【第6話】監査結界と、息苦しいタイムカード
【第6話】監査結界と、息苦しいタイムカード
辺境の空が、青白い幾何学模様のグリッド線で覆い尽くされた。
王都から展開された冷徹な防衛システム――『監査結界』。それは、ルミナス王太子とクロノスが定めた「聖域なき改革」の象徴であり、国家にとって非効率な活動を検知し、自動でパージ(消去)する無慈悲な数式だった。
荒野で用水路の掘削にあたっていた魔族たちの頭上に、光の網の目が収束していく。
『――警告。非効率な魔力行使を検知。生産性評価:E。罰則プロトコルを起動します』
空から無機質な声が響き渡った直後、無数の光の矢が魔族たちへ降り注いだ。
「ッ……防陣、展開!」
ヴィクトリアはドレスを翻し、前世の魔力圧縮技術で大地を隆起させ、分厚い泥の盾を創り出した。
だが、光の矢は容赦なく泥の盾を削り取っていく。
脆弱な肉体が、強大な魔力行使に耐えきれず悲鳴を上げた。毛細血管が限界を超え、彼女の鼻筋から赤い雫が落ちる。喉の奥にへばりつく錆びた鉄の匂い。膝が泥に沈み、浅くかすれた呼吸だけが荒野に響く。
「これが……新体制の数式……。泥臭い努力はすべて、エラーとして切り捨てるというの……ッ」
冷え切った指先で地面を掴みながら、ヴィクトリアは死の予感に視界を明滅させていた。
同じ頃。領主の館、薄暗い客室にて。
ふかふかの羽毛布団に包まれていた大賢者ゼロスは、耳元を掠めた鋭い風切り音で跳ね起きた。
ズドォォンッ!
ゼロスが頭を置いていた蕎麦殻の枕に、光の矢が深々と突き刺さっていた。中の蕎麦殻が粉雪のように部屋中を舞う。
「……は?」
状況が飲み込めないゼロスの網膜に、光の矢の残滓から無機質なメッセージがポップアップした。
『――警告。対象の生産性を【ゼロ】と判定。非生産的な活動(睡眠)は結界規約第4条に違反します。速やかな消去を実行します』
天井のグリッド線が輝き、ゼロスの脳天に向けて第2、第3の光の矢が形成されていく。
大賢者の瞳孔が、極限まで収縮した。
「……誰が非生産的だ」
パジャマ姿のまま、ゼロスは虚空の矢に向かって指を突きつけた。
「俺は昨日、徹夜で魔族のシフト管理(コード最適化)をやったんだぞ! 今は正当な権利である有給休暇の消化中だ! 休日まで監視して物理攻撃してくるとか、どこのブラック企業だ! 労働基準監督署に駆け込むぞ!」
相手が感情を持たない自動防衛システムであろうと関係ない。睡眠を阻害された大賢者は、ひたすらに事務的な屁理屈を喚き散らしながら、飛来する光の矢の『軌道変数』に極小の遅延魔力を叩き込んだ。
矢はゼロスの頬を数ミリかすめ、床の絨毯を焦がして消滅する。
「だいたい、お前らのシステムは『生産性』の定義が甘すぎるんだよ!」
ゼロスはベッドの上であぐらをかき、血走った目で天井の監査結界のソースコード(魔術式)を睨みつけた。
「目に見える出力(魔法)や物理的な挙動だけで生産性を測ってるだろ。バックグラウンドで動いてる脳の最適化処理――つまり『睡眠』という高負荷メンテナンス作業を評価しないシステムなんて、三流の欠陥品だ」
ゼロスは自身の呼吸と心拍数を操作し、指先から極めて微弱な偽装信号を編み上げ始める。
「俺のレム睡眠時の脳波を、『領地最適化のための高負荷演算処理』として結界の検知センサーに誤認させる。これで俺の睡眠は、システム上で最も生産性の高い『合法的な業務』になる……ッ!」
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【結界改竄アラート】
[System] 対象の活動データを再スキャン中。
[Process] 脳波パターンを解析……【極秘演算プロセス】と認識。
[Update] 対象の生産性評価を【S】へ上方修正。
[Error] パージ対象から除外。攻撃プロトコルを停止します。
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「よし。俺は生産的な業務(二度寝)に戻る」
ゼロスは満足げにうなずき、破れた枕の端切れを頭に当てて毛布を被り直した。
だが、彼が目を閉じた瞬間。
窓の外から、大気が震えるほどの轟音と、強烈な魔力の波動が叩きつけられた。
『喰らえぇぇ! 我ら魔族の誇り、漆黒の煉獄炎!!』
外で矢の雨にさらされていた魔族たちが、怒りに任せて無駄に詠唱が長く、燃費の最悪なロマン魔術を乱れ撃ちし始めたのだ。
『――致命的な非効率エラーを多数検知。処理許容量をオーバー。これより、フェイルセーフを起動。辺境第4セクターの【完全消去モード】へと移行します』
天井の監査結界が、青白い光から、危険な赤黒い光へと変貌する。
「お前ら! むやみに重い処理(魔法)を回すな! サーバー(結界)が落ちて初期化されるだろうが!」
毛布を蹴り飛ばし、大賢者は窓の外へ向かって絶望のツッコミを響かせた。




