。
ただ。
時代の流れだけが、そこにあった。
「……兄上」
レオンが小さく呼ぶ。
だが。
アルベルトは静かに窓の外を見たままだった。
遠くに見える聖療院。
あの小さな場所から。
王国そのものが変わり始めていた。




