ep6
小さい猿は、オレンジの皮を剥き、妹たちに
分け与え始めた。
双子の妹たちの口に交互にオレンジを運ぶ。
「まあ なんて子なの!手伝ってくれるっていうの!?」
母は昨日とは真逆の反応だ。
俺は黙って見ているしかなかった。
「アシュリー! この子に名前を付けなきゃ!」
「え? 今なんて?」
俺は聞き返してしまった。
俺はそこまでは考えてなかったからだ。
「名前よ な・ま・え。 ねえ!」
と、母は猿に向かって言った。
猿はキャッキャといって飛び跳ねている。
なんか嬉しそうだ…
俺は
「そ…そうだね…」
そう返して外に出た。
庭先では父が素振りをしていた。
外に出られるようになってから
こうやって父が素振りをしている姿は初めて見る
光景だった。
俺の前世での経験から、父の太刀筋は相当なものだと
感じた。
体幹も太刀筋にも一切のブレが無い。。
普段の父からは想像もできない姿だった。
お姫様と駆け落ちしても王に許されるだけはある…
俺はそう思った。
「お、アシュリーじゃないか。おはよう。」
父は首にかけたタオルで額の汗をぬぐった。
「おはよう 父さん。」
「そうだアシュリー、お前もやってみるか? 剣術」
「え?」
そうは言ったが俺は多少の自信があったのだ。
「うん! やってみたい。」
「よし! じゃあ…これでいいだろう」
そう言って、納屋の横に数本立てかけてある棒を
一本選び俺に手渡した。
そして父と俺は少し距離を取り、向かい合った。
「アシュリー、まずは何でもいい、俺に棒を当ててみろ。」
「うん! じゃあ!」
その瞬間、俺は踏み込み、斬りかかった。
父は紙一重でかわしたが
俺はそのまま低い体勢から斬り上げた。
それもギリギリのタイミングでかわされた。
「!」
その瞬間父の目は一瞬鋭い輝きを放った。
「おお! アシュリー! やるじゃないか
まぐれとはいえ、父さんびっくりしたぞ!」
(まぐれではない…と口に出しそうだったが
俺はこらえた)
「さあアシュリー、来い!」
俺はもう一度、低い体勢で横なで斬りを繰り出した。
だが父に簡単に受け流された。
態勢を崩し、つんのめった。
「うん、アシュリー、今のは悪くないぞ!」
圧倒的に筋力が足りない。
それにこの棒に振りまわされている。
ふと父が言った。
「アシュリー、その棒をちょっと貸してくれ」
俺が棒を手渡すと、父は膝で棒を半分にへし折った。
「これを使ってみろ。」
父は折った棒の半分を俺に渡し
もう半分は父が手に持った。
「うん…これなら…」
俺は短くなった棒を逆手に持った。
(ほー どこでそんな… 面白いぞ! アッシュ!)
リースは内心、わくわくし始めている事を
あえて表情には出さなかった。
(この方が俺は得意だ…)
俺は心の中で呟いた。
剣や魔法は無い前世では拳銃やライフルといった
銃火器が戦闘におけるメインウエポンである。
しかし、銃火器の弾切れ、あるいは今の世界の魔力切れ
が起った場合、物理的にどうしようもない状況から
自分を守る手段として、身軽になり、殺傷能力が高い
ナイフ操術は危機を脱出する際、必要不可欠な技術だという
認識が常識であった。
だから俺も他の傭兵や暗殺者も、ナイフの訓練は
欠かさなかったのだ。
俺は父に向かい、一気に踏み込んだ。
そして、父の間合いに入る瞬間、態勢を低くして
右に回り込んだ。
反転し、棒を父の横腹に突き立てる。
「おっと…」
といって紙一重でかわす父。
俺はすかさず足払い。
父はジャンプでかわす。
俺は下から突き上げる。
父はバック転で後ろに下がる。
「おおお!! アッシュ! すごいじゃないか!
