第1節「森の黒龍」
中央教会の空気は、今日も少し息苦しかった。
「次の講義は――」
「提出期限は明日までです」
「優先順位を意識してください」
静かな声。
正しい言葉。
間違ってはいない。
でも。
「……ふぅ」
シャーロットは小さく息を吐いた。
最近、少し疲れていた。
勉強。
診療補助。
中央での生活。
やることは多い。
皆優しい。
でも、気を張り続けてしまう。
「シャーロット?」
「あっ」
エリシアに呼ばれ、慌てて顔を上げる。
「ぼーっとしていますよ」
「ご、ごめんなさい」
「疲れていますか?」
「うーん……ちょっと?」
曖昧に笑う。
本当はかなり疲れていた。
でも口にするほどじゃない気がした。
「今日はもう休みなさい」
「えっ」
シャーロットが目を丸くする。
「でも、まだ――」
「休むのも必要です」
真面目な声だった。
マリアにも最近ずっと言われている。
『壊れるな』
その言葉が頭に残っていた。
「……うん」
素直に頷く。
だからその日の夕方。
シャーロットは久しぶりに中央教会の外へ出ていた。
「……静か」
王都外れの森。
少し冷たい風。
木々の音。
人の声が少ない。
それだけで少し落ち着く。
「たまにはこういうのもいいかも」
空を見上げる。
夕焼けが綺麗だった。
その時。
――ズン。
地面が小さく揺れた。
「……え?」
シャーロットが足を止める。
森の奥。
何かいる。
重たい気配。
でも。
「……苦しそう」
胸がざわついた。
怖い、より先にそう感じた。
自然と足が動く。
「ちょ、ちょっとだけ見て帰ろう……」
木々の奥へ進む。
空気が変わる。
冷たい。
重い。
やがて。
「……っ」
シャーロットが息を呑む。
そこにいたのは。
巨大な黒い龍だった。
夜みたいな黒鱗。
長い尾。
閉じた金色の瞳。
その身体は大きく、圧倒的だった。
けれど。
「……血」
片翼が大きく裂けていた。
黒い血が地面を濡らしている。
呼吸も荒い。
今にも倒れそうだった。
「……っ」
怖い。
本能がそう叫ぶ。
近づいたら危険だと分かる。
普通なら逃げる。
でも。
「苦しいの……?」
シャーロットは小さく呟いた。
龍の金色の瞳が、ゆっくり開く。
視線が合った。
圧倒的な存在感。
それだけで身体が震えそうになる。
だが。
「……大丈夫」
シャーロットは、震える足で近づいた。
「い、痛いよね」
龍は唸らなかった。
襲ってもこない。
ただ静かに見ている。
苦しそうに。
「待ってね」
シャーロットはそっと裂けた翼へ手を伸ばした。
暖かな光が滲む。
「少しだけ、楽になりますように」
淡い聖光。
龍の傷へ静かに触れていく。
だが。
「……っ」
シャーロットの顔が歪む。
大きすぎる。
命の力が。
今まで触れてきた人間とは比べものにならない。
回復しきれない。
でも。
少しだけ。
少しだけ呼吸が落ち着いた。
「……よかった」
シャーロットがほっと笑う。
その瞬間。
龍の金色の瞳が、静かに細められた。
まるで。
不思議なものを見るみたいに。




