【第33話】消えた時間と、王の決断
【第33話】消えた時間と、王の決断
魔王城の文書管理室。
壁一面に完璧な角度で整頓された書類棚に囲まれ、文書管理官レメディウスは床に膝をついていた。
「あ、頭が……割れるように……。思い出せない……。昨日の夜の、記憶が……ッ!」
額から脂汗が滝のように流れ落ち、浅く不規則な呼吸が静かな部屋に響き渡る。彼の細い指先は、自らの頭蓋骨を砕かんばかりに強く頭髪を掻き毟っていた。
アリバイをごまかしている態度ではない。
あまりの異様な姿に、大賢者ゼロスはパジャマのポケットから手を出し、無言で極小の魔力をレメディウスの脳波へと飛ばした。
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【結界改竄アラート】
[System] 対象の生体記憶領域へのアクセスシーケンスをモニタリング中。
[Error] 指定タイムスタンプ(事件発生時刻)のデータブロックがシステムロックされています。
[Warning] 意図的なアクセス拒否。
[Process] 対象の最大魔力出力と演算速度を算出……。
[Notice] 解析完了。あの殺人現場の変数を単独で書き換えるには、対象の処理能力では物理的に時間が足りません。
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「……なるほどな」
ゼロスは虚空に浮かび上がったステータス画面をスワイプし、死んだ目で呟いた。
「こいつ、嘘をついてるわけじゃねえ。単に『忘れた』んでもない。システム的に、昨日の夜の記憶へのアクセスを完全に『弾かれている』状態だ」
「記憶へのアクセスを弾かれる?」
ザガンが血の気を引かせた顔で問う。
「ああ。それに、こいつの脳の演算処理能力を逆算した結果、決定的な矛盾が出た」
ゼロスは床で喘ぐレメディウスを見下ろした。
「あの『綺麗すぎる現場』……ミリ単位で破片の角度を揃えるような異常な偽装工作を、こいつの魔力出力で一晩で作るのは物理的に不可能だ。容量オーバーで脳みそが焼き切れる。つまり、あの箱庭を作ったのはこいつ一人じゃねえ。共犯者がいるか、あるいは全く別のルート(未知のシステム干渉)が絡んでる」
決定的な証拠がない。どころか、容疑者としての前提すら揺らぎ始めた。
だが、その不確定な盤面を前にしても、ヴィクトリアの表情は氷の彫像のように微塵も動かなかった。
「……処理能力が足りないなら、共犯者がいるか、何らかの魔導具を使っただけでしょう」
ドレスの裾が擦れる冷たい音。ヴィクトリアは見下すような視線をレメディウスに向けた。
「拘束して吐かせなさい。物理的な痛覚に干渉すれば、ロックされた記憶のプロテクトも強制的に開くかもしれないわ。私の統治時代なら、迷わずそうしている」
「なっ……!」
拷問すら辞さない、血も涙もない冷徹な正論。
その言葉に、レメディウスの肩がビクッと跳ねた。
だが、ヴィクトリアが彼を拘束すべく冷え切った指先を上げた、その瞬間だった。
「待て……ッ!」
普段は胃薬ばかり飲んで怯えている新魔王ザガンが、勢いよくヴィクトリアの前に立ち塞がった。
「彼が前体制を恨んでいるのは事実かもしれない。だが、確たる証拠が確定していない以上、私の部下を処刑したり、不当に傷つけたりはしない!」
「……ザガン様……」
床に這いつくばるレメディウスが、掠れた声で主君を見上げる。
王としての、泥臭くも熱い責任感。
冷徹なロジックですべてを切り捨てようとするヴィクトリアに対し、一歩も引かずに部下を守ろうとする。室内は一気にシリアスな熱を帯び、張り詰めた空気が満ちた。
「あの……水差すようで悪いんだけど」
その感動的な空気を完全にへし折るように、大賢者が面倒くさそうにパジャマの首元を掻いた。
「こいつ、先月の魔王城の備品のトイレットペーパーの減りが異常に早かった時の犯人(横領)だよな? 帳簿の角度が揃いすぎてて逆にバレてるぞ」
「は?」
ザガンが間の抜けた声を出す。
「あと、お茶請けのクッキーもこいつが発注数を誤魔化して持ち帰ってる。横領の証拠なら完璧に揃ってるけど、どうする?」
「……ッ!! それと殺人は別問題だろうが! トイレットペーパーの件は後で死ぬほど始末書を書かせる!」
「えぇ……王としての泥臭い責任感、トイレットペーパーで霞んでない?」
「黙れヒモ賢者! お前もサボってないで早く真犯人を見つけろ!」
感動的な上司と部下の絆は、極小スケールの事務的な横領疑惑によって無残に瓦解し、部屋にはただの労使の痴話喧嘩が響き渡った。
「……馬鹿馬鹿しい」
ヴィクトリアが呆れたようにため息を吐き、腕を組む。
「で、どうするの。彼がシロだというなら、捜査は振り出しよ」
「いや、完全に無駄足だったわけじゃない」
ゼロスは薄暗い資料室の天井を見上げ、浅く息を吐いた。
「『アクセスを拒否される記憶』……この不気味なバグには、見覚えがある」
事件の被害者ではなく、ただ一人の生存者。
あの時、病室で自分たちに向かって、不自然なほど確信を持って「ヴィクトリアに似た人物を見た」と言い切った人間の男。
「なあ、ヴィクトリア。お散歩の続きだ」
ゼロスは首元の奴隷紋を指で弾き、冷たい目を細めた。
「監視官ルシアンの『証言』……あいつの脳みそのログを、もう一度直接デバッグしに行くぞ」




