第3節「合理と感情(下)」
南区域の集団食中毒対応は、夜になっても終わらなかった。
診療棟には、まだ苦しそうな声が響いている。
「次の患者さんこちらへ!」
「重症者優先です!」
「水分不足に注意してください!」
修道女たちが走り回る。
回復術師たちも休む暇がない。
現場は限界ギリギリだった。
「……」
シャーロットは、その光景を静かに見つめていた。
重症者から優先される。
軽症者は後回し。
それは理解している。
でも。
「……苦しそう」
待機列に座る子供が、小さく咳き込む。
顔色も悪い。
すぐ治してあげたい。
そう思ってしまう。
「考え込むな」
後ろから低い声がした。
振り向く。
レオンだった。
「……殿下」
「納得できない顔をしている」
シャーロットは少し俯く。
「皆、苦しそうだから」
ぽつり、と零れる。
「待ってる間も辛そうなのに」
「“後で”って言うの……苦しい」
レオンはしばらく沈黙していた。
それから静かに言う。
「当然だ」
「……え?」
「苦しくないなら、人の上に立つ資格はない」
シャーロットが目を瞬かせる。
レオンは冷静な人だ。
もっと冷たい答えが返ってくると思っていた。
「選ぶというのは、“救えない可能性”を受け入れることだ」
静かな声。
「全員救えるなら、誰も優先順位など決めない」
診療棟の空気が重くなる。
「だが現実には限界がある」
人手。
時間。
物資。
回復術師の数。
全部足りない。
「だから選ぶ必要がある」
その言葉は正しい。
でも。
正しいからこそ苦しかった。
「……嫌だ」
小さく零れる。
レオンが視線を向けた。
「苦しそうなのに」
「目の前にいるのに」
「見えてるのに……」
シャーロットは拳を握る。
「“待って”って言いたくない」
震える声だった。
感情論だ。
非効率かもしれない。
でも。
それがシャーロットだった。
「……そうか」
レオンは否定しなかった。
「その感覚は必要だ」
「え?」
「感情がなければ、人は数字しか見なくなる」
シャーロットが少し目を見開く。
レオンは続けた。
「だが、感情だけでは現場は回らない」
その瞬間。
「先生! こっち重症です!」
奥から声が飛ぶ。
マリアがすぐ動いた。
エリシアも患者整理へ走る。
現場は止まらない。
「……見ろ」
レオンが静かに言う。
「ここにいる全員、“全部救いたい”と思って動いている」
シャーロットが周囲を見る。
疲れた顔。
焦る声。
汗だくの修道女。
それでも皆、必死だった。
誰も手を抜いていない。
誰も諦めたくて諦めているわけじゃない。
「それでも足りない」
レオンの声は重かった。
「だから、“誰かの善意”だけに頼ると壊れる」
その言葉に。
マリアの声が重なる。
『奇跡だけじゃ続かない』
シャーロットは静かに俯いた。
全部救いたい。
でも。
全部は無理。
その現実が、少しずつ胸へ沈んでいく。
すると。
「……だが」
レオンがぽつりと続けた。
「お前みたいなのも必要だ」
「……へ?」
シャーロットが顔を上げる。
「苦しさを見て、苦しいと思える人間がいなくなれば」
「制度はただの数字になる」
静かな声だった。
「だから感情を捨てるな」
その言葉に。
シャーロットは少しだけ目を見開く。
レオンは合理を見る。
現実を見る。
でも。
感情を不要だとは言わなかった。
「……難しい」
シャーロットが小さく呟く。
「当然だ」
レオンは静かに答える。
「だから国は難しい」
診療棟の喧騒はまだ続いている。
苦しそうな声も。
走る足音も。
止まらない。
そしてシャーロットは初めて。
“優しいだけでは届かない現実”を、本当の意味で見始めていた。




