【第41話】戦場のルーティング・エラーと愚痴仲間
【第41話】戦場のルーティング・エラーと愚痴仲間
深夜の国境線。冷たい冬の風が吹き荒れる中、人間軍の先陣による夜襲が始まった。
無数の松明が闇を照らし、巨大な炎や雷の戦略魔術が、魔王軍の野営地へ向けて放物線を描いて降り注ぐ。
「……甘いわ。クロノスの数式をベースにしているのだろうけれど、火力が分散しすぎている」
最前線に立つヴィクトリアが、冷たい息を白く吐き出しながら腕を振るった。彼女の脆弱な肉体からは想像もつかないほど高純度の氷魔術が展開され、空中で炸裂する敵の魔術を次々と凍結し、粉砕していく。
「怯むな! ヴィクトリア様に続け!」
隣で新魔王ザガンが大剣を振るい、血走った目で魔王軍を鼓舞する。シリアスで重厚な、まさにファンタジー戦記の王道とも言える泥臭い防衛戦。
だが、その後方。
野営地の奥深く、自作の「超・低反発マットレス(地盤)」の上で、大賢者ゼロスはパジャマ姿のまま仰向けに寝転がり、虚空のシステムウィンドウをいじっていた。
「……あいつら、馬鹿真面目に正面から魔力をぶつけ合ってやがる。あんなの、疲れるだけだろ」
ゼロスは大きな欠伸を一つすると、指先から極小の魔力を夜空へ向けて放った。
---
【結界改竄アラート】
[System] 人間軍の部隊間通信ネットワーク(伝令魔術)へのバックドア接続を確立。
[Process] 通信パケットのルーティング・テーブルを傍受。
[Update] 司令部から前線への命令変数を書き換えます。
「第一部隊、右翼へ展開せよ」→【左翼へ展開せよ】
「弓兵、直ちに攻撃開始」→【弓兵、直ちに待機】
[Notice] 敵陣形内に致命的な論理矛盾が発生しました。
---
「……なんだと!?」
戦線の向こう側で、人間軍の指揮官が悲鳴のような声を上げた。
統率のとれていた人間軍の陣形が、突如として内側から崩壊し始めたのだ。右へ行くはずの部隊が左の部隊と激突し、援護射撃をするはずの弓兵が沈黙し、前衛が孤立する。
巨大なエネルギーなど一切使っていない。ただ『情報伝達の経路』の1文字を書き換えただけで、数千の軍勢が同士討ちを始め、勝手に自滅していく。
「よしよし、いい感じにバグってんな」
ゼロスは寝転がったまま、満足げに鼻を鳴らす。
「現場の末端が一番困るのは、敵の強さなんかじゃない。上司からの指示が180度変わって、昨日と言ってることが違うっていう理不尽さだからな。……俺も経験あるから痛いほどわかるわ」
国家の興亡を懸けた知能戦を、ブラック企業の理不尽な指揮系統レベルに矮小化して同情する大賢者。
「……おい、ゼロス」
そこへ、前線から少し下がってきたザガンが、胃を押さえながら近づいてきた。
「人間の軍勢が勝手に混乱しているのは……お前が裏で何かやったのか?」
「ああ。通信にちょっとノイズを混ぜただけだ。お前らみたいに汗水垂らして戦うのは俺の契約外(ポリシー違反)だからな」
ザガンは呆れたような顔をしたが、すぐに深くため息を吐き、ゼロスの隣の(不自然なほど柔らかい)地面にどさりと腰を下ろした。
「……しかし、ヴィクトリアの奴、少しは自重しろと言っても全く聞かん。あの脆弱な体で前衛など張れば、すぐに限界が来るというのに。昔から、あいつの要求するハードルはおかしいのだ」
「だよな!」
ザガンの言葉に、ゼロスが勢いよく身を起こした。
「お前もそう思うか! あいつ、自分に厳しいのは勝手だが、周りにも同じレベルのデスマーチを要求してくるからタチが悪いんだよ! お陰で俺は、奴隷紋のプロテクト回避のために毎日徹夜で暗躍させられてるんだぞ!」
「わかる……! 私も、あいつの緻密な物流システムを引き継いだせいで、毎日決済書類の山に追われて胃薬が手放せんのだ……! そもそも私は魔王として、もっとこう『悪の美学』のようなものを追求したかったのに!」
戦場に砲弾の音が響き渡る中。
ヴィクトリア(元魔王)の無茶振りに苦しむ主人公(大賢者)と、ヴィクトリア(前魔王)の尻拭いに苦しむ現魔王。かつては敵同士だった二人が、「理不尽な上司に対する共通のトラウマ」によって完全に意気投合し、愚痴仲間としての奇妙な同盟関係を結んでしまった。
「よしザガン、今度一緒に労基署……じゃねえ、魔界の労働組合に駆け込もうぜ。あいつのパワハラを告発してやる」
「……ああ。そのためにも、まずはこの厄介な戦争(残業)を片付けねばな」
二人が不毛な連帯感を深め合っていた、まさにその時だった。
『――ギ、アァァァッ!』
最前線から、魔族兵士の悲痛な断末魔が上がった。
ゼロスとザガンが弾かれたように立ち上がる。
戦場を覆う土煙の向こう側から、異様な魔力波長が割り込んできた。
魔族の兵士たちが次々と、見たこともないほど緻密で正確な光の魔術で急所を射抜かれ、崩れ落ちていく。
土煙が晴れ、そこに現れたのは――魔王城の地下医務室で、重傷を負って寝ているはずの人間の監視官、ルシアンだった。
「ルシアン……? なぜ、お前がここに……!」
ゼロスが目を見開く。
だが、立ち塞がる親友の目は虚ろで、一切の感情を排した無機質な動作で、人間・魔族の区別なく、機械的な殺戮を始めていた。




