第8節「息苦しい正しさ(下)」
「次の患者を!」
「回復班、こちらへ!」
診療棟の慌ただしさは、夜になっても続いていた。
運び込まれる患者。
飛び交う指示。
中央教会は、多くの命を救っている。
それは間違いない。
だが。
「……」
シャーロットの胸はずっと重かった。
包帯を運びながらも、視線が向いてしまう。
待機列。
後回しにされた人たち。
苦しそうな顔。
不安そうな目。
その全てが、見えてしまう。
「シャーロット」
「ぁ、はい!」
エリシアに呼ばれ、慌てて振り向く。
「集中してください」
「……ごめんなさい」
素直に謝る。
エリシアは小さく息を吐いた。
怒っているわけじゃない。
だが今の中央は混乱状態だ。
一つの判断ミスが命取りになる。
「あなたは周囲を見すぎです」
「……だって」
シャーロットが小さく俯く。
「苦しそうだから」
やっぱりそこへ戻る。
エリシアは一瞬だけ言葉を失った。
この少女は、多分ずっとそうなのだ。
スラムでも。
地方教会でも。
そして今も。
見えてしまうから、手を伸ばしてしまう。
「……シャーロット」
エリシアが静かに言った。
「中央では、全員を同時に救うことはできません」
「……うん」
「だから優先順位があります」
「分かってる」
ちゃんと理解はしている。
中央が冷たいわけじゃないことも。
術師たちが頑張っていることも。
限界があることも。
全部分かっている。
でも。
「分かってるけど」
シャーロットは唇を噛んだ。
「待ってる間も、苦しいよ」
その言葉に。
エリシアの胸が、小さく揺れる。
正しい。
中央のやり方は正しい。
多くを救うための方法だ。
でも。
“待っている間の苦しさ”。
そこまで考えたことは、なかった。
その時。
「……ごほっ」
待機列の老人が苦しそうに咳き込む。
シャーロットの身体がぴくりと反応した。
「行っては駄目です」
エリシアが先に言う。
「……ぅ」
足が止まる。
シャーロットはぎゅっと拳を握った。
分かっている。
勝手な行動をしてはいけない。
でも。
「……少しだけ」
ぽつり、と漏れる。
「少しだけでも、楽になったら違うのに」
その声は小さかった。
けれど。
エリシアには、妙にはっきり聞こえた。
少しだけ。
全部を治せなくてもいい。
少しだけでも楽にしたい。
それがシャーロットだった。
その時だった。
「エリシア様!」
若い修道女が慌てて駆け寄ってくる。
「高位術師班から応援要請です!」
「分かりました」
エリシアはすぐに表情を切り替える。
中央教会は止まらない。
多くの命を救うため、動き続ける。
「シャーロット、あなたは――」
指示を出そうとして。
エリシアは一瞬だけ言葉を止めた。
シャーロットが、待機列を見つめていたからだ。
苦しそうな人たちを。
ただ静かに。
胸を痛めるような顔で。
「……」
エリシアは小さく息を吐いた。
それから。
「五分だけです」
「……え?」
「待機列を回ってきてください」
シャーロットが目を見開く。
「た、いいの?」
「治療行為は禁止です」
真面目な声。
「ですが……精神安定程度なら問題ありません」
中央ルールの、ぎりぎりの線だった。
シャーロットは一瞬ぽかんとして。
それから。
「……ありがとう!」
ぱっと顔を明るくした。
そのまま待機列へ駆けていく。
老人へ声を掛ける。
子供の手を握る。
不安そうな母親へ笑いかける。
それだけで。
少しだけ空気が和らいでいく。
「……本当に変な人」
エリシアがぽつりと呟く。
非効率。
危うい。
中央向きではない。
それなのに。
診療棟の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。




