【第14話】10万件のスパム抗議と、正義の劇場
【第14話】10万件のスパム抗議と、正義の劇場
独立都市国家への昇格。それに伴う、他国からの外交文書10万件の受信。
薄暗い客室のベッドの上で、大賢者ゼロスは完全に死んだ目をしていた。
「……おかしいだろ。いくらなんでも新設の国家に、一晩で10万件も外交文書が届くわけがない」
ゼロスは震える指で、空中に展開された未処理タスク(電子羊皮紙)の一つを開いた。
そこに記されていたのは、国交樹立の挨拶でも、通商条約の打診でもなかった。
『神の敵たる異端の魔女、ヴィクトリアを直ちに処刑せよ。さもなくば教国全土の正義の鉄槌が下るであろう』
「……なんだこれ」
次々と別のウィンドウを開くが、宛名と差出人が違うだけで、本文は一言一句まったく同じテンプレ文章だった。
「外交文書じゃねえ! ただの抗議文だ! しかも10万件全部、同じフォーマットのコピペじゃねえか! テンプレの抗議文を10万件も個別に送ってくるな! サーバー(俺の脳)が重くなるだろ! せめてBCCで一括送信しろ!」
徹夜明けの大賢者は、国家存亡の危機を報せる文書に対し、「メールの送信マナー」という極小の不満を爆発させて枕に顔を埋めた。
同じ頃、遥か遠く離れた神聖教国ヴァレリウスの大広場。
数万の信者たちが埋め尽くす石畳の熱狂の中心に、純白の修道服を纏った女が立っていた。
聖女アメリア。
彼女は両手を大きく広げ、すべてを包み込むような劇場型の身振りで聴衆を見下ろしていた。見開かれた両目は異常なほど瞬きが少なく、眼下の群衆一人一人を射抜くような強い圧を放っている。
「……聞いてちょうだい」
腹の底から響くような、野太く低い声。広場の喧騒が、そのねっとりとした声の引力によって一瞬で静まり返る。
「この国はね、もう病にかかっているの。辺境に巣食う、ヴィクトリアという……ひどく臭くて、醜い……」
アメリアの口元の筋肉だけが、ひきつったように歪む。慈愛の笑顔の中に、狂気が混じったアンバランスな表情。
「『膿』によってねッ!!」
囁き声から一転、ヒステリックな金切り声へと跳ね上がった音階が、聴衆の鼓膜と脳髄を激しく揺さぶった。
「そうだ! 異端を殺せ!」
「我らの貧困は、辺境の魔女のせいだ!」
大衆のルサンチマン(怨嗟)が爆発する。アメリアはその熱狂の渦の中心で、空を切り裂くように指を振り下ろした。
数万の信者から放たれる「正義の怒り」が、彼女の祈りというシステムを介して巨大な情報トラフィック(魔力波)へと変換され、辺境へと射出された。
――辺境、領主の館。
執務室に立っていたヴィクトリアは、突如として空間を満たした異様な『重圧』に、ガンッと膝を突いた。
「……ッ、ゴホッ!」
物理的な攻撃ではない。炎も氷も飛んできてはいない。
だが、見えない「何十万という大衆の悪意」が、情報の波となって直接脳髄と神経を削り取っていく。浅い呼吸が乱れ、毛細血管が軋む。ヴィクトリアの口内に、すぐさま錆びた鉄の匂いが充満した。
ドレスの裾を握りしめる指先が、氷のように白く冷え切っていく。
(大衆の、同調圧力……。直接的な暴力よりも、よほどタチが悪いわね……)
ヴィクトリアは血の滲む唇を噛み締め、何もない虚空を睨みつけた。
その瞬間、客室のゼロスの視界で、無数の赤いウィンドウが狂ったようにポップアップを始めた。
『ビーッ! ビーッ! ビーッ!』
「うわあああ! なんだこの異常なトラフィックの波は!」
ゼロスは脳内に流れ込んでくる魔力波の構造を、血走った目で瞬時に解析した。
「物理魔術じゃない……『異端』『膿』『死ね』っていう特定のキーワードを持った無駄な情報を、大量に送りつけてきているのか。完全に情報テロだろこれ!」
ゼロスは虚空のキーボード(魔術式)を叩くように、両手の指を高速で動かし始めた。
「他人のメシの種(宿主)を、匿名で安全な場所から叩きやがって……! 相手の正義の祈りだか何だか知らないが、こんなものは魔術でもなんでもない、ただの悪質な『迷惑メール(スパム)』だ!」
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【結界改竄アラート】
[System] 外部からの過剰な情報トラフィック(祈りの波)を検知。
[Process] 奴隷紋の帯域を拡張。防衛最高責任者の権限による【新規プロトコル】を定義します。
[Update] キーワード『膿』『異端』『魔女』を含む魔力波の自動識別アルゴリズムを構築中。
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「一括で迷惑フォルダ(虚数空間)に叩き込んで、完全ミュートしてやる!」
大賢者の眼光が、一切の感情を排した冷徹なシステム管理者のそれへと切り替わった。




