第8節「送り出される背中」
出発の日の朝は、空気が少し冷えていた。
吐いた息が白く揺れる。
「さむーい!」
フレアが両手を擦りながら騒ぐ。
「北へ向かうんだから当然です」
エリシアが淡々と返した。
聖療院の正面には、小さな旅荷物が並べられていた。
背負い袋。
水筒。
簡易寝具。
地方巡回が目的のため、荷物は最低限だ。
「本当に歩いて行くの?」
新人の一人が少し驚いたように言う。
「うん。途中の村も見たいからね」
シャーロットが笑う。
馬車なら早い。
でも、それでは見えない景色もある。
小さな村。
道端の畑。
旅人達。
地方の空気。
そういうものをちゃんと見たかった。
「シャーロット先生!」
入口から、ぱたぱたと数人の新人達が走ってきた。
「これ、途中で食べてください!」
「えっ?」
差し出されたのは、小さな包みだった。
開くと、中には焼き菓子が入っている。
少し形が歪で、焼き色もばらばらだ。
でも、一生懸命作ったのがちゃんと分かる。
「昨日みんなで作ったんです!」
「途中でお腹空くかなって……!」
「……えへへ」
シャーロットが嬉しそうに笑う。
「ありがとう」
その笑顔を見て、新人達もほっとしたように笑った。
「気をつけてくださいね!」
「ちゃんと休んでください!」
「無茶しないでください!」
次々に飛んでくる言葉。
以前なら。
“行かないでください”
と言われていたかもしれない。
でも今は違う。
皆、自分達で支えようとしている。
ちゃんと、この場所を守ろうとしている。
「大丈夫だよ」
シャーロットが柔らかく笑う。
「みんなが居るから」
その言葉に、新人達が少しだけ誇らしそうな顔をした。
エリシアは、その様子を静かに見つめていた。
「……本当に変わりましたね」
「うん?」
「最初は皆、あなたに頼る事しか出来ませんでしたから」
それは悪い事ではない。
でも、それだけでは続かない。
誰か一人へ全部が集まれば、いつか必ず壊れる。
だから支える側を増やした。
繋ぐ側を育てた。
少しずつ。
本当に少しずつ。
「えへへ」
シャーロットは照れくさそうに笑った。
「でもまだまだだよ?」
「その“まだまだ”を続けるために行くんでしょう」
「……うん」
地方を見る。
外を知る。
それも今の自分には必要な事なのだと、少しだけ分かってきていた。
「あと」
エリシアが小さく眉を寄せる。
「定期連絡は忘れないでください」
「わ、忘れないよ?」
「今ちょっと目を逸らしましたね」
「うぅ……」
完全に見抜かれている。
フレアが隣で笑い転げていた。
「エリシアほんと保護者!」
「誰のせいですか」
「えへへ!」
ルナは少し離れた場所で、静かに空を見上げていた。
「……そろそろ行く?」
「うん!」
シャーロットがぱっと顔を上げる。
その顔には、少しだけ期待が混ざっていた。
知らない土地。
知らない景色。
知らない人達。
不安もある。
でも、それ以上に。
少し楽しみだった。
「じゃあ行ってきます!」
シャーロットが大きく手を振る。
「行ってらっしゃい!」
「気をつけてください!」
「また報告待ってます!」
聖療院の前で、皆が手を振っていた。
その光景を見ながら、シャーロットはふわりと胸が温かくなるのを感じる。
帰って来られる場所がある。
待っていてくれる人達が居る。
それがこんなにも安心するものだなんて、昔の自分は知らなかった。
「えへへ」
「嬉しそう」
隣でルナがぽつりと呟く。
「うん」
シャーロットは小さく頷いた。
石畳を踏みしめながら、三人はゆっくり歩き出す。
少しずつ遠ざかっていく聖療院を見ながら、シャーロットは小さく手を振り続けた。
見送る人達の姿が見えなくなるまで。




