ep25
鬱蒼とした森だった。
空を覆うような巨木のそのわずかな隙間を抜けた陽光が、
薄霧の中に差し込んでいた。
湿った土の匂い。
遠くで聞こえる鳥のさえずり。
その静寂の中を、2人のエクセシア兵が歩いていた。
今日この森で行われている試験の監視役として、決められた順路を
見回っているところだった。
「おい聞いたか?」
「何をだ?」
「ゴブリンが出たんだとよ。さっき班長から連絡があった。」
「ゴブリン? あれだけ山狩りやったのにか?」
「どうもきな臭いっていうんで、上層部は会議らしい
中止もありえるって事だ。」
「どうせたまたまだろう、ゴブリンの斥候は巣から100kmでも
歩き続けるからな。腹をすかして迷い込んだんだろうぜ。」
「で、そのゴブリン、受験生が倒したらしいぜ。」
「ほほ! そりゃあ期待できるな!」
その時、兵士は何かを感じた。
「待て…」
「ああ…鳥の鳴き声が止まった。」
二人は抜刀し、背中合わせになった。
陽光が肌を熱し、緊張もあいまって体中から汗が噴き出た。
茂みの奥や、岩陰に変化が無いか意識を集中させた。
その時、一人の兵士が異変に気づいた。
足元の影が、ゆっくりと盛り上がっている。
「なんだ…?」
その影のふくらみは徐々に高くなっていき
やがて兵士が見上げるほどになった。
「なんだこれは!? う、動けん…!!」
「ヒヒヒ…まったく軟弱じゃな
エクセシアの兵は。」
黒い影はそう言うと徐々にその姿を現した。
「き、貴様は誰だ!?」
兵士が言った。
頭から足元までを覆う、擦り切れた漆黒のローブ。
フードの奥には、死人を思わせる青白い顔が浮かんでいる。
頬は削げ、鼻は異様に長く、裂けた口元に不敵な笑みを浮かべている。
痩せ細った身体に反して、肩だけが不自然なほど大きい。
「お前に名のる名は無い。
ただワシに出会ったお前が哀れだという事だ。」
その男がそう言ったと同時に
兵士達の足元から植物の蔦が這い上って来た。
その蔦は兵士達に巻き付きながらやがて首に到達し
二人の首をキリキリと締め上げ始めた。
「うが…うご…ぐは…」
「カッ…はっ…ああ…」
二人は息を吸えず、言葉も出ない、やがて泡を吹き
瞳が裏返った。
だがローブの男はふと茂みの奥に気配を感じ
二人の兵士を解放し、再び影に溶けた。
ラッツ・ビッターデンは鬱蒼とした茂みをかき分けながら
進んでいた。
「どこだ ここは? クソッ!
迷っちまった…」
そして前に進みながら茂みの奥に何か違和感を感じていた。
垂れ下がった枝をかき分けた時だった。
「ん?なんだ?人か?」
そこには兵士が二人、横たわっていた。
「寝てんのか?
