第5節「届かなかった人」
雨の日だった。
朝から空が暗い。
診療棟もどこか重たい空気に包まれている。
「次の患者さんはこちらへ」
「熱が高い方を優先してください」
忙しさは変わらない。
だが今日は、人手がさらに足りなかった。
地方支援へ多く回されているからだ。
「……」
シャーロットは薬箱を抱えながら走っていた。
最近は少しだけ意識している。
無茶しすぎない。
倒れるまで頑張らない。
皆に言われたから。
でも。
苦しそうな人を見ると、やっぱり足が止まらない。
「先生!」
修道女が慌てて駆け込んできた。
「北区域から患者搬送です!」
担架が運び込まれる。
乗っていたのは、小さな女の子だった。
年齢は七歳くらい。
呼吸が浅い。
顔色も悪い。
「高熱と肺炎症状です!」
マリアがすぐ動く。
「処置室!」
周囲も慌ただしくなる。
シャーロットも反射的に走り出そうとした。
だが。
「待て」
低い声が止める。
レオンだった。
「……殿下?」
「今、重症患者が三名いる」
静かな声だった。
「高位回復術師の数が足りない」
シャーロットが息を呑む。
処置室。
別の患者も運び込まれている。
皆、重症。
皆、苦しそう。
「……」
レオンは一瞬だけ目を閉じた。
そして。
「優先順位を維持しろ」
そう指示した。
空気が張り詰める。
つまり。
今すぐ全員へ最高処置はできない。
「っ……!」
シャーロットの胸が強く痛む。
「でも、あの子……!」
「分かっている」
レオンの声は低かった。
「だが全員へ同時には使えない」
現実だった。
残酷なほど。
マリアたちは必死に処置している。
だが限界がある。
時間も。
人手も。
「……お願い」
シャーロットが小さく呟く。
「助かって……」
祈るような声だった。
だが。
数時間後。
診療棟は静まり返っていた。
「……」
シャーロットは、処置室の外で立ち尽くしている。
扉がゆっくり開く。
出てきたマリアは、静かに首を横へ振った。
「……っ」
シャーロットの呼吸が止まる。
「到着が遅すぎた」
マリアが静かに言う。
「肺がかなり悪化してた」
雨音だけが聞こえる。
「……見えてたのに」
シャーロットの声が震える。
「助けたかったのに」
目の前にいた。
苦しそうだった。
でも。
届かなかった。
「……」
レオンも黙って立っていた。
灰色の瞳が静かに伏せられている。
その時。
処置室の奥から、小さな泣き声が聞こえた。
母親だった。
「ごめんなさい……」
「もっと早く来れてたら……」
その言葉が、シャーロットの胸へ深く刺さる。
もっと早ければ。
もっと近ければ。
もっと人がいれば。
助かったかもしれない。
「……っ」
シャーロットは俯く。
悔しい。
苦しい。
無力だった。
「……だから」
レオンが静かに口を開く。
シャーロットが顔を上げる。
「“誰かが頑張る”だけでは限界が来る」
低い声だった。
「遠い場所へも」
「早く手を伸ばせる仕組みが必要になる」
その言葉に。
シャーロットは小さく目を見開く。
診療所だけでは足りない。
中央教会だけでも足りない。
“目の前”だけでは届かない。
「……」
シャーロットは静かに拳を握る。
助けたかった。
本当に助けたかった。
でも。
見えていただけでは、救えなかった。
雨音はまだ続いている。
そして少女は初めて。
届かない命”の重さを、真正面から知ってしまった。




