【第25話】謎の魔道具と、社畜たちの傷の舐め合い
【第25話】謎の魔道具と、社畜たちの傷の舐め合い
ボロボロの魔王城、その最深部にあるザガンの私室。
カビ臭い湿気と、七輪で炙られたスルメ(魔界の深海イカ)の匂いが、六畳ほどの空間に充満していた。
「……でさ、あいつ、俺が提出した防衛予算の稟議書を見てなんて言ったと思う?」
ちゃぶ台の上でスルメを力任せに引きちぎりながら、新魔王ザガンが血走った目で虚空を睨む。
「『フォントサイズが揃っていない。余白の美学がない』だぞ!? 深夜3時に、内容じゃなくて書式のエラーで突き返してきたんだ! どう考えても労働基準局(そんなもの魔界にはないが)にパワハラで訴えられるレベルだろ!」
「わかる。めっちゃくちゃ、わかる」
大賢者ゼロスは、出がらしの安い茶をすすりながら深く、深く頷いた。
「俺なんて今朝、10万件のクレーム処理が終わったと思ったら『カスタマーサポート責任者』とかいう名ばかり管理職に任命されたんだ。睡眠時間をなんだと思ってるんだ、あの冷血上司」
かつて世界を滅ぼしかけた絶対的な恐怖の象徴(元魔王)は、今や限界を迎えた社畜たちの酒の肴(愚痴のタネ)へと成り下がっていた。
だが、ただ傷を舐め合っているだけではない。
ゼロスの手元には、ザガンが提示した『謎の魔道具』――前魔王の私室跡から発掘された、鈍い銀色に光る手のひらサイズの円盤――が置かれていた。
「文句を言いつつも、手は動かしてるんだから俺たち偉いよな……」
ゼロスはスルメの端を咥えたまま、指先から極小の魔力を円盤の表面へ流し込む。
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【結界改竄アラート】
[System] 古代魔導具の暗号化プロトコルを解析中。
[Process] 多重ロック構造(第7層)のバイパスを実行します。
[Update] 内部コアにアクセス成功。記述式の中に『主従契約の初期化』を示す変数を発見しました。
[Notice] 本デバイスは、特定の生体魔力をトリガーとした【管理者権限の強制リセット】機能を有しています。
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「……ビンゴだ」
ゼロスの瞳に、冷徹な理系の光が宿る。
「こいつ、単なる魔力タンクじゃない。術式の根幹に、上位権限を上書きして既存の契約を白紙に戻す『初期化コード』が組み込まれてる。マスターキーみたいなもんだ」
「おおっ! では、それを使えば貴様の首の奴隷紋も……!」
「ああ。ロジック上は、パスワードを強引に初期化して首輪を外せるはずだ」
ゼロスは円盤を手のひらで転がし、ニヤリと笑った。
――同時刻。辺境の領主の館、執務室。
ヴィクトリアは、虚空に展開されたシステムログを氷のような目で見つめていた。
「……『if { return "大変申し訳ありません"; }』」
彼女の血の気のない唇から、微かな冷笑が漏れる。
「馬鹿にしているのかしら。こんな小学生のプログラミングのような雑なスクリプトで、私の目を誤魔化せると思っているなんて」
0.5秒のタイムスタンプ偽装など、彼女の演算領域の前に置けば、不自然なラグとして一目で浮き彫りになる。机の上に置かれた『親戚の法事でお休みをいただきます』という走り書きのメモを、ヴィクトリアは冷え切った指先でクシャリと握り潰した。
「カスタマーサポートを放置して魔界へ逃亡……。いい度胸ね。直接、無断欠勤の罰を与えに行かなければならないようね」
ヴィクトリアは立ち上がると、自らの肉体を覆う『魔力回路』を極限まで圧縮し始めた。
自身の体温、心音、そして魔力の波長を、周囲の環境ノイズ(マナの揺らぎ)と完全に同調させる。大賢者の広域感知網の網目を抜けるための、無駄に高度なステルス技術。
かつての自分の城(魔王城)へ、部下のサボり調査のために裏口からコソコソと侵入するという、スケールの小さすぎるスパイミッションが幕を開けた。
数十分後。
環境ノイズと同化したヴィクトリアは、音もなくザガンの私室の薄い扉の前に辿り着いていた。
壁越しに、聞き慣れた二人の声が漏れ聞こえてくる。
『で、その魔道具を使えば本当にあの女から解放されるのだな?』
『ああ。この呪縛(ブラック契約)さえ解除できれば、俺は自由だ。あいつの顔を二度と見ずに済む』
その言葉が耳に触れた瞬間。
ヴィクトリアの胸の奥で、鋭く、ちくりとした痛みが走った。
心臓が不規則に脈打ち、浅い呼吸が喉の奥でつかえる。壁に添えていた指先から、急速に温度が奪われていく。ドレスの擦れる音が、やけにうるさく感じられた。
『あいつから解放されたら、どうするのだ?』
『決まってるだろ』
扉の向こうで、ゼロスが心底楽しそうに笑う気配がした。
『一生、ベッドから出ない。俺だけの、誰にも邪魔されない究極の安眠を満喫するんだ』
冷たい怒りではない。
ただ、みぞおちのあたりが酷く重く、息を吸うたびに肺の裏側が軋むような、ひどく不快な身体的バグ(不全感)。
ヴィクトリアは扉の前に立ち尽くし、冷え切った自らの手を、ゆっくりと胸元に押し当てた。




