【第16話】次元を超えた炎上対策会議
【第16話】次元を超えた炎上対策会議
領主の館、薄暗い客室。
無数の電子羊皮紙の波に溺れながら、大賢者ゼロスは血走った目で虚空を睨みつけていた。
彼の首元の奴隷紋から、次元を超えた魔界の執務室の音声が、ノイズ混じりに響き続けている。
『……ハァッ、ハァッ……ゼロス! どうなっている! 魔界のコールセンター(通信網)が完全にパンク寸前だ!』
新魔王ザガンの声はひどく掠れ、その背後からは「魔王様! 第3セクターのサーバーが落ちました!」という魔族たちの悲痛な叫びが聞こえてくる。
『「悪しき魔族を浄化せよ」「異端に手を貸す者もまた膿である」……そんな定型文の祈り(スパム)が、秒間3000件のペースで魔界のインフラに叩き込まれているのだ! 処理落ちで魔王城の空調まで止まったぞ!』
「……うるさい。こっちだって手動で仕分けしてんだよ」
ゼロスはベッドの上で丸まり、死んだ魚のような目で指先を動かし続ける。
「いいか、ザガン。こういう『自分は絶対的に正しい』と思い込んでる正義中毒のクレーマーに、『それは事実無根です』なんて正論で返しちゃダメなんだよ。火に油を注ぐだけだ。相手は反論されると『図星だから抵抗している!』ってさらに燃え上がる」
『ではどうすればいいのだ!? 実際、見えない大衆の悪意に当てられて、末端の魔族たちが息苦しさを訴え始めている!』
「まずは『貴重なご意見ありがとうございます、今後の運営の参考にさせていただきます』の自動返信でガス抜きだ。相手は『自分たちの正義が上に届いた』って錯覚すれば、満足して勝手にクールダウンする」
『な、なるほど……ッ。謝罪のテンプレで承認欲求を満たし、鎮火を待つのか』
「ああ。まともに相手をするだけリソースの無駄だ。俺たちの究極の目的は、論破することじゃない。定時で帰って(安眠して)、平穏な日常を守ることだからな」
通信の向こう側で、ザガンが胃薬を噛み砕く鈍い音が響いた。
『……貴様、なぜ世界最高峰の魔術頭脳を、そんな世知辛いクレーム対応ノウハウに浪費しているのだ。だが、助かる。私もかつては前任者の理不尽な要求に胃を痛めた身だ。この理不尽な炎上、なんとしても共に乗り切ろうぞ』
世界を二分するはずの「大賢者」と「新魔王」。
本来ならば相容れないはずの二人の間に、「悪質なクレーマーの被害者」という圧倒的な連帯感(社畜の絆)が生まれていた。
「だが、手動の仕分けじゃ限界がある。相手のトラフィック(祈り)を根本的に捌き切るインフラ工事が必要だ」
ゼロスはパジャマの袖をまくり上げ、奴隷紋の通信帯域をさらに拡張する。
「魔界のネットワークと、辺境のネットワークを極太のパイプで繋ぐ。相手から飛んでくる魔力波を、両国の空きサーバーへ交互に割り振って分散処理させる」
『なに? 我々のリソースを共有化するというのか?』
「そうだ。一箇所で受け止めようとするからシステムが落ちる。巨大な情報の波は、細かく切り刻んであちこちに受け流せばいい」
ゼロスは虚空に展開されたシステムコードに指を突っ込み、両次元のルーティング設定を丸ごと書き換えた。
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【結界改竄アラート】
[System] 独立都市国家・魔界間のVPN接続を最適化。
[Process] 外部トラフィックの分散処理を起動します。
[Update] 『祈りの魔力波』をラウンドロビン方式で両ネットワークの虚数領域へ自動ルーティング。
[Notice] トラフィック負荷が均等化されました。システムダウンの危険性は排除されました。
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「……よし。これで教国からのクレームは、永遠に空っぽの自動音声窓口をたらい回しにされる。俺たちはもう、画面を見る必要すらない」
ゼロスは深く息を吐き、ようやく冷たい枕に頭を沈めた。
一方、神聖教国ヴァレリウスの大広場。
純白の修道服を纏った聖女アメリアは、見開いた両目で虚空を見つめ、ピタリと動きを止めていた。
「……どうして」
腹の底から響くような、ねっとりとしたアルト声が震える。
彼女が扇動した数万の信者たちの『正義の祈り』。それは確実に辺境と魔界へ向けて放たれているはずだった。
だが、手応えがまったくない。相手が苦しむ悲鳴も、怯える反応も、システムからの反響すら一切返ってこないのだ。まるで、巨大なブラックホールに向かって石を投げ続けているような、底知れぬ虚無感。
(無視、されている……? この、神の代弁者である私の言葉が?)
アメリアの呼吸が、不自然に乱れ始めた。
大きく広げていた両腕が震え、彼女は無意識のうちに、自身の純白の胸元を乱暴に掻き毟った。修道服の生地が引き裂かれ、爪が白い肌を赤くミミズ腫れに染めていく。
「どうして……どうして分からないのォッ!?」
突然、鼓膜を劈くようなヒステリックな金切り声が広場に響き渡った。
あまりの高低差に、熱狂していた信者たちの肩がビクッと跳ねる。
「私は正しいのよ! 私の言葉は、神の言葉なのよォッ!!」
空を切り裂くように指を振り回し、アメリアは絶叫する。
だが、行き場を失った膨大な魔力は、発信者である彼女自身の肉体に凄まじい負荷となって逆流していた。
ギリッ、と。
彼女の奥歯が、口内の粘膜を深く噛み千切った。
柔らかい肉が裂け、血豆が形成され、それが一瞬で破裂する。口の中に、生温かく錆びた鉄の味が広がった。
「ツッ……」
アメリアは痛みに顔を引きつらせ、不自然に息を吸い込んだ。
ゴクリ、と。
大きく喉を鳴らし、口内に溜まった血を無理やり飲み込む。その不快なリップノイズが、静まり返った広場に生々しく響いた。
「……ああ、そう。分かったわ。まだ、祈りが足りないのね」
血の味に歪んだ口元。慈愛を装っていた表情筋は完全に崩壊し、口の端から一筋の赤い線が垂れ下がる。
狂気を孕んだ視線で大衆をねっとりと見回し、聖女はさらに重く、呪いのような言葉を紡ぎ始めた。