お前は本当に5歳か…‥?」
父は手を叩いて喜んでいる。
だが俺は焦っていた。
確かに当てたはずだ‥‥と。
何故当たらない——
「アッシュ、じゃあ父さんから行くぞ!」
父がそう言った瞬間
父の姿は消えていた。
その時、横から棒が現れた。
俺は寸前で後ろに飛び、直撃を免れた。
「おおっ! よくかわしたな アッシュ!」
父は満面の笑みを浮かべていた。
しかし俺はすぐさま反撃。
だが当たらない。
何をしようと、俺の木の棒は父にギリギリで
かわされる。
完全に遊ばれている…
最後は父は俺の背後から木の棒を軽くポンと
頭に置いた。
(強い…俺が非力で背が小さい事を差し引いても‥‥)
「アシュリー。お前はやっぱり天才だ。
明日から父さんが稽古をつけるぞ!」
そうして、5歳の俺は、父から剣術の稽古を受ける事となった。
◆
「エミリア! 聞いてくれ! アシュリーはやっぱり天才だ。
こいつには剣術において才がある。」
「はいはい、わかったわ。
とにかく、手を洗ってらっしゃい。
やーねー、男って。戦う事ばっかりで」
母が双子の妹たちにそう語りかけると
「やーねー」
「ねー」
と言ってキャッキャと笑った。
猿はキキッと言ってジャンプした。
「そう言えばアシュリー、今日はロバート爺さんの小屋に
行くって言ってたよな。」
「うん。砦を通るからその時に一緒に行こうって。」
「それとアシュリー、このお猿さんの名前ね
“デオ“っていうのはどうかしら?」
「ん? 名前って? どういう事? エミリア?」
父は俺と母を交互に見た。
「この子は今日から家族の一員よ!パパ」
リースはコーヒーを噴き出した。
「ちょ…ま…それは 魔物だぞ…」
俺は慌てて父の口をふさいだ。
そして目くばせして首を横に振った。
◆
俺と父は昨日と同じく、ミッキーの馬小屋に行き
馬に乗って門まで行った。
「あの猿は大丈夫なのか?アシュリー」
馬上で背中越しに父が言った。
「多分…
でも母さんも妹も気に入ってるし
悪い魔物じゃないと思う。」
「まあ巨大化しても、
ママが一瞬で消し飛ばすか…」
「あはは…」
俺は笑うしかなかった。
俺たちはほどなく、砦に到着した。
そして昨日と同じように櫓に上り、
俺は父たちの仕事を見物していた。
そして昼頃になり、ロバート爺さんは現れた。
◆
「リース、夕方にはこの子を送り届けよう。」
ロバートは父にそう言った。
「よろしくお願いします。
アッシュ、ロバートさんの言う事をきちっと
聞くんだぞ。」
「うん」
「ミッキー、門を頼む!」
リースが声を掛けると
巨大な門はギギーっときしむ音を立てて開いた。
門を出ると、うっそうとした森が迫っていた。
そして、細い道が蛇行しながら上に伸びていた。
「アシュリー、この道から絶対にはみ出るなよ。」
ロバートが言った。
「はい」
「うん、いい子じゃ」
「もしはみ出たらどうなるんですか?」
「死に近づく事になる。」
「どういう事?」
「この山々は腐敗の毒に侵されておる。」
「……」
「腐敗の瘴気に当てられた者は、肉体を腐らせながら理性を失い、
やがてグールとなって彷徨い歩くのじゃ。」
「父さんはそんな風には言ってなかったよ?」
「まさかお前がわしの小屋に行くとは思ってなかった
からじゃろ」
「じゃあ、デオは…あ、昨日の猿の事です。
どうして無事だったんですか?」
「ほとんどの魔物には腐敗の瘴気は通用せんのじゃ。」
俺はロバートの少し後ろを歩きながら話を聞いた。
門からここまで30分ほど歩いただろうか。
この間、いくつもの分岐があり、それを迷わず
ロバートは歩いて行った。
やがて少し登った先に小屋の屋根らしきものが見えてきた。
「さ 着いたぞ。」
その建物は丸太小屋であった。
森に飲み込まれたようにひっそりと建っていた。
家全体を植物が覆っていて、まるで緑の外壁のようだった。
藁ぶきの屋根には苔やキノコが生えていて、見慣れぬ虫が飛び交っていた。
ポーチは巨大な岩を切りだしたような形で
どれくらい深く埋まっているのか分からないが
かなり巨大な岩だと思われた。
ロバートが玄関のドアを開けると
ドアベルがカランと音を立てた。
部屋は薄暗かった。
様々な匂いが漂っていた。
長い年月をかけて家中に染み付いているのかもしれない。
だがなぜか嫌な匂いだとは思わなかった。
窓際には見た事も無い葉や根っこがぶら下がっていて
薄緑のカーテンがかかっていた。
壁一面の書架。積み上げられた古書。床に無造作に置かれた魔導書。
革表紙は擦り切れ、ページには何百年分もの知識が染み込んでいるのかもしれない。
開かれたままの本には複雑な魔法陣と解読不能な文字が記されていた。
中央の床には、淡く青白い光を放つ巨大な魔法陣。
その光は呼吸するように脈動し、細かな粒子がうっすらと舞っていた。。
まるで部屋そのものが生きているかのようだった。
「この部屋にいるだけで、元気になっていく気がします。」
「ほっほ、そうじゃろう。」
ロバートはそれだけ言って、隣の部屋へ俺を案内した。
その部屋は殺風景だった。
簡素なキッチンと古びた丸いダイニングテーブル。
飲みかけのコップが置かれていた。
そしてすぐにドアがあり
ロバートはそのドアを開けた。
小屋の裏手に出た俺は、目の前の光景に言葉を失った。
そこは庭だった。
様々な植物が綺麗に植えられている。
見た事も無い葉っぱを持った植物や色とりどりの花の周りを
数匹の蝶が舞っていた。
そして庭が終わる辺り、薄い膜が張られていた。
「アシュリー、この膜が結界じゃよ。」
シャボン玉の中にいる感じだろうか。
その膜の外側に、無数の人間がびっしりと張り付いていたのだ。
何かを叫びながら、膜を叩き、引っ掻き。
まるで恨みつらみをこちらに向けているようだ。
「あれらがグールじゃ。渇きを潤そうと、ここまでやって来るんじゃ」
俺は暫く言葉を失った。




