【第22話】給湯室の祝杯と、終わらないカスタマーサポート
【第22話】給湯室の祝杯と、終わらないカスタマーサポート
「……随分と、楽しそうね」
背後から鼓膜を撫でた氷のような声に、大賢者ゼロスの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
首筋にヌルリと冷たい汗が這う。振り返るよりも早く、次元を繋いでいた通信の向こう側で、新魔王ザガンが「では私はこれで!」と早口で叫び、ブツンッ! と無情にも回線を切断した。
「あ、おいザガン!? 逃げやがったなあの野郎……ッ!」
ゼロスが引きつった顔で振り返ると、そこにはヴィクトリアが立っていた。限界まで酷使した肉体はまだ浅い呼吸を繰り返し、ドレスからは微かに錆びた血の匂いが漂っている。だが、見下ろす瞳の温度は絶対零度だった。
「き、休憩時間だぞ! 教国からのクレームは全部処理したし、ネットワークの乗っ取りも完了した! 俺の今日のタスクはゼロだ!」
ゼロスはベッドの上でジリジリと後ずさりし、防衛本能の赴くままにふかふかの羽毛布団を引き寄せる。
「国を救ったんだぞ! 三日は寝る! いや、一週間は一歩もこのベッドから出ないからな!」
頭から毛布を被り、ゼロスは強引に丸まった。
視界を暗闇で閉ざし、シーツの匂いを深く吸い込む。ああ、これでようやく究極の安眠が訪れる。神聖教国との大戦は終わったのだ。
しかし、毛布の上からヴィクトリアの冷え切った指先が、ゼロスの首元の『奴隷紋』を正確に撫でた。
布越しの接触だというのに、背骨が凍りつくような悪寒が走る。
「ええ、素晴らしい働きだったわ。貴方が教国のネットワークを乗っ取り、全信者の脳内へ『辺境産オーガニック野菜』のダイレクトメールを一斉送信した成果……しっかりと出ているわ」
「……だろ? 売上も出たんだ、ゆっくり休ませ――」
「あまりにも反響が大きすぎてね」
ヴィクトリアの言葉が、ゼロスの言葉を冷たく遮った。
「『購入方法を教えろ』『異端の野菜など食えるか』『カタログを送れ』……教国中から、凄まじい数の【問い合わせ】が殺到しているのよ」
毛布の中で、ゼロスの呼吸がピタリと止まった。
「……は?」
「【建国王の血璽】の基本条文、まさか忘れたとは言わせないわよ」
服が擦れる音。ヴィクトリアがベッドの脇に腰を下ろした気配がした。
「『新たなインフラを領地に組み込んだ者は、その運用と保守の全責任を負う』。貴方がハッキングして構築したダイレクトラインよ。その後の顧客対応まで担当するのが、システムの設計者の義務でしょう?」
ゼロスは毛布を跳ね除け、血走った目でヴィクトリアを睨みつけた。
「ふざけんな! 俺はシステムの構築をしただけだぞ! 運用とサポートは別部署の管轄だろ!」
「当領地に、そんな人手があるように見えるかしら?」
ヴィクトリアが冷たく微笑んだ瞬間、ゼロスの首元の奴隷紋が、耳をつんざくような甲高いアラートを鳴らした。
虚空に、無機質なウィンドウが次々と展開されていく。
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【結界改竄アラート】
[System] 建国王の血璽プロトコルに基づき、システム運用者の役職をアップデート。
[Process] 防衛最高責任者の兼任として、対象を『カスタマーサポート責任者』に任命します。
[Update] ネットワーク接収に伴う新規問い合わせタスクを受信中。
[Notice] 未処理タスク『204,512件』が追加されました。SLA(サービス品質保証)に基づき、初回返答期限は【本日中】です。
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「にっ……20万件!?」
ゼロスの視界が、スパムのように増殖し続ける赤い「未対応」の通知アイコンで完全に埋め尽くされた。
国家を救うという最大のミッションを完遂し、システムを乗っ取って大勝利を収めた結果。そのハッキングの成果(大量の顧客獲得)が、そのまま「問い合わせ対応」という巨大なブーメランとなって己の首を刎ねにきたのだ。
完璧なまでの、マクロ報酬構造の再発動。
「さあ、業務の再開よ。クレーム対応マニュアルは、もう頭に入っているわね?」
ヴィクトリアは優雅に立ち上がり、ヒールを鳴らして客室のドアへと向かった。
「待て! 待ってくれ! 俺は大賢者だぞ! 神聖教国を退けた英雄だぞ! カスタマーサポート!? 俺はコールセンターのバイトじゃないんだぞォォッ!」
ドアが、静かに閉ざされる。
部屋に残されたのは、終わりの見えない20万件の顧客対応タスクと、絶望に顔を歪める男ただ一人。
「睡眠時間を……俺の睡眠時間を返せええええええええええッ!!」
究極の安眠を求める大賢者の狂乱の悲鳴が、新しい朝を迎えた独立都市国家の空に、いつまでも虚しく木霊し続けていた。




