【第19話】聖女の公開討論と、冷徹なるロジカルモンスター
【第19話】聖女の公開討論と、冷徹なるロジカルモンスター
吹き飛んだ館の正門の先に、血と泥にまみれた純白の修道服が立っていた。
エコーチェンバーの中で狂気を煮詰めた聖女アメリアが、数千の信者を引き連れて辺境へ直接乗り込んできたのだ。
「出てきなさい、ヴィクトリア! この全信者の前で、私と直接……公開討論(精神攻撃)をしなさいッ!!」
館のバルコニーを見上げ、アメリアはヒステリックな金切り声を上げた。
無理な魔力行使の代償で口内にできた無数の血豆が、叫ぶたびに破裂する。彼女は「ツッ」と痛みに顔を引きつらせながら、ゴクリと生温かい血を飲み込んだ。不快なリップノイズが荒野に響くが、狂信者たちは彼女の狂態を「聖なる熱狂」と信じ込み、異端の館を険しい目で見つめていた。
バルコニーの大窓が、ゆっくりと開かれる。
冷たい風が吹き込む中、ヴィクトリアが姿を現した。ドレスの裾は乱れず、その姿勢は氷の彫像のように真っ直ぐだ。限界に近い肉体は浅い呼吸を繰り返しているが、彼女はそれを微塵も悟らせず、冷え切った指先をバルコニーの手すりに添えた。
「わざわざリモートで完結する業務を、対面でやりに来るとか昭和の営業マンかよ……交通費の無駄だろ、帰れ……」
ヴィクトリアの背後、客室の窓際で、大賢者ゼロスが塩気の強い木の実を齧りながら呆れ返っている。
「逃げ隠れはしないのね、この『膿』がッ!」
アメリアは空を切り裂くように指を突きつけた。
「あなたたちのせいで、世界は汚れ、人々は貧困に喘いでいる! その罪を認め、神の前で裁きを受けなさい! そうすれば、私たちの正義が――」
「御社(教国)の主張には、決定的にエビデンスが不足していますね」
アメリアの激情を、絶対零度の静寂が真っ向から切り裂いた。
ヴィクトリアの声には、熱も揺らぎもない。極めて冷徹で事務的な、BtoBのコンペティションで他社を詰める時のトーンだった。
「……は? エビデンス? 何を言って……」
「当領地の存在が、教国の貧困の原因であるという因果関係を証明する客観的データが存在しない、と言っているのよ」
ヴィクトリアは手すりに寄りかかり、見下ろすように言葉を続ける。
「昨年度の教国の税収減は約30パーセント。対して、独立都市国家となった当領地の経済成長率は前月比で400パーセントを突破しているわ。大衆の貧困の原因は、私という『異端』のせいではない。貴方たちの無能な経済政策と、上位層の過剰な免税特権による構造的欠陥よ。データを直視しなさい」
「な……ッ! 神の言葉にデータなどッ! 騙されないで、これは悪魔の詭弁よォッ!」
アメリアは顔を歪め、血の混じった唾を飛ばしながらわめき散らす。
「私たちは正義の祈りで、あなたたちを焼き尽くす! 皆の思いを、この膿にぶつけるのよ!」
彼女は両腕を振り上げ、再び大衆のルサンチマンを魔力へ変換しようとした。
だが、信者たちの間から、先ほどまでの圧倒的な熱が消え失せていた。
『自分たちの貧困の原因は、自分たちの国にあるのではないか』。ヴィクトリアが突きつけた冷徹な数値が、熱狂の炎に論理の冷水を浴びせたのだ。具体的な数字を突きつけられると、感情だけで群れていた集団は、急激に「自分ごと」として現実を計算し始めてしまう。
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【結界改竄アラート】
[System] 対象群(信者ネットワーク)の熱量低下を検知。
[Process] 魔力変換効率が78%下落。感情的ルサンチマンの論理的散逸を確認しました。
[Notice] 炎上結界の物理形成プロセスが阻害されています。脅威度は低水準へ移行中です。
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「よしよし」
ゼロスは安全圏から木の実を口に放り込み、満足げにうなずいた。
「クレーム対応の基本は、相手の感情的な言葉に数字でカウンターを当てることだ。客観的な論理を挟み込めば、同調圧力だけで繋がってた集団は必ず足並みが乱れる」
広場を包んでいた重圧が、嘘のように霧散していく。
ヴィクトリアは氷のような視線を、眼下のアメリアへと落とした。
「熱狂で人を動かせるのは、相手が思考を放棄している時だけよ。論理という現実の前に、貴方の空虚な言葉はもう何の価値も持たないわ」
「違う……違うわ! 違うのよォッ!!」
アメリアの足元が、ぐらりと揺らいだ。
彼女の視界の中で、信者たちの視線が『熱狂』から『戸惑い』へと色を変えていくのがはっきりと見えた。誰も、自分の言葉に酔いしれていない。自分を、神の代弁者として見ていない。
その事実が、アメリアの理性を完全に限界突破させた。
「どうして……どうして分からないの! 私が正しいのに! 私が!」
彼女はギクシャクとした動きで周囲を見回す。
隣に控えていた側近の修道士が、異様な空気とアメリアの凄惨な顔に気圧され、思わず一歩後ずさった。
そのわずかな挙動を、アメリアは見逃さなかった。
アメリアは急激にパーソナルスペースを詰め、側近の鼻先数十センチまで顔を近づけた。
血走った両目が、カッと見開かれたまま瞬き一つしない。
口の端から血を垂らし、浅く粗い呼吸を繰り返しながら、彼女はねっとりと低い声で囁いた。
「……あなた、今……私を嗤ったわね?」
狂気の牙が、完全に自らの身内へと剥かれた瞬間だった。




