第2節「少しだけ楽になる」
シャーロットが住んでいる小屋は、スラムの外れにあった。
壁は隙間だらけ。
雨の日は天井から水が落ちてくる。
冬は寒く、夏は蒸し暑い。
それでも眠る場所があるだけ、まだ恵まれている方だった。
「……うぅ」
朝。
空腹で目が覚める。
昨日食べたのは硬い黒パン半分だけ。
お腹は空いていた。
でも慣れている。
「今日はお仕事あるかなぁ……」
小さく呟きながら、外套を羽織る。
スラムでは子供でも働く。
荷物運び。
掃除。
水汲み。
なんでもする。
そうしないと食べられないからだ。
小屋を出ると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
通りには既に人がいる。
疲れた顔。
眠そうな顔。
怒鳴り声。
咳。
ここでは誰も余裕なんて持っていない。
「シャーロット!」
不意に名前を呼ばれる。
振り向くと、昨日の小さな女の子が走ってきた。
「あ、おはよう」
「お母さんね、少し起きれるようになったの!」
「ほんと!?」
シャーロットはぱっと顔を明るくした。
「よかったぁ……!」
女の子も嬉しそうに笑う。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「私は何もしてないよぉ」
照れたように頭を掻く。
でも本当に嬉しかった。
少しでも楽になったなら、それだけでよかった。
「ねぇ、お母さんが会いたいって」
「えっ、私に?」
「うん!」
シャーロットは少し迷った。
仕事を探さないと食べ物がない。
でも。
「……うん、行く!」
結局そうなる。
苦しそうな人を放っておけない。
それがシャーロットだった。
小屋の中。
昨日より顔色が良くなった女性が、壁にもたれながら座っていた。
「すみません……娘から聞きました」
「い、いえっ」
シャーロットは慌てて首を振る。
「私はちょっとお水冷やしただけだから……」
女性は困ったように微笑む。
「でも、昨日まで息をするのも苦しかったんです」
「……」
「久しぶりに、少し眠れました」
その言葉に、シャーロットは少しだけ目を丸くした。
眠れた。
それはきっと良いことだ。
「よかったぁ……」
本心からそう思った。
すると女性は、近くに置いてあった小さな袋を差し出してくる。
「これ、少しですが」
「えっ」
中には硬貨が数枚入っていた。
シャーロットは慌てて手を振る。
「だ、大丈夫です!」
「でも……」
「本当に! お金もらうほどじゃないから!」
女性は驚いた顔をした。
この場所では珍しい。
皆、生きるのに必死だ。
なのに目の前の少女は、見返りを求めない。
「……変わった子ね」
「よく言われます」
えへへ、と笑う。
その時だった。
「シャーロット!」
また外から声が飛んできた。
「今度はなんだ?」
外へ出ると、今度は腕を怪我した男が立っていた。
「お前、少し楽になるんだろ!?」
「えっ」
「頼む! 仕事中にやっちまって……!」
血が滲んでいる。
深くはないけれど痛そうだ。
「えっと、う、うん……」
シャーロットは男の腕へそっと触れる。
「少しだけだからね?」
じんわりと光が零れる。
柔らかい光。
暖かい。
「……あれ?」
男が目を瞬かせた。
「なんか痛み引いたぞ」
「ほんと?」
「お、おう……」
男は腕を動かして驚いている。
完全には治っていない。
傷も残っている。
でも、さっきよりかなり楽だった。
「すげぇな、お前……」
「そ、そうかな?」
シャーロットは首を傾げる。
ただ少し触っただけ。
なのに皆、大げさに驚く。
その様子を見ていた周囲がざわつき始めた。
「やっぱり本当なんだ」
「なんか安心するんだよな」
「痛み引くって聞いたぞ」
視線が集まる。
シャーロットは落ち着かなくなった。
「えっと……」
その時。
「だったらうちの親父も見てくれ!」
「こっちも熱出してるんだ!」
「お願い!」
次々に声が飛ぶ。
「えっ、えぇっ!?」
囲まれる。
皆、必死だった。
苦しいのだ。
少しでも楽になりたい。
だから藁にも縋る。
「ま、待ってぇ……!」
シャーロットは困ったように目を回す。
でも。
その顔を見てしまうと、断れなかった。
「……順番ね?」
そう言って笑う。
誰かが少しだけ楽になる。
その瞬間の顔を見るのが、シャーロットは好きだった。
だから今日もまた。
少女は、自分を後回しにして手を伸ばしていく。




