【第34話】証言のズレと、記憶のバグ
【第34話】証言のズレと、記憶のバグ
魔王城、地下医務室。
消毒液とカビの匂いが混ざり合う薄暗い部屋のベッドで、監視官ルシアンは痛々しい包帯姿で横たわっていた。
「……また来たのか、ゼロス。それに、元魔王様とザガン様まで……」
ルシアンは浅く、かすれた呼吸をしながら三人を見上げた。
ゼロスはベッドの脇にパイプ椅子を引き寄せて座り、首元の奴隷紋(半径100メートル制限)のせいで強制同行させられているヴィクトリアは、部屋の隅で腕を組んで無言のプレッシャーを放っている。
「悪いな、ルシアン。少しだけ昨日の事件の『記憶のキャッシュ』を掘り返させてくれ」
ゼロスはパジャマのポケットから現場の物理痕跡(魔力残滓)を記録した羊皮紙を取り出し、ルシアンの顔の前に突きつけた。
「お前は『ヴィクトリアに似た女』に襲われたって言ったよな。その女は、お前のどっち側から魔法を撃ってきた?」
「どっち……?」
ルシアンは痛む頭を僅かに動かし、虚空を見つめて記憶を辿る。
「間違いない。俺が部屋に入った瞬間、正面の窓際に立っていた女が、左手を上げて……俺の『左側』から炎の魔法を放ってきた。俺は右に避けようとして、肩を掠めたんだ」
「ふーん。で、その時、女の背後には何があった?」
「大きな赤い壺だ。女が魔法を撃った瞬間、炎の明かりでその壺の模様がはっきりと見えた」
ルシアンは熱に浮かされたような目で、確信を持ってそう証言した。
ザガンが「赤い壺だと? そんな備品は魔王城にはないぞ……」と訝しげに呟く中、ゼロスの指先から極小の魔力が迸った。
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【結界改竄アラート】
[System] 対象の音声ログと、事件現場の物理変数を照合中。
[Process] 現場の魔力拡散ベクトルと、対象の証言をクロスチェック……。
[Error] 致命的な論理矛盾を検知しました。
[Notice] 現場の魔力痕跡は完全に『右側』から放たれています。
[Warning] 現場の空間座標に『赤い壺』の質量データは存在しません。対象の記憶領域に【偽造されたログ(フェイクデータ)】が上書き保存されています。
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「……なるほどな。綺麗にすれ違ってるぜ」
ゼロスは羊皮紙を丸めて放り投げた。
「ルシアン、お前の証言は現場の物理痕跡と完全に矛盾してる。現場に残された魔法の軌道計算では、攻撃は完全に『右側』から放たれていた。そして現場に『赤い壺』なんてオブジェクトは存在しない」
「なっ……! 嘘じゃない! 俺は確かにこの目で見たんだ!」
ルシアンがベッドの上で身を起こし、血走った目で叫ぶ。嘘をついている人間の目ではない。彼は本気で「そう信じ込んでいる」のだ。
「ああ、分かってるよ。お前は嘘をついてるんじゃない」
ゼロスは死んだような目で、ルシアンの瞳孔の奥を見据えた。
「誰かにお前の脳へ直接ハッキングされて、『ヴィクトリアに似た女』と『赤い壺』と『左からの攻撃』っていう【偽造された記憶】を、強制的にインストールされたんだ」
その言葉に、室内の温度が一気に下がった。
単なる物理的な現場の偽装(箱庭)だけではない。人間の主観(記憶)すらもシステムとして書き換え、目撃証言を自在にデザインする未知のハッカー(精神干渉術者)。
ヴィクトリアの氷のような視線が、微かに細められる。
「……記憶の改竄。私の時代にも禁術とされていた高度な精神干渉ね。つまり犯人は、ただの几帳面な殺人鬼ではなく、対象の脳内システムに直接バックドアを仕掛けられる化け物ということかしら」
「そういうことだ。レメディウスの『思い出そうとすると頭痛がする(アクセス拒否)』現象も、同じ術者の仕業だろうな」
人間の記憶すら信じられない。証言はすべて犯人が書き換えたフェイク。
底知れない狂気と、姿なき暗殺者の存在に、ザガンが胃を押さえて青ざめる。重苦しい空気が、医務室を完全に支配した。
だが、その張り詰めた空気の中で。
「……なあ、ルシアン」
ゼロスが真剣な顔で、包帯姿の幼馴染みに顔を近づけた。
「お前、記憶を弄られてるついでに聞くけど。俺が五年前に立て替えた『飲み代の借金1000ゴールド』、お前の脳内では『すでに返した』って記憶に書き換えられてないだろうな? もしそうなら、今すぐ犯人を捜し出してぶっ飛ばすけど」
「……は?」
ルシアンは虚を突かれたように瞬きをし、やがて呆れたようにため息を吐いた。
「お前……頭おかしいんじゃないのか? 五年前の飲み代1000ゴールドなら、俺がお前に『貸した』んだろ。未だに1ゴールドも返ってきてないぞ」
「……チッ。そこは都合よく改竄されてないのか。使えねえ犯人だな」
「お前が使えねえんだよ!!」
「……貴方、本当に大賢者としてのプライドはないの?」
部屋の隅で、ヴィクトリアが氷の視線と共に蔑みの声を落とす。
記憶改竄という核心に迫りながら、過去のセコい金銭トラブルをドサクサに紛れてチャラにしようとしたせいで、緊迫感は無残に瓦解した。
「うるせえ! 俺の安眠と小遣いは魔界の命運より重いんだよ!」
ゼロスはパジャマのポケットに手を突っ込み、不貞腐れたように立ち上がった。
「記憶がアテにならないなら、信じられるのは現場の物理痕跡だけだ。あの『綺麗すぎる現場』に残された魔法の残滓を、もう一度徹底的にデバッグするぞ」
記憶を操る見えない敵。大賢者の次なる知能戦が、幕を開けようとしていた。




