【第36話】自白と、知らないはずのメタデータ
【第36話】自白と、知らないはずのメタデータ
カビと錆の匂いが充満する魔王城の地下牢。
文書管理官レメディウスは冷たい石の床に這いつくばり、自らの頭髪をむしり取るように掻き毟っていた。
欠落した記憶。アクセスを拒否される時間。その理不尽なシステムのバグは、異常なほど几帳面な彼の精神を、内側からゴリゴリと食い破りつつあった。
「……ああ、そうだ。俺がやったことになっているなら、それでいい」
焦点の合わない目が、虚空を彷徨う。喉の奥から、絞り出すような声が漏れた。
「俺があいつらを殺したんだ。あの女の政策の延長など、潰してやりたかったからだ!」
ついに自白した。ザガンが息を呑む音が、静かな牢屋に響く。
「外交担当は扉の前に立っていた。俺が放った炎は左肩から右腰にかけてを焼き、奴は仰向けに倒れた。物流担当は窓際に逃げようとしたが、背中から貫いた。奴は前のめりに倒れ、右腕が不自然に背中側へねじれ上がっていた……」
異常なほど詳細な現場の描写。自白としては完璧すぎる。
だが、鉄格子の外でパジャマの首元を掻いていたゼロスは、死んだような目でその言葉を反芻していた。
「……おい、レメディウス」
「なんだ……俺を処刑するんだろう! さっさとやれ!」
「お前が魔法を撃った時、物流担当は『背中』を向けて前のめりに倒れたんだよな?」
「ああ、そうだ! 右腕がねじれ上がって……」
「じゃあ、なんでお前は『右腕が背中側にねじれ上がっていた』のを知ってるんだ?」
レメディウスの浅い呼吸が、ピタリと止まった。
「魔法を撃った直後、お前の立ち位置からは、倒れ伏した奴の『背中』しか見えないはずだ。下敷きになった右腕の関節の角度なんて、死体をひっくり返すか、天井の隅から見下ろす『別視点』でもなけりゃ絶対に認識できない」
ゼロスの指先から、極小の魔力が牢の中へ放たれる。
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【結界改竄アラート】
[System] 対象の自白音声と、事件現場の3D空間モデルを照合中。
[Process] 対象の供述する『視点』の座標を逆算……。
[Error] 致命的な論理矛盾を検知。対象の記憶は、一人称視点(体験)ではなく、俯瞰視点の『事後検証データ』です。
[Warning] 現場にいた犯人であれば「知り得ないはずのメタデータ」が、脳内に直接インストールされています。
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「……お前の記憶は、体験(一次データ)じゃねえ。誰かが事件後に現場をスキャンして作った『事後報告書』を、お前の脳みそに丸ごとコピペしただけだ」
ゼロスが虚空のシステムウィンドウを消す。
「詳しすぎるんだよ。殺しをやった直後のアドレナリンが出てる人間が、そんな鑑識みたいな客観的データを残せるわけがねえ」
だが、ヴィクトリアの冷え切った声が、その論理を無慈悲に遮った。
「過程はどうあれ、本人が自白したという出力結果は出たわ」
カツ、とヒールの音が鳴る。彼女の周囲の空気が凍りつき、鉄格子に真っ白な霜が這い上がった。
「これ以上、不確定なバグを放置するのはシステムの無駄よ。自己申告通り、ここでデバッグ(処刑)するわ」
ヴィクトリアの指先がレメディウスへ向けられた、その瞬間。
ドンッ! と重い足音が響き、ザガンの巨体が鉄格子の前に立ち塞がった。
「ザガン……? どきなさい」
「どかん! 証拠のデータがバグっていると分かっているのに、部下を殺させるわけにはいかん!」
普段は胃薬を手放せない新魔王が、血走った目で、元魔王の絶対零度の視線を正面から受け止める。
「分からないことがあるなら、王として部下を切り捨てるわけにはいかないのだッ!」
張り詰めた空気。
しかし、その後ろで大賢者が面倒くさそうに大きな欠伸を噛み殺した。
「あー、わかるわ。俺も前世のコールセンター時代、三日徹夜のあとに上司から『お前がデータ消したんだろ』って八時間詰められてさ」
ゼロスはパジャマの腹をボリボリと掻きながら、心底ダルそうに呟く。
「やってないのに『はい、俺がやりました』って洗脳されかけたことあるわ。自己啓発セミナーとかブラック企業がよくやる手口だよな。要は過労とストレスで脳みそを初期化して、都合のいい社訓を刷り込んでるだけだ」
「……貴方、この高度な精神干渉術を、ブラック企業のパワハラと同レベルで語る気?」
ヴィクトリアが氷の視線を突き刺すが、ゼロスはどこ吹く風だ。
「手口の本質は同じなんだよ。レメディウスは何も隠しちゃいない。ただ、『自分が犯人だ』っていうフェイクの業務マニュアルを思い込まされてるだけだ」
ゼロスは暗い牢屋の奥、見えない『システム管理者』を睨みつけるように目を細めた。
「人間の記憶も、魔族の記憶も自在に書き換え、現場の物理法則すらデバッグする。……間違いねえ、真犯人はこの魔王城の『ルート権限』を持ってるハッカーだ」




