第3節「医学書」
翌日。
シャーロットは診療所の奥で、本の山に埋もれていた。
「……お、おもい」
よろよろしながら本を運ぶ。
机の上には分厚い本が積み上がっていた。
革表紙。
古い紙。
見たこともない文字。
「先生ぇ、これどこ置くのー?」
「その辺でいいよー」
マリアは薬草を混ぜながら適当に答える。
「適当だね!?」
「探せれば問題ないさ」
「探せないと思う!」
エリシアが小さくため息を吐いた。
「……整理しましょうか」
「助かるよ」
そう言いながら、マリアは全然動かない。
シャーロットは積まれた本をじっと見つめる。
「これ全部、回復魔法の本?」
「半分くらいは違うねぇ」
「違う?」
「医学書さ」
マリアが答える。
「いがくしょ……?」
聞き慣れない言葉だった。
マリアは一冊の本を手に取る。
古い本だった。
表紙には細かな文字が刻まれている。
「これは西方諸国の医学書」
「こっちは南方の薬学」
「そっちはドワーフの外科記録」
「どわーふ?」
シャーロットがきょとんとする。
エリシアも少し驚いた顔をした。
「先生、それは……」
「ん?」
「かなり貴重な本では?」
「貴重だよぉ」
あっさり言う。
シャーロットは本をぱらぱらめくった。
「……わかんない」
「だろうねぇ」
マリアが笑う。
そこには人体図が描かれていた。
骨。
筋肉。
血管。
回復魔法の教本とはまるで違う。
「これ、魔法じゃないの?」
「違うよ」
マリアは椅子へ腰掛けた。
「人間の身体を、“知識”で治すための本さ」
「知識で……?」
「熱が出る理由」
「血が流れる理由」
「傷が腐る理由」
静かな声だった。
「全部、“仕組み”がある」
シャーロットは真剣な顔で本を見る。
今まで考えたこともなかった。
痛いから治す。
苦しいから楽にする。
それだけだった。
「でも先生、回復魔法があれば……」
エリシアが言いかける。
するとマリアは、ゆっくり首を振った。
「万能じゃないよ」
その声は静かだった。
「回復魔法は便利だ。でも限界もある」
「……限界」
「傷は塞げる」
「痛みも減らせる」
マリアは自分の手を見る。
「でも病は?」
「栄養不足は?」
「感染症は?」
シャーロットが小さく目を見開く。
「全部は治らない」
「……」
「だから知識が必要になる」
診療所の空気が静かになる。
マリアは続けた。
「聖女一人が全部救う」
「そんな時代は、いつか壊れる」
ぽつり、と零れた言葉。
エリシアが静かに目を伏せる。
中央教会は聖女を象徴として扱う。
奇跡。
希望。
民の支え。
でも。
それを一人へ押し付ける危うさを、マリアは知っていた。
「……先生」
シャーロットが小さく口を開く。
「じゃあ、回復魔法だけじゃ駄目なの?」
「駄目じゃないさ」
マリアは優しく笑った。
「でもねぇ、奇跡だけじゃ“続かない”」
その言葉は重かった。
「だから必要なんだよ」
マリアは机の本を軽く叩く。
「知識が」
「技術が」
「人の手が」
シャーロットは黙ってその本を見つめていた。
分からないことばかりだ。
でも。
不思議と目が離せなかった。
「……難しそう」
「難しいよぉ」
マリアが笑う。
「でも面白い」
「面白い?」
「人間って、ちゃんと仕組みがあるんだ」
その目は穏やかだった。
昔、聖女だった人。
奇跡を扱っていた人。
なのに今は、“知識”を大切にしている。
シャーロットはその横顔をじっと見つめた。
「……先生」
「ん?」
「私、読めるようになるかな」
おずおずと聞く。
マリアは少し目を丸くした。
それから。
「なれるよ」
優しく笑う。
「ゆっくり覚えていけばいい」
その言葉に。
シャーロットは少しだけ嬉しそうに笑った。
窓の外では、夕日が町を染めている。
そして少女はまだ知らない。
この小さな診療所で学ぶ知識が。
やがて王国全体を変える土台になることを。




