【第38話】事件の目的
【第38話】事件の目的
カビ臭い魔王城の地下牢。
先ほどまでレメディウスを尋問していた冷ややかな空間に、伝令が持ち込んだ一枚の羊皮紙が、決定的な絶望の影を落としていた。
人間界からの、最後通牒。
『監視官襲撃についての説明』『事件関係者の引き渡し』。
魔界の主権を完全に無視したそれらの要求は、戦争の火蓋を切るに等しい内容だった。分厚い石壁の向こうからは、すでに人間の横暴に対する魔族たちの怒声――暴動寸前のどす黒い熱狂が、微かな地鳴りとなって響いてきている。
胃の腑を押さえ、滝のような冷や汗を流す新魔王ザガン。
氷の彫像のように無表情を貫くものの、ドレスの裾を握る指先が白く変色している前魔王ヴィクトリア。
重苦しい沈黙が地下牢を支配する中。
「……うわ、キツいなこれ」
大賢者ゼロスが、人間界からの最後通牒を手に死んだような目を向けていた。
「マジかよ、この書状。明朝体のフォントサイズが無駄にデカいし、箇条書きのインデントが半角分ズレてやがる。人間側の官僚、どんだけテンパってこれ作ったんだよ。素人のプレゼン資料か?」
パジャマの首元を掻きながら、国家存亡の危機を告げる書状に対し、極めてみみっちい書式の不備をネチネチと指摘し始める。
ヴィクトリアの浅い呼吸がピタリと止まった。
「……貴方。今まさに両陣営の数万の命が消し飛ぼうとしているこの状況で、文書のレイアウトの添削をしているの?」
「読みにくい書面はシステムへのノイズだろ。こんなインデントのズレた要求書で戦争始められたら、後世の歴史家がレイアウトのダサさに泣くぞ」
「黙れヒモ賢者ッ!!」
ついにザガンが胃袋の限界を超え、血走った目で叫んだ。
「お前は事態が分かっているのか! 人間側はもう引かない! 魔界の民も、物流と外交の要人を殺されたことで『人間は魔界を内部から壊そうとしている』と完全に信じ込んでいる! 交渉の余地など、もうどこにもないのだ!」
ザガンの喉が引きつる。彼の言う通りだった。
ゼロスは羊皮紙を無造作に丸め、ぽいと投げ捨てた。
「ああ。どっちの陣営も、自分たちに『都合のいい証拠(被害者意識)』だけを完全に信じ切ってる。見事なもんだ」
ゼロスの瞳の奥で、冷徹な演算回路がスパークする。
「俺は最初、犯人を捕まえればこの事件は終わると思ってた。だが、違ったんだよ」
ゼロスは冷え切った地下牢の天井を見上げた。
「『誰が殺したか』なんて、最初からどうでもよかったんだ。この事件の本質は、殺人(点のエラー)じゃない。人間と魔族の双方にフェイクのログを流し込み、互いの思考を完全に分断させること。……みんなが『何を信じるか』を操作して、社会システム全体をクラッシュ(暴走)させるのが、真犯人のマクロな目的だったんだ」
物理的な殺人ではなく、情報によるネットワークの破壊。
その完璧な悪意の前に、ザガンは力なく膝から崩れ落ちた。分厚いマントが石の床に擦れる音が、ひどく虚しく響く。
「……私の、責任だ」
ザガンは乾いた唇を噛み破り、血の味が滲む声で絞り出した。
「私が力不足だったから、こんな分断を許した。……私が魔王の座を降り、その首を人間側に差し出す。そうすれば、少なくとも全面戦争だけは……」
「馬鹿を言わないで」
ヴィクトリアが氷の視線を落とす。
「魔王が首を差し出したところで、今の暴動寸前の魔族たちが納得するわけないでしょう。それこそ魔界内部で内戦が起きるわ」
「だが、他にどうしろと言うのだ! このままでは魔界が終わる!」
「終わらねえよ」
ゼロスが、膝をつく魔王の襟首を乱暴に掴んで引き上げた。
「お前が辞めたところで、システムに組み込まれたバグは直らねえ。俺の安眠を脅かすエラーを吐き出し続けるだけだ」
ゼロスは、怯えるザガンと、冷徹なヴィクトリアの二人を交互に見据えた。
「犯人は、魔王城のルート権限を使ってすべての情報を操作し、この状況を作り出した。……だったら、こっちも同じ盤面で殴り返してやる」
ゼロスの指先から、これまでとは比較にならない、膨大かつ緻密な魔力が迸る。
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【結界改竄アラート】
[System] 大賢者権限(Admin)による強制アクセスシーケンスを起動。
[Process] 魔王城のコア・ネットワークへの逆探知を開始します。
[Warning] 対象のファイアウォールを物理的に焼き切ります。魔力負荷が規定値を大幅に超過。
[Fatal] 非常識なデバッグ作業が開始されます。
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「みんなが信じ切ってるフェイクの情報を、根底からひっくり返す『特大のバグ』をバラ撒いてやる。……俺の有給休暇を取り戻すための、非常識なデバッグ作業の開始だ」
大賢者の瞳に、見えない黒幕への明確な殺意が宿る。
絶望的な分断を前に、究極のヒモ男が、魔界のシステムそのものをジャックする逆襲の狼煙を上げた。




