【第4話】事後処理と、遠くからの愚痴
【第4話】事後処理と、遠くからの愚痴
自滅し、完全に崩壊した徴税部隊が撤退していくのを確認し、領民たちは泥にまみれた領主を讃え、涙を流した。
だが、館へ戻ったヴィクトリアの歩みは重かった。
絨毯に泥と血の混じった足跡を残しながら、彼女はゆっくりと客室の扉を開ける。
「……32分14秒だ」
部屋の奥。ふかふかの羽毛布団に包まったゼロスが、恨みがましい目でヴィクトリアを睨みつけていた。
「俺の貴重な睡眠時間が、お前の強引なタスク起動のせいで32分14秒も削られた。明日は昼まで絶対に起きないからな。あと、枕の反発力が足りない。もっと硬めの蕎麦殻を用意しろ」
自身の命を天秤にかけた極限の政治闘争を終えた直後だというのに、目の前の大賢者は「睡眠時間の目減り」と「寝具の不満」という極小スケールのクレームをネチネチと垂れ流している。
ヴィクトリアは小さく息を吐いた。口内に残る錆びた鉄の味が、ひどく濃い。
彼女はベッドへ近づき、氷のように冷え切った指先で、ゼロスの頬にそっと触れた。
「よく働いたわね、我が愚かなる大賢者よ」
血と泥に汚れながらも、その凄惨な微笑みは、かつて世界を恐怖に陥れた魔王のそれだった。
直後、ゼロスの首元の『奴隷紋』が、再び警告音を発した。
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【結界改竄アラート】
[System] 外敵の撃退を確認。
[Process] 領地の防衛レベル再評価を実行……脅威度【上昇】と判定。
[Update] 奴隷紋のバックグラウンド常時演算リソースを強制的に15%引き上げます。
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「……は?」
ゼロスの視界に無機質なウィンドウが展開される。
「ちょっと待て。なんだこのアップデート。有能なところを見せて外敵を追い払ったら、領地が『危険地帯』認定されて、俺の常時負担(業務量)が増えたんだが!?」
「当然でしょう? 優秀なシステムには、より多くの負荷(仕事)が集まるものよ」
「ふざけるな! 頑張ったら仕事が増えるなんて、どこのブラック企業だ! 報酬(睡眠時間)のベースアップがないのは労働基準法違反だろ!」
「文句は王家の血璽に言いなさい」
冷たく言い放ち、ヴィクトリアは自室へと戻っていった。
同じ頃、次元を隔てた遥か遠く――魔界の中心たる魔王城の執務室。
新魔王ザガンは、巨大な玉座の上でひたすらに胃薬を噛み砕いていた。
「……なんだ、この備品管理の書式は」
彼の目の前には、前魔王が残した分厚すぎる業務マニュアルが山積みになっていた。
「『魔王城内におけるボールペンのインク残量は、ミリ単位で第4書式Bを用いて報告すること』……? なぜだ。なぜ前魔王はこんな狂ったように細かく兵站や備品を管理していたのだ。私は世界を滅ぼす魔王だぞ。なぜ事務作業で胃の粘膜を滅ぼされているんだ……」
ザガンが頭を抱えた、その時だった。
『……あー、クソ。要求レベルがおかしすぎるだろ、あの女……』
突如、執務室の空間にノイズ混じりの愚痴が響き渡った。
ゼロスが演算宝珠をハッキングした際に無作為に放った魔力の残滓が、P2Pネットワークのように偶然、ザガンの通信帯域と混線したのだ。
「……誰だ? 前魔王の残した、この地獄のようなシステムのサポートデスクか?」
ザガンが思わず空間に向かって声をかけると、通信の向こう側もピクリと反応した。
『サポート? 違う違う。こっちは前任者だか上司だかの、理不尽な要求に付き合わされてるただの社畜だよ』
「社畜……? ああ、貴様もか。聞いてくれ、うちの前任者の残したシステムは異常だ。インデントの揃っていない書式を突き返してくるくせに、交通費の精算ルールは針の穴を通すように細かいのだぞ」
『うわ、めっちゃ分かる! うちの上司もそうだ! こっちが0.1ミリ単位の仕事をしてやってんのに、緊急アラートにスヌーズ機能すらつけないんだぜ!? しかも仕事で成果を出したら、ボーナスじゃなくて基本業務量を増やしやがった!』
「なんだその悪魔のような所業は! 貴様の上司は魔族か何かか!?」
『魔族よりタチが悪いよ! あー、マジで労働組合でも作ってストライキしてえ……』
世界を二分するはずの「大賢者」と「現魔王」。
互いの素性も知らぬまま、次元を超えた極秘の通信帯域で、二人はまるで給湯室のOLのように「ブラック上司の愚痴」で意気投合していた。
奇妙な連帯感に包まれ、ゼロスのささくれ立った心も少しだけ癒やされていく。
『ははっ、あんたの話聞いてたら少しスッキリしたわ。今度、うまい酒でも――』
「ほう。ずいぶんと楽しそうに通信しているじゃない」
鼓膜を直接、氷の刃で撫でられたかのような声だった。
ゼロスが息を呑んで振り返る。
いつの間にか、客室の入り口には、シャワーを浴びて血と泥を落としたヴィクトリアが立っていた。濡れた髪から水滴を落とす彼女の眼光は、絶対零度のように冷たかった。
「……私の領地の帯域を使って、誰と『労働組合』の話をしているのかしら?」
『おい、どうした? 貴様の上司か? ……って、え? その声、まさか前魔王――』
ブツンッ。
ゼロスとザガンが同時に息を呑んだ瞬間、通信は強制的に切断された。
部屋の温度が、急激に下がっていく。




