59.泣かれたこともある
ちょっと書店の話から脱線するけども。やっぱり店頭に立ったりイベントに出たりすると、直に反応をいただく機会が増える。
当初は作品を知ってもらうこと、イラストレーターのよろづ先生や漫画家のひつじロボ先生の絵を、広くいろいろな人に見てもらうことが目的だった。
その副産物として、クリエイターさんや作家志望の方との接点も増えたのだ。
渋谷〇〇書店は2026年10月に5周年を迎えるけれど、最初はお気に入りの本をそれぞれが持ち寄る、棚貸しの古書店としてスタートした。
ヒカリエ8階のギャラリースペースということもあり、大判の画集や珍しい絵本も無造作に置かれ、常連さんも多い。
渋谷という土地柄か、私みたいに自分の作品を並べるクリエイターの棚も増えてきたけれど、それは最近になってからだ。
で、やってみると物書き志望の人もかなりいらっしゃった。
私自身は公募に出したり、コツコツ同人誌を作って文学フリマ等で領布したりといった、普通の作家志望の方が踏む手順をすっ飛ばし、ただなろうで書いたら本が出て、運よくコミカライズも決まった。
つまり、現代の生きる都市伝説みたいな奴である。
いや、別に超人気作ってわけでもないし……ゴニョゴニョしちゃうけど、まぁ頑張ってはいる。
錬金術師物も増えてきた気がするから、ちょっとはラノベ業界に貢献しているかも。
そんな私に文学部とか出てきちんと文章を書くお勉強をされたのかな……って方が、作品に目を通して質問してこられる。
「その発想はどこから?」
「どうやったらこんな物が書けるんですか?」
それに対する私の答えは多分、求められた答えになってなかった。
「話は考えないようにしてます」
「えっと、通勤電車の中でスマホ使って書いてました」
マジでそう答えた。
書ける時にガガガッと書く。書いている最中は止まりたくない。お風呂でも書いたし、ディズニーランドの待機列でも書いてた。
今もジムで腹筋しながらスマホで書いている。昔書いた原稿を見直すと、執筆した時の情景もよみがえるので懐かしい。
あと元々書こうと思ってせっせと下書きした話ではなく、たまたまコロッと出てきた物をお試しで書いたら、なぜか筆が止まらなくなった。
私の目標は作家になることではなく、「思いついた小説を書き上げる」ことで、書籍化やコミカライズの話はその過程で舞いこんできたに過ぎない。
けれどきっと彼や彼女が聞きたかったのは、どうやって書いたかではなく、どうやったら書けたのかだ。
「どういう環境でお育ちになったのか」と、私という人間が形成された環境まで気にされる方もいた。
……?
もうじゅうぶんテクニック的な物はお持ちだから、発想の源泉とかそんなのを知りたかったのだろう。
それを言語化して教えられたら、ラノベ作家志望者のために講座が開ける。
「粉雪先生、プロットはあんなフニャフニャなのに、世界観というストーリー展開といい、なんであんなしっかりした物が書けるんですか。私、プロットはしっかり書けるんですよ」
そう言ったのはとあるライターさんで、企画書のお手本みたいなしっかりしたプロットを見せていただいた。
すみませんね、フニャフニャで。プロットコンテストとかあったら、絶対通らない自信がある。
答えにはなってないけれど、あえて言うなら私は自分が読みたいと思う物を書いている。
その物語が売っていなかったら、誰も書いていなかったら、自分で書くしかない。
で、『魔術師の杖』だけでなく他の物も書いてみようと、いろいろチャレンジしていたら作家志望者を泣かせてしまったのだ。
意地悪をしたわけでない。
「こんなの、私には書けない」
私の作品に触れて、号泣しちゃったんだそうだ。創作者として真剣だからこそ、純粋に読者として楽しめなかったのだろう。
やー、私もこんな風に文章が書けたらなぁ……って作家さん、いっぱいいるけどなぁ。
ラノベはどっちかといえば消費されるエンターティメントなので、文学とは違うかもしれないけど。
人間は自分の中にある物語しか紡げない。
だから、どうやって書くかよりも、自分の中にどんな物語が眠っているか、探す作業が創作というものだと思う。
永遠に完成することはなくて。
地道に積み木を積んだり崩したりする作業が楽しいよ……って感覚、伝わるかなぁ。
最初から『完成品』を求めちゃうと、ちょっと苦しくなるかもね。
ちなみに泣かれたのは『七日目の希望』という8千字ほどの短編です。











