第5節「正しさの息苦しさ」
炊き出し支援から戻った後。
中央教会の空気は、いつも通り静かだった。
白い廊下。
整った空間。
規則正しい足音。
けれど。
「……」
アルベルトは珍しく考え込んでいた。
自室の机には、支援報告書が並んでいる。
『混乱なし』
『配給完了』
『負傷者軽微』
どれも問題のない結果だ。
視察も成功。
住民の反応も良かった。
本来なら満足すべき内容だった。
なのに。
「……少しだけ、なのに」
シャーロットの言葉が頭から離れなかった。
少しだけ。
座る場所を作る。
先に持っていく。
たったそれだけ。
それだけで、あの老人は楽になった。
「……」
アルベルトは静かに目を閉じる。
彼は間違ったことを言ったつもりはない。
秩序は必要だ。
平等も必要。
感情だけで例外を増やせば、現場は崩れる。
それは事実。
でも。
“苦しそうだから”。
その感覚が、自分には少し欠けているのではないか。
そんな考えが浮かんでしまった。
一方。
「……怒られるかと思った」
シャーロットは診療所で小さく肩を落としていた。
マリアが薬草を刻みながら笑う。
「王子様に?」
「うん」
「で、怒られたのかい?」
「ううん」
そこが逆に不思議だった。
アルベルトは怒鳴らない。
優しい。
ちゃんと話も聞く。
でも。
「なんか苦しい」
ぽつり、と零れる。
エリシアが静かに視線を向けた。
「苦しい?」
「うまく言えないけど……」
シャーロットは膝を抱える。
「ちゃんと正しいのに」
「なんか、ぎゅーってなる」
胸の辺りを押さえる。
マリアは静かにその言葉を聞いていた。
「……正しさってのはねぇ」
ぽつりと呟く。
「時々、人を息苦しくさせる」
シャーロットが顔を上げる。
マリアは窓の外を見ていた。
「ルール」
「平等」
「秩序」
全部必要だ。
無ければ大勢が困る。
でも。
「人間は、綺麗に並べられるもんじゃない」
静かな声。
「並べない人もいる」
「待てない人もいる」
「我慢できない人もいる」
シャーロットは老人の顔を思い出していた。
足が痛そうだった。
列に並べなかった。
でも。
周囲は自然に助けようとしていた。
「……優しかった」
ぽつりと漏れる。
「ん?」
「周りの人」
先に持っていっていい。
誰も怒らなかった。
むしろ当然みたいに言っていた。
「人ってねぇ」
マリアが小さく笑う。
「案外、融通きかせながら生きてるんだよ」
エリシアは黙ってその話を聞いていた。
中央教会では、“正しさ”を学ぶ。
でもマリアは、“人間”を見ている。
そこが違った。
「……でも」
シャーロットが少し不安そうに呟く。
「私、ちゃんとできてないのかな」
「何がだい?」
「中央のやり方」
優先順位。
平等。
効率。
理解はしている。
でも、どうしても目の前の人へ引っ張られてしまう。
マリアはそんなシャーロットを見て、くすっと笑った。
「向いてないねぇ」
「えぇっ!?」
シャーロットがショックを受ける。
エリシアも少しだけ吹き出しそうになっていた。
「でもねぇ」
マリアは優しく続けた。
「だから見えるもんもある」
「……?」
「正しいだけじゃ拾えないものさ」
その言葉に。
シャーロットは静かに目を瞬かせた。
正しい王子様。
優しい中央教会。
全部間違っていない。
でも。
そこから零れてしまう苦しさもある。
シャーロットはまだ、その答えを持っていない。
けれど。
“苦しそうだから”。
その感覚だけは、やっぱり消えなかった。




