第4節「夜のお忍び(下)」
夜風が、髪を揺らしていく。
「……すごい」
シャーロットは、何度目か分からない言葉を呟いた。
王都の灯りが遠くに見える。
中央教会の尖塔。
街並み。
流れる川。
全部が小さかった。
地上にいる時とは、まるで違う景色。
「落ち着いたか」
ルナの声が響く。
「う、うん……!」
最初は本当に怖かった。
でも今は違う。
空気が気持ちいい。
広くて。
静かで。
胸の奥が少し軽くなる。
「空って、こんな感じなんだね」
「人間は飛べないからな」
「うぅ、なんか悔しい」
ルナが少しだけ笑う。
シャーロットは黒い鱗へ身体を預けながら、ぼんやり夜空を見上げた。
「……ここ、静か」
「嫌いか」
「ううん」
首を振る。
「好き」
その言葉に、ルナは静かに空を飛び続けた。
風だけが聞こえる。
誰も急かさない。
誰も期待しない。
それがシャーロットには、少し新鮮だった。
「……中央では」
ぽつり、とシャーロットが呟く。
「ずっとちゃんとしなきゃって思ってた」
講義。
診療補助。
聖属性保持者。
皆優しい。
でも。
“期待されている”。
そんな空気を感じ続けていた。
「疲れたか」
ルナが静かに聞く。
「……ちょっと」
シャーロットは苦笑する。
「苦しそうな人いると放っておけないし」
「勉強も頑張りたいし」
「ちゃんとしなきゃって思うし」
ぽつぽつと零れる言葉。
「でも時々、分かんなくなる」
「何が」
「どこまで頑張ればいいのかなって」
夜風へ溶けるような声だった。
ルナはしばらく黙っていた。
そして。
「壊れるまで頑張る必要はない」
静かに言った。
シャーロットが少し目を瞬かせる。
「……マリア先生も似たこと言ってた」
「正しい」
短い返事だった。
「お前は、抱え込みすぎる」
「ぅ」
否定できない。
ルナは続ける。
「人間は弱い」
「うん」
「全部背負えば壊れる」
龍は長命だ。
多くを見てきた。
だから分かる。
この少女は、放っておくと自分を削り続ける。
「……でも」
シャーロットが小さく呟く。
「苦しそうだと、見ちゃうんだよ」
「知っている」
「助けたいって思う」
「知っている」
ルナの返事は静かだった。
否定しない。
責めない。
ただ受け止めている。
それが妙に心地良かった。
「……ありがと」
シャーロットが小さく笑う。
「何が」
「分かんないけど」
えへへ、と少し照れたように笑った。
ルナはそんな少女を静かに感じていた。
不思議な人間。
龍を怖がらず。
見返りも求めず。
ただ手を伸ばす少女。
その時。
ぐぅぅ……。
「……」
「……」
またお腹が鳴った。
シャーロットが真っ赤になる。
「ち、違うのこれは!」
「何が違う」
「その、空飛ぶとお腹空くっていうか……!」
ルナが小さく笑う。
くすくすと。
前より自然に。
「……笑った!」
「変な人間だからな」
「また言った!」
シャーロットが抗議する。
その声が夜空へ溶けていく。
中央教会では見せない顔だった。
気を張らず。
肩肘も張らず。
ただ普通に笑っている。
ルナは静かに空を飛びながら思う。
この少女はきっと。
誰かを救う前に。
まず“休む場所”が必要なのだと。




