【第48話】ボットネットの残骸と、見えないサーバー
【第48話】ボットネットの残骸と、見えないサーバー
人間界と魔界の国境線。
夜空を真っ二つに裂くような巨大な氷の砲身が、偽ルシアンの自爆エネルギーを遥か上空へと放出し終え、パリィンッと甲高い音を立てて砕け散った。
「……終わった、のか?」
ザガンが、氷の破片が雪のように舞い散る夜空を見上げて唖然と呟く。
戦場を覆っていた致死量の魔力圧は消え去った。だが、物理的な「爆発の脅威」が去ったというだけで、状況は絶望のどん底にあった。
「ハァッ……、ハァッ……」
ヴィクトリアが、自身の血で真っ赤に染まった氷の上に膝をついている。
限界を超えた魔力行使により、彼女の細い腕の皮膚からは無数の亀裂(魔力回路の断線)が走り、血が滲んでいた。その隣で、ゼロスもまた、パジャマを泥と汗で汚しながら荒い息を吐いている。
「おい、クソ上司……! 次あんな狂ったタスク(強制リンク)を投げ込んできたら、労基より先に俺がお前の首を絞めるからな……!」
「ふっ……。文句を言いながらも、完璧に私の術式にパッチを当てる(補修する)のだから、貴方は最高のエンジニア(ヒモ)よ」
ヴィクトリアは口元の血を拭い、ひどく冷たく、しかし何処か狂気じみた笑みを浮かべた。
二人の足元には、黒焦げになった素体――偽ルシアンとして遠隔操作されていた『ダミーノード』の残骸が転がっている。
ゼロスは死んだような目で、その黒焦げの肉体を見下ろした。
「……チッ。爆発のエネルギーは逃がしたが、こいつの脳内に残ってた『真のサーバー(ジークフリート)への接続ログ』ごと、完全に物理フォーマット(自己消去)されちまった」
「つまり、王都にいる黒幕を直接叩く手段は断たれたということね」
ヴィクトリアの言葉に、ゼロスは舌打ちをする。
黒幕であるジークフリートは、自分の手を一切汚さず、安全な王都の地下からこの『戦争』という巨大なバグを引き起こし、そして完璧に証拠を隠滅した。
戦場のあちこちから、怒号と悲鳴が上がり始める。
自爆の脅威が去ったことで、停止していた人間軍と魔王軍の『殺し合い(プロセス)』が再び再起動しようとしていた。血走った目のルミナスと、冷徹なクロノスの数式によって統率された人間軍の波が、再び国境線を押し潰そうと迫り来る。
「……ザガン。第一軍を再編しなさい。ここは死守するわ」
ヴィクトリアがよろめきながら立ち上がろうとする。だが、その華奢な肩を、ゼロスが乱暴に掴んで引き留めた。
「待て。これ以上、現場の兵隊同士で殴り合っても消耗戦になるだけだ。……あのジークフリートってジジイは、俺たちの『情報戦』に気づいて、物理的に証拠を消しに来るほどの権限を持ってる」
ゼロスは夜空を覆う戦火の煙の向こう、見えない王都の空を睨みつけた。
「なら、俺たちも真っ向から『管理者権限の奪い合い』をやるしかねえ」
「管理者権限の奪い合い?」
「ああ。あいつが遠隔で『偽ルシアン』を操作してたってことは、王都のどっかに『魔界のネットワークに干渉できる巨大なバックドア』が存在するはずだ」
ゼロスの瞳の奥で、冷徹な演算回路がスパークする。
「前線での殴り合いはお前らに任せる。……俺は、その見えないバックドアを逆ハッキングして、王都の中枢サーバーごと完全にクラッシュ(物理破壊)させてやる」
それは、大賢者による明確な『反撃の狼煙』だった。
国家の危機も、大戦の行方もどうでもいい。ただ、己の安眠を奪い、休日に強制労働を強いた見えない黒幕への、ドス黒い殺意。
「……そう。なら、貴方の給料分はきっちり働いてもらうわよ」
ヴィクトリアが、血まみれの口元に氷のような笑みを浮かべる。
――同じ頃。人間界、王都の地下深く。
ジークフリートは水晶宮の前に座り、湿った体臭と共に低く笑っていた。
「ダミーノードの破棄は完了した。……さあ、ここからは『彼ら』の出番だ」
彼の背後にある薄暗い牢獄。そこに繋がれた無数の鎖の奥で、重傷を負いながらも鋭い眼光を放つ青年の姿があった。
『本物』の監視官、ルシアン。
ジークフリートは、次なるバグ(絶望)の準備を、すでに王都の最深部で完了させていた。




