↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/153

第1節「スラムの少女」

王都の端には、誰も見ようとしない場所がある。


 石畳は割れ、汚水が道を流れ、雨が降れば泥だらけになる。


 建物と呼ぶにはあまりにも粗末な木造の小屋が並び、人々は肩を寄せ合うように暮らしていた。


 王都スラム街。


 そこは、生きるだけで精一杯の場所だった。


「……うぅ」


 細い呻き声が聞こえる。


 路地裏。


 薄汚れた毛布の上で、男が苦しそうに身体を丸めていた。


 熱だ。


 顔は赤く、呼吸も浅い。


 けれど周囲を歩く人々は、ちらりと見るだけで通り過ぎていく。


 珍しいことではないからだ。


 倒れる人間も。


 消える人間も。


 この場所では日常だった。


「……大丈夫?」


 そんな中、足を止めた少女がいた。


 ぼろぼろの外套。


 ところどころ擦り切れた靴。


 けれど陽の光を受けた髪だけは、不思議なくらい綺麗な金色だった。


 年齢は十歳前後。


 青い瞳を心配そうに揺らしながら、少女――シャーロットは男のそばへしゃがみ込む。


「水、飲める?」


 返事はない。


 苦しそうな呼吸だけが返ってくる。


「うーん……」


 シャーロットは困ったように眉を下げた。


 薬なんて持っていない。


 食べ物だって余裕がない。


 それでも放っておけなかった。


 近くの木桶から少しだけ水をもらい、布を濡らす。


 それを男の額へ乗せた。


「少しだけ、楽になるといいんだけど」


 ぽつりと呟く。


 その時だった。


 じんわりと、淡い光がシャーロットの手から零れる。


 柔らかい光だった。


 暖かくて、優しい。


 けれど本人は気づいていない。


「……ぁ」


 男の呼吸が、ほんの少しだけ落ち着く。


 苦しそうだった眉間の皺も、少しだけ緩んだ。


「よかったぁ……」


 シャーロットはほっと息を吐く。


 ただ水で冷やしただけ。


 本人はそう思っていた。


 だから、周囲の視線にも気づかない。


「……まただ」

「なんなんだ、あの子」

「触られると少し楽になるって……」


 小さな噂。


 ひそひそ声。


 でもシャーロットは聞こえていなかった。


「お姉ちゃん」


 不意に後ろから服を引っ張られる。


 振り返ると、小さな女の子が立っていた。


 痩せた身体。


 不安そうな目。


「お母さんが、起きないの」


「えっ」


 シャーロットはすぐ立ち上がった。


「どこ?」


「こっち……」


 少女の後を追う。


 狭い路地。


 湿った臭い。


 崩れかけた小屋。


 中へ入ると、女性が横になっていた。


 顔色が悪い。


 咳もしている。


「……風邪、かなぁ」


 シャーロットは女性の額へ触れる。


 熱い。


 小さな女の子が不安そうに見上げてきた。


「お母さん、死んじゃう……?」


「だ、大丈夫!」


 シャーロットは慌てて笑う。


「えっとね、ちゃんとお水飲んで、暖かくしてたらきっと良くなるから!」


 本当は分からない。


 でも泣きそうな子供を前に、そんなこと言えなかった。


 シャーロットは女性の手を握る。


「少しだけ、楽になりますように」


 また淡い光が零れる。


 女性の呼吸が少し穏やかになる。


 すると小さな女の子が目を丸くした。


「……すごい」


「え?」


「お母さん、さっきより苦しくなさそう」


「そ、そうかな?」


 シャーロットは首を傾げる。


 でも本当に少しだけ呼吸が落ち着いていた。


 それを見て、女の子の表情が少し明るくなる。


「ありがとう、お姉ちゃん!」


「えへへ……どういたしまして」


 笑い返す。


 その笑顔は、どこか安心する笑顔だった。


 けれど。


「……また無理してる」


 小屋の外から声が聞こえた。


 振り向く。


 そこには痩せた老人が立っていた。


 スラムで顔見知りの一人だ。


「シャーロット、お前また飯抜いただろ」


「ぅ」


 図星だった。


「だ、だってパン高かったし……」


「だからって自分が倒れたら意味ねぇだろうが」


 呆れた声。


 でも、その目は少し優しい。


 シャーロットは困ったように笑った。


「でも、苦しそうだったから」


「……はぁ」


 老人は深くため息を吐く。


 この少女は昔からそうだった。


 自分が空腹でも。


 寒くても。


 誰かが苦しそうにしていると、放っておけない。


 損ばかりする生き方。


 それでもシャーロットは笑うのだ。


「ありがとな、お姉ちゃん」


 小さな女の子が嬉しそうに言う。


 その言葉に、シャーロットは少し照れたように笑った。


「ううん。少しでも楽になったならよかった」


 王都の誰も見ない場所。


 救いなんて届かない場所。


 それでも。


 今日もシャーロットは、誰かへ手を伸ばしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。