【第15話】膿の烙印と、カスタマーサポートの憂鬱
【第15話】膿の烙印と、カスタマーサポートの憂鬱
神聖教国の広場から放たれた『正義の怒り』は、目に見えない情報の波となって辺境の領主の館を包み込んでいた。
執務室の床に膝を突いたヴィクトリアは、ドレスの裾を強く握りしめていた。氷のように白く変色した指先が小さく震える。物理的な打撃はない。だが、何十万という大衆の純粋な悪意が、彼女の脳髄と神経を直接削り取っていく。
浅い呼吸を繰り返すたび、喉の奥からせり上がる錆びた鉄の匂い。毛細血管が悲鳴を上げ、彼女の視界に暗いノイズが走る。
(……大衆の同調圧力など、為政者にはそよ風よ。こんなもので、私の膝を折れると思わないことね)
血の滲む唇を噛み締め、ヴィクトリアは冷え切った眼差しで虚空を睨みつけた。
その頃。一つ屋根の下にある客室では、大賢者ゼロスが死んだ目をしながら空中に浮かぶ無数のウィンドウを処理していた。
「はいはい、貴重なご意見ありがとうございますー。頂戴したご指摘は、今後の領地運営の参考にさせていただきますー。……って、なんで俺がカスタマーサポート(クレーム対応)やってんだよ!」
ゼロスはベッドの上であぐらをかき、ひたすらに届き続ける信者からの抗議の魔力波を右から左へ受け流していた。
彼が奴隷紋経由で構築した『スパムフィルター』は、当初は完璧に機能していた。
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【結界改竄アラート】
[System] 特定キーワードによるフィルタリングを開始。
[Process] 『膿』『異端』を含む魔力波を虚数空間へ隔離します。
[Warning] 対象のキーワードが『不衛生な体液』『神の教えに背く者』等に置換・難読化されています。
[Error] 自動識別アルゴリズムをすり抜けるトラフィックを多数検知。手動仕分けプロセスへ移行します。
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「ふざけんな! なんで『膿』って言葉を弾いたら、『濁った悪い汁』とか『不純な排泄物』とか、絶妙に言い換えて送ってくるんだよ! 完全に悪質なクレーマーの常套手段じゃねえか!」
ゼロスは血走った目で、次々とすり抜けてくる魔力波の文面を検閲する。
自動フィルターが効かない以上、宿主の精神と肉体が削りきられる前に、ゼロス自身が防波堤となって処理するしかないのだ。
手元に広げたお手製の「クレーム対応マニュアル」を指でなぞりながら、大賢者は無機質な声で対応を続ける。
「あー、その件につきましては現在確認中でしてー。はい、申し訳ございませーん」
感情を無にし、事務的な相槌を繰り返しながら、ゼロスは極小の魔力を指先に込め、有害なトラフィックを一つ一つ虚数空間へと放り込んでいく。
壮大な正義とルサンチマンを掲げる神聖教国の攻撃は、大賢者にとって「言葉尻を捕らえてくる面倒なカスタマー対応」でしかなかった。
「……あーもう、埒が明かない。相手は安全な場所から匿名で石を投げてきてるんだぞ。直接文句を言う度胸もないくせに、群れた途端に気が大きくなりやがって」
ゼロスが首を鳴らし、本格的なネットワークの遮断へと移行しようとした、その時だった。
『ビーッ! ビーッ! ビーッ!』
首元の奴隷紋が、内部の抗議トラフィックとは全く別の、外部からの緊急コールを受信した。
回線の向こう側から、魔界の新魔王ザガンの悲鳴に近い声が鼓膜を打つ。
『おい! 昨日のサポートデスクか!? どうなっているんだ!』
「なんだよ、こっちは今クレーム対応で忙しいんだ。掛け直せ」
『それどころではない! 今しがた、魔界のネットワークに「悪しき魔族を浄化せよ」という大量の抗議文が届き始めたのだ! 魔界のコールセンター(通信網)がパンク寸前だぞ!』
ゼロスの指がピタリと止まった。
辺境への攻撃が通じないことに苛立った聖女アメリアが、あろうことか攻撃の矛先を拡大し、魔界へも「正義の祈り」を送り始めたのだ。
「……あのヒステリック女、カスタマーサポートに繋がらないからって、魔界にクレーム入れ始めたのか」
『どうにかしてくれ! 予算不足の魔界に、これ以上のトラフィックを処理する余裕はない!』
次元を超えて響く、中間管理職の悲痛な叫び。
ゼロスは深いため息を吐き、死んだ目のまま通信回線の帯域を魔界へと拡張し始めた。




