第5節「制度として」
夕方になる頃には、聖療院の待合室も少し落ち着きを取り戻していた。
昼間ほど慌ただしい声は聞こえない。
それでも奥ではまだ診察が続いている。
「北部支部への薬草輸送、三日後に変更です」
「理由は?」
「山道が崩れたそうです」
「……迂回路を使ってください。到着が遅れると困ります」
奥の机では、エリシアが地方支部との調整を続けていた。
以前なら存在しなかった仕事だ。
今では地方支部だけでも複数ある。
物資。
人員。
巡回日程。
全部を管理しなければ、現場は止まる。
「巡回担当の変更表、こちらです!」
「ありがとうございます。あとは……」
「そこまでだ」
不意に低い声が響いた。
室内の空気が少しだけ引き締まる。
振り返ると、黒髪の青年が入口へ立っていた。
「レオン!」
シャーロットがぱっと顔を明るくする。
第二王子――レオンハルト・ヴァルディス。
黒を基調とした実務寄りの王族服。
装飾は少ない。
けれど、その場に立つだけで空気が変わるような静かな圧があった。
「まだ働いていたのか」
「えへへ……」
「笑って誤魔化すな」
レオンが小さくため息を吐く。
だが本気で怒っている訳ではないと、もう皆知っていた。
「視察帰りですか?」
エリシアが立ち上がる。
「あぁ。地方支部も一通り確認してきた」
「どうでした?」
「以前よりは遥かに良い」
短く答えながら、レオンが机の上の書類へ視線を落とす。
「巡回制度も形になり始めている。薬草流通も安定してきた」
「まだ問題は多いです」
「当然だ。だが進んでいる」
その言葉に、エリシアが少しだけ肩の力を抜いた。
レオンは必要以上に褒めない。
だからこそ、その評価には重みがある。
「地方の患者数も増えている」
レオンが続ける。
「以前なら中央まで来られなかった人間も、地方である程度処置出来るようになった」
それはつまり。
“救える人数が増えている”
という事だった。
「……そっかぁ」
シャーロットが静かに呟く。
地方で助かる人が増えれば、中央へ来る前に命を落とす人も減る。
以前は届かなかった場所へ、少しずつ手が伸び始めている。
「だが、まだ足りない」
レオンの声は冷静だった。
「人手も、知識も、予算も不足している」
「うん」
「地方支部が増えれば、その分だけ維持費も掛かる」
薬草。
設備。
教育。
巡回。
救いを続けるには、理想だけでは足りない。
現実が必要だ。
「でも、ちゃんと進んでるよね」
シャーロットがそう言うと、レオンは一瞬だけ視線を向けた。
「……あぁ」
短い返答。
でも否定はしなかった。
最初は、小さな診療所のようなものだった。
目の前の人へ手を伸ばすだけだった少女の行動が、今では制度になり始めている。
それを形へ変えたのは、間違いなくレオン達だった。
「数字だけ見れば、まだ不十分だ」
レオンが淡々と言う。
「だが、ゼロではない」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな重みがあった。
「地方支部の生存率も上がっている。応急処置の成功率も改善した」
「……えへへ」
シャーロットが嬉しそうに笑う。
それを見たレオンが、小さく眉を寄せた。
「何だ」
「なんか嬉しくて」
「そうか」
「うん」
それだけだった。
けれど。
シャーロットは知っている。
この人が、どれだけ裏で動いているのか。
予算。
教会との調整。
貴族達との交渉。
全部。
“続けるため”に必要な事だった。
「レオン」
「何だ」
「ありがとう」
一瞬だけ、室内が静かになる。
レオンは少しだけ目を細めた。
「礼を言われる事ではない」
「でも、レオンが居なかったらここまで出来なかったよ」
「……君一人でも無理だった」
「うん」
シャーロットは素直に頷いた。
昔の自分なら認められなかったかもしれない。
でも今は分かる。
一人では続かない。
支える人が必要だ。
繋ぐ人が必要だ。
制度が必要だ。
その時だった。
「レオン様! 地方巡回の追加申請です!」
新人が慌てて書類を持ってくる。
レオンはすぐに受け取り、内容へ目を通した。
「……巡回担当が足りていないな」
「はい。北部で発熱症状が増えていて……」
「分かった。こちらで調整する」
迷いなく返答する。
その姿を見ながら、シャーロットは小さく笑った。
自分が見えていない場所でも。
ちゃんと誰かが動いている。
支えている。
それが少しだけ、嬉しかった。




