第4節「奇跡だけじゃない」
その日から、シャーロットは診療所へ通う時間が増えた。
「先生ぇ、これなんて読むの?」
「それは“血管”」
「けっかん……」
机へ突っ伏しながら必死に文字を追う。
マリアはそんなシャーロットを見て、くすくす笑っていた。
「最初は皆そんなもんさ」
「うぅ、難しい……」
回復魔法の訓練より難しい気がする。
文字。
人体。
薬草。
知らないことばかりだった。
けれど。
「……面白い」
ぽつりと零れる。
エリシアが少し目を丸くした。
「面白い、ですか?」
「うん」
シャーロットは本を見つめながら頷く。
「どうして熱が出るとか」
「どうして苦しくなるとか」
「今まで知らなかったから」
ただ“苦しい”と思っていた。
でも。
そこには理由がある。
仕組みがある。
それが不思議だった。
マリアは静かに目を細める。
「知るってのは大事なんだよ」
「……うん」
シャーロットは真剣に頷いた。
その時。
診療所の扉が開いた。
「先生、怪我人だ!」
慌てた声。
入ってきたのは腕を押さえた男だった。
血が滲んでいる。
「また仕事中かい」
「木材が倒れてきてな……!」
マリアはすぐ立ち上がった。
「エリシアちゃん、水」
「シャーロット、布押さえて」
「う、うん!」
慌てて動く。
男の腕には深い切り傷があった。
血が流れている。
「先生、回復魔法を――」
エリシアが言いかける。
だが。
「先に洗うよ」
マリアは静かに言った。
「え?」
「汚れが入ってる」
水で傷口を洗う。
男が痛みに顔を歪めた。
「っ……!」
「我慢しな」
マリアの手は慣れていた。
血を拭き。
異物を確認し。
丁寧に処置していく。
それからようやく、淡い回復魔法を使った。
光が傷を塞いでいく。
でも完全には閉じない。
「……終わり」
マリアが息を吐く。
男は痛そうながらも、ほっとした顔をしていた。
「助かった……」
「しばらく無理するんじゃないよ」
「分かってるって」
男が帰っていく。
シャーロットはその背中を見つめていた。
「……先生」
「ん?」
「どうしてすぐ回復魔法使わなかったの?」
素直な疑問だった。
中央教会なら、まず回復魔法を使う。
でもマリアは違った。
「傷口が汚れてたからさ」
「?」
「塞ぐだけじゃ駄目な時もある」
マリアは静かに布を洗いながら続ける。
「汚れたまま閉じれば、中で腐る」
シャーロットが小さく目を見開く。
「……怖い」
「怖いよぉ」
マリアは苦笑した。
「だから知識がいる」
エリシアも静かに聞いていた。
中央教会は高位回復術を重視する。
だがマリアは、“治療”をしている。
そこが違った。
「回復魔法は便利だ」
マリアが静かに言う。
「でも万能じゃない」
「……」
「奇跡だけに頼ると、人は考えるのをやめる」
その言葉に。
診療所の空気が少し静かになる。
「聖女がいればいい」
「奇跡があればいい」
マリアは窓の外を見る。
「そうやって全部押し付ける」
シャーロットの胸が少し痛んだ。
「……先生も?」
小さく聞く。
マリアは少しだけ笑った。
「昔はねぇ」
その笑顔は穏やかだった。
でも。
どこか疲れて見えた。
「だから私は、町医者になった」
「……どうして?」
「奇跡だけじゃ救いは続かないからさ」
静かな声。
「誰か一人が壊れたら終わる」
シャーロットは黙ってその言葉を聞いていた。
自分はまだ小さい。
できることも少ない。
でも。
もし。
本当にたくさんの人を救いたいなら。
“自分だけ”じゃ駄目なのかもしれない。
「……難しい顔してるねぇ」
マリアがくすっと笑う。
「考えてる」
「偉い偉い」
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
シャーロットは少しだけくすぐったそうに笑った。
診療所の窓から夕日が差し込む。
暖かな光だった。
奇跡だけじゃ足りない。
だから人は、支え合わなければならない。
シャーロットはまだ、その意味を完全には理解していなかった。
けれど。
その言葉は、確かに胸へ残り始めていた。




