第8節「まだ足りない」
聖療院の屋上。
夜風が静かに吹いていた。
「……」
シャーロットは、王都の灯りをぼんやり見下ろしている。
遠くまで広がる光。
人の営み。
以前より少し穏やかな景色。
「ここにいたか」
低い声がした。
振り向く。
レオンだった。
「殿下」
彼は隣へ来ると、静かに夜景を見下ろした。
「地方報告は見たか」
「うん」
感染症抑制。
教育成功。
診療所増設。
確かに成果は出ている。
「……すごいよね」
シャーロットが小さく笑う。
「前は全然届かなかったのに」
「まだ足りない」
即答だった。
「……うん」
否定はしなかった。
実際、分かっている。
まだ届いていない場所がある。
地方格差。
貧困地域。
遠方集落。
医療が行き届かない場所。
「人員も不足している」
「教育速度も足りない」
「地方貴族側の反発も残っている」
レオンは淡々と現実を並べる。
でも。
以前ほど冷たくは感じなかった。
これはきっと、“続けるため”の言葉だから。
「……それでも」
シャーロットは夜空を見る。
「前より届いてる」
ぽつり、と零れる。
会ったこともない子供。
知らない村。
自分が行けなかった場所。
そこへ確かに救いが届いていた。
「……ああ」
レオンも静かに頷く。
「ゼロではなくなった」
その言葉に。
シャーロットは少しだけ目を見開く。
ゼロじゃない。
届かなかった場所へ。
少しずつでも届いている。
「……えへへ」
小さく笑みが零れる。
その時。
後ろから足音が聞こえた。
「やっぱりここにいた」
エリシアだった。
その後ろにはフレアとルナもいる。
「探したよー!」
「夜風は身体に悪い」
ルナが静かに言う。
「そんな長時間いたわけじゃ――」
「言い訳禁止です」
エリシアがぴしゃり。
「うぅ……」
最近、本当に逃げ道がない。
でも。
嫌じゃなかった。
「ほら、温かいお茶です」
エリシアがカップを渡してくる。
「ありがと」
湯気がふわりと立ち上る。
温かかった。
フレアは隣で夜景を見ながら笑っている。
「王都もだいぶ平和になったねー」
「……うん」
シャーロットが静かに頷く。
全部は救えない。
まだ足りない。
届かない場所もある。
でも。
一人じゃない。
支えてくれる人がいて。
繋いでくれる人がいて。
少しずつ広がっている。
「……もっと頑張らないと」
小さく呟く。
その瞬間。
「ほどほどにしろ」
ルナが即答した。
「えぇ……」
「また倒れる」
反論できなかった。
フレアが笑い転げている。
エリシアも呆れたようにため息を吐いた。
でも。
その空気が少し心地いい。
夜空には星が広がっている。
救いはまだ完成していない。
それでも。
確かに前へ進んでいた。
少女は今――
“自分一人では届かなかった世界”へ、皆と共に歩き始めていた。




