【第39話】デバッグの限界と物理的バグ
【第39話】デバッグの限界と物理的バグ
魔王城の地下深層。
大賢者ゼロスの指先から迸る高密度の魔力が、暗闇の中に無数のシステムウィンドウを乱舞させていた。
「よし、魔王城のコア・ネットワークへのバックドア構築完了。これよりフェイクログの全消去を実行する」
ゼロスの目が、青白い光を反射して無機質に光る。
人間の監視官ルシアンの脳内に上書きされた「ヴィクトリアの幻」という証言データ。そして、魔王城の記録に残された「関係改善派の暗殺」という偽装データ。その両方の根源となっている管理者権限のディレクトリへ、ゼロスは強引にアクセスをねじ込んだ。
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【結界改竄アラート】
[System] 大賢者権限(Admin)による強制オーバーライドを実行中。
[Process] 両陣営のネットワークに流布されたフェイクログを物理的にフォーマットします。
[Update] 証拠データの完全消去に成功。両陣営の「開戦のロジック」は論理破綻しました。
[Notice] ソフトウェア上のバグ修正が完了しました。
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「……終わったぞ」
ゼロスは虚空のキーボードを乱暴に叩き割り、パジャマの首元を掻いた。
「これで人間側も魔族側も、互いを攻撃するための『大義名分』を完全に失った。開戦の稟議書は白紙だ。俺はもう寝るからな」
ゼロスが大きな欠伸を噛み殺した、まさにその瞬間だった。
『――緊急伝令ッ!!』
血まみれの魔族兵士が、地下への階段を転がり落ちてきた。
その兵士の背後、遥か遠くの国境線の方向から、城の分厚い石壁を震わせるほどの重低音が響き渡る。
「……何事だ!」
新魔王ザガンが血相を変えて叫ぶ。
「こ、国境の防衛結界が突破されました! 人間界の正規軍が、魔界領内へ侵攻を開始! すでに第一防衛線の部隊が交戦状態に突入しております!」
「なっ……馬鹿な! 開戦の根拠となるデータは今、ゼロスが全て消去したはずだぞ!」
ザガンが胃を押さえてたじろぐ中、ゼロスの浅い呼吸がピタリと止まった。
青白いシステムウィンドウの向こう側で、腕を組んでいたヴィクトリアが、氷のように冷たい声で真理を突く。
「……遅かったのよ。システム上のバグ(証拠)をいくら直そうと、現場の兵士の情動までは書き換えられないわ」
ヴィクトリアの冷え切った指先が、微かにドレスの裾を握りしめている。
ゼロスはギリッと奥歯を鳴らした。
「……チッ。王太子の血走った正義感と、財務顧問の冷徹な予算消化システムか」
どれほど完璧にサーバー内の嘘を削除しようと、すでにそれを見て怒り狂い、武器を取って走り出した群衆は止まらない。彼らにとって、もはや真実などどうでもいい。「魔族を殺す」という熱狂のプロセスが、物理世界で暴走を始めてしまったのだ。
「ソフトウェアの論理じゃ、暴走した肉体の暴力は止められねえってことか……!」
ゼロスは頭を抱え、絶望的な表情で崩れ落ちた。
情報戦における完全勝利が、圧倒的な暴力の前に紙屑のように踏み躙られる、最悪のバッドエンド。国家の存亡を揺るがす大戦の火蓋が、ついに切って落とされたのだ。
「……ザガン。第一軍を国境へ回しなさい。私も出るわ」
ヴィクトリアが冷徹な為政者の顔で踵を返す。
「わ、分かった。私が直接指揮を執ろう!」
重厚なシリアスと悲壮感が地下空間を支配する中、床にうずくまっていたゼロスが、恨みがましい目で国境の方向を睨みつけていた。
「……おい」
ゼロスの声は、ひどく乾いていた。
「これ絶対、休日出勤からの数ヶ月泊まり込み確定の炎上プロジェクト(大戦)じゃねえか。土日返上どころの騒ぎじゃねえぞ」
「……」
「従軍手当と危険地帯割り増しの申請書はどこでもらえるんだ? 労災が下りない職場で命懸けられるか! 労働基準監督署はどこだ!」
「うるさいわねヒモ賢者! 貴方も来るのよ!」
血を吐くようなヴィクトリアの怒声。
彼女が階段を駆け上がった瞬間、首元の奴隷紋(半径100mの強制送還プロテクト)が作動し、見えないリードに首を引かれたゼロスが「ギャアアアアッ!」と無様に引きずられていく。
理不尽極まりない最悪のデスマーチ(大戦)が、幕を開けた。




