【第3話】数理の結界と、怠惰なるバグ
【第3話】数理の結界と、怠惰なるバグ
一度目の攻撃が「不自然な突風」によって逸れた直後、クロノス侯爵配下の徴税部隊は即座に戦術を切り替えた。
無感情な部隊長が懐から取り出したのは、鈍い光を放つ多面体の水晶――【演算宝珠】。
彼らが宝珠を天へ掲げた瞬間、戦場となった荒野に、青白い幾何学模様のグリッド線が展開される。空間そのものが強制的に数値化され、風の向き、土の湿度、そしてヴィクトリアの体温から魔力残量に至るまで、あらゆる環境変数が宝珠のシステムへと吸い上げられていく。
「対象の抵抗を『脅威度C』と算定。これより戦場を完全包囲し、最適化された一斉射撃態勢へと移行する」
無機質な宣言と共に、重装甲の兵士たちが一糸乱れぬ動きで半円の陣形を敷く。彼らの前方に、宝珠の演算によって最適化された分厚い魔力シールドが展開された。
ヴィクトリアの浅い呼吸が、冷たい風の中で白く散る。
彼女はドレスの裾が泥に汚れるのも構わず、大地に両手をついた。前世の技術である『魔力圧縮』を強引に起動する。
足元の固い土が、急激に水分を含んだ底なしの泥沼へと変貌し、重武装の兵士たちの足を絡め取っていく。局地的な地形操作。だが、その代償はあまりにも重かった。
脆弱な没落令嬢の肉体は、魔王の魔力負荷に耐えられない。毛細血管が悲鳴を上げ、ヴィクトリアの鼻筋をつたって赤い雫が落ちる。口内に生暖かい鉄の匂いが充満した。
それでも、彼女は氷のような目で敵を睨み据え、決して膝を突こうとはしなかった。
一方、その惨状を視界の端で強制的に見せられていた大賢者は。
「……うるさい。本当にうるさい」
館の客室。ふかふかの羽毛布団にくるまったゼロスは、首の奴隷紋から鳴り響く『主人の生命危機アラート』に頭を抱えていた。
敵部隊が健在である以上、防衛タスクは終了しない。
「なんだよこの【演算宝珠】の数式。ちょっと待て、マジで見過ごせないぞ……」
ゼロスは血走った目で虚空の魔法陣を睨みつけた。彼の怒りの矛先は、ヴィクトリアを追い詰める敵部隊の残酷さではなく、全く別のところに向かっていた。
「なんで変数の宣言位置がバラバラなんだよ! インデント(字下げ)もぐちゃぐちゃだし、局地的なシールド展開になんでグローバル変数を使ってんだ! 誰だこのクソコード書いた三流は! 見てるだけで胃が痛くなる……こんなスパゲッティコードが俺の脳内に表示されてると思うと、気持ち悪くて安眠できねえ!」
世界最高峰の頭脳を持つ大賢者は、まるで他人が書いた無茶苦茶なプログラムを押し付けられた休日のエンジニアのように、ひたすらにネチネチと呪詛を吐き捨てた。
「あーもう、全部書き直すのは面倒くさい。仕様の穴を突いて落とす」
ゼロスは毛布の中から片手だけを出し、虚空を弾く。
彼が目をつけたのは、演算宝珠に組み込まれた『絶対ルール』だった。
――【味方の魔力密度が最も高い場所を「安全圏(要人)」と認識し、そこから外側に向かってシールドを展開する】。
「真面目に物理シールドを張る仕様にしてるから、こういうことになるんだよ」
ゼロスは極小の魔力を、敵部隊の陣形の『ど真ん中』へと転送した。
それは攻撃力を持たない、ただ「異常に高い魔力密度」を持たせただけの偽装データ(ダミー変数)。
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【結界改竄アラート】
[System] 戦場情報の再計算を実行。
[Warning] 陣形中央部に、味方識別コードを持つ異常密度の魔力源を検知。
[Process] 防衛プロトコルを更新。最重要保護対象を陣形中央に再設定します。
[Error] シールド展開ベクトルの論理破綻。
[Fatal] 展開方向を『内側』へ強制変更――。
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戦場に、ガラスを爪で引っ掻くような不快なエラー音が鳴り響いた。
直後、徴税部隊の兵士たちが展開していた強固な防衛シールドが、一斉に「反転」した。
外側からの攻撃を防ぐはずのシールドが、彼らの陣形の『内側』、すなわち兵士たち自身に向かって急速に膨張を開始したのだ。
「な、なんだこれは!? シールドがこちらに向かって……ッ!」
「押すな! 陣形が崩れる! 宝珠の演算を止めろ!」
「ダメです! システムが応答しません!」
完璧な数式で統率されていたはずの部隊は、自らが生み出した不可視の壁に押し潰され、弾き飛ばされ、パニックによる同士討ちを始めた。重厚な鎧がひしゃげる鈍い音と、統制を失った悲鳴が辺境の荒野に響き渡る。
「……は?」
泥まみれになり、今まさに血を吐き出そうとしていたヴィクトリアは、眼前で勝手に自滅していく敵部隊を見て、呆然と冷え切った唇を震わせた。
「これで文句ないだろ。あー、目が疲れた。今度こそ寝る」
絶望的な戦場から遠く離れた館のベッドで。
大賢者は「他人の書いたコードの汚さ」への文句をぶつぶつと呟きながら、ようやく鳴り止んだアラートに安堵し、深く目を閉じた。
「ここまでお読みいただきありがとうございます!
究極のヒモを目指すゼロスですが、果たして彼の睡眠時間は守られるのか……。
『ゼロスのブラック労働を応援したい!』『続きが気になる!』と思っていただけましたら、ぜひ下部の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマークをいただけますと、毎日の執筆の最大のモチベーションになります!
(明日から毎日12時に更新する予定です!)」




