第3節「広がる噂」
「ありがとう!」
「少し楽になった……!」
そんな声を聞くことが増えた。
最初は偶然だった。
ただ触れるだけ。
少し痛みが和らぐ。
少し呼吸が楽になる。
それだけ。
でもスラムでは、その“少し”が大きかった。
「シャーロット、こっちだ!」
「うちの婆ちゃんも頼む!」
「熱が下がらねぇんだ!」
気づけば毎日のように呼ばれるようになっていた。
「ま、待ってぇ……!」
シャーロットは慌てながら走り回る。
狭い路地。
湿った空気。
咳き込む声。
怒鳴り声。
その中を小さな金髪の少女が駆け回っていた。
ある小屋では熱を出した子供。
別の場所では腰を痛めた老人。
また別の場所では怪我人。
シャーロットは一人一人へ手を伸ばしていく。
「少しだけ、楽になりますように」
その度に、柔らかな光が零れた。
暖かい光。
見ているだけで、不思議と安心する光だった。
「……すごいな」
「普通の回復魔法と違う」
「なんか怖くねぇんだよな」
そんな噂が少しずつ広がっていく。
けれどシャーロット自身は、自分の力をよく分かっていなかった。
「えっと、普通だと思うんだけど……」
本気でそう思っている。
回復魔法なんて見たこともない。
だから比較もできない。
ただ。
少しでも楽になるなら、それで良かった。
その日も、シャーロットは狭い路地を歩いていた。
「……ふらふらじゃねぇか」
呆れた声。
振り向くと、いつもの老人が立っていた。
「ちゃんと食ってんのか?」
「た、食べてるよ?」
「嘘つけ」
一瞬で見抜かれる。
シャーロットはへにゃっと笑った。
「えへへ……」
「笑って誤魔化すな」
老人は深いため息を吐く。
シャーロットは最近、まともに食べていない。
少しでも金が入ると、薬草や食べ物を病人へ回してしまうからだ。
「でも、あの子まだ小さいし……」
「お年寄りも苦しそうだったし……」
「だからってお前が倒れたら意味ねぇだろ」
「ぅ……」
言い返せない。
でも。
「放っておけなくて」
小さく呟く。
その声に、老人は少しだけ目を細めた。
「……損な性格してるよ、お前は」
「そうかなぁ」
「そうだ」
即答だった。
でも、どこか優しい声でもあった。
その時。
「シャーロットお姉ちゃん!」
また子供が走ってくる。
今度は男の子だった。
「お母さんが咳止まらないの!」
「えっ」
シャーロットはすぐ顔を上げる。
「どこ?」
「こっち!」
男の子が必死に手を引く。
老人は頭を抱えた。
「おい、休めって言ったばっかだろうが……!」
「ご、ごめん!」
謝りながらも足は止まらない。
小屋の中へ入ると、女性が苦しそうに咳き込んでいた。
「げほっ、ごほっ……!」
呼吸が浅い。
顔色も悪い。
男の子が不安そうに母親へしがみついている。
「大丈夫、かな……」
シャーロットはそっと女性の背へ触れる。
暖かな光。
女性の呼吸が少し落ち着く。
「……あれ」
女性が驚いたように目を開く。
「息が……」
「少しだけだからね?」
シャーロットは申し訳なさそうに笑う。
完全には治せない。
自分にできるのは“少し楽にする”だけだ。
でも。
「ありがとう……」
涙ぐみながら言われる。
男の子も泣きそうな顔で頭を下げた。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「う、うん……」
シャーロットは照れたように笑う。
するとその瞬間。
ぐらり、と視界が揺れた。
「……ぁ」
足元がふらつく。
身体が重い。
「おい!」
後ろにいた老人が慌てて支える。
「顔真っ青じゃねぇか!」
「だ、大丈夫……」
「大丈夫な顔してねぇ!」
怒鳴られる。
でもシャーロットは苦笑した。
「でも、少し楽になったみたいだから」
「……馬鹿娘」
老人は呆れたように頭を抱える。
この少女は、自分を軽く見すぎている。
誰かが笑うと安心する。
誰かが楽になると嬉しそうにする。
その代わり、自分が削れていることには鈍感だった。
外へ出る。
夕日がスラムを赤く染めていた。
今日も助けきれなかった人がいる。
今日も痛そうな人がいた。
でも。
少しだけ楽になった顔を見ると、シャーロットはまた笑ってしまうのだ。
「……明日も頑張ろ」
小さく呟く。
その背中は細く、小さい。
けれど少女は今日も。
誰かへ手を伸ばし続けていた。