迷っちまってよ! おい! おっさん!」
ラッツの呼びかけに反応しない。
「おいまさか…」
ラッツの顔が青ざめていく。
すると兵士を見下ろしている自分の影が
少しずつ伸びていく。
背後に何かいる…
あわてて振り返ったラッツの目の前には
黒い大きな影が立っていた。
ローブから覗く青白い顔の口元だけが
笑みを浮かべていた。
「だ…誰だ!? テメー!」
男は何も言わない。
「答えやがれ!」
ラッツは叫んだ。
「おやおや…威勢がいいガキだ…ヒヒヒ…」
ローブの男は気味の悪い笑みを浮かべた。
ラッツが腰のナイフのハンドルに手をかけた瞬間
腕がその位置でビクとも動かせなくなった。
いつの間にか蔦が全身に巻き付いてラッツは縛りあげられていた。
宙に浮いた状態のラッツは足をバタつかせるしかなかった。
「う…離せ! クソが!」
「口の悪いガキだ。
すぐに口がきけないようにしてやろう。
ヒヒヒ」
男はそう言って長く尖った爪をラッツに見せた。
その瞬間、横の茂みから何かが飛び出てきた。
蔦は切断され、ローブの男は一瞬で姿を消した。
取り残されたラッツは前のめりで地面に倒れた。
ラッツはその人物に視線を向けた。
「て てめえは…」
「ヒヒヒ…誰かと思ったら
可愛いお嬢ちゃんじゃないか…」
その声は辺りの茂みに響いた。
「あんたなんかあのまま死ねばいいと思ったけど
見殺しにしたら私自身が死んでしまう。」
「チッ…」
蔦でグルグル巻きにされたラッツは体を動かして
脱出を試みている。
「逃げるわよ!」
「おい!待て! お前…」
「シルヴィよ!」
しかしシルヴィの目の前にローブの男が現れた。
「ヒヒヒ…」
ローブの男はそう言って懐から先が二股になった
奇妙な形の短剣を取り出した。
それと同時にシルヴィの影から蔦が生え、足に絡みついた。
「ッ!!」
シルヴィはナイフで蔦を切断したが
同時にローブの男が飛びかかって来た。
シルヴィはなんとか飛び退いたが、態勢を崩して
倒れ込んでしまった。
そこにまた蔦が絡みつく。
その瞬間、シルヴィの横をラッツが走り去っていくのが見えた。
「くそ…アイツ…!」
ワラワラと絡みついてくる蔦で徐々に体が言う事を
聞かなくなっていく。
「ヒヒヒ…殺すには惜しいの…」
地面に貼り付けられてもがくシルヴィを見て
男は短剣の刃をペロリと舐めた。
ラッツは茂みをかき分けながら
走っていた。
「ケッ! 間抜けな女だぜ
俺なんて助けなけりゃ…」
しかしそんな言葉とは裏腹に走る速度は
落ちていく。
「チッ…!」
ラッツは立ち止まり、踵を返して元来た方角に
走り出した。
「どうじゃ? 友達に見殺しにされた気分は?ヒヒ…」
ローブの男が言った。
「友達じゃない。」
シルヴィは猛獣の低い唸り声のように言った。
「おお…良い良い…その表情、その感情…
恨み、妬み、憎悪…ヒヒヒ…」
ローブの男はナイフを天高く掲げた。
「さあ生娘の生き血を啜るがよい
悪魔の短剣“グリムネイル”よ!」
と言ったその時
「おい!!」
と声がした。
「おやおや…わざわざ戻ってくるとは…」
と振り返った瞬間、斬撃がローブの男を襲った。
カン!という音が鳴った。
ローブの男はラッツの一撃をグリムネイルで受け止めていた。
「ほお じゃが…」
ローブの男はそう言うと、筋張った手の平に
空気の弾を即座に作り、ラッツの腹に押し当てた。
「ぶああ!!!」
ラッツは数メートル吹き飛ばされた。
なんとか立ち上がろうとするラッツ
「おやおや、あれを食らって動けるか
坊主。」
ローブの男は立ち上がり、ゆっくりとラッツに向かって
歩き始めた。
「お遊びは終わりだ。」
ローブの男から笑みが消えた。
その時
男はドン!という衝撃を背後から感じた。
「う…何!?…お前は…」
シルヴィは背後から、ナイフを突き立てていた。
「油断したわね!」
シルヴィが叫んだ。
「……」
ローブの男は何も言わない。
「手ごたえはあった…確かに今…」
だが刺したはずのナイフがピクリとも動かない。
それどころか、ゆっくりと押し戻されていく。
ローブの男はありえない角度で後ろに腕を回し
シルヴィの一撃を受け止めていた。
それと同時にシルヴィに蔦が絡みついていく。
巻き付く速度はさっきとは比べ物にならない。
ローブの男はグリムネイルを小さく振りかぶって
シルヴィの腹を突き刺さそうとした瞬間
パキーン!
という音と共にグリムネイルが砕け散った。
「何!?」
ローブの男は一瞬で影に潜った。
それを追うように、何かが着弾していく。
「誰じゃ…ワシの動きが見えている。」
ローブの男は影から影に移動しながら何かが飛んでくる方向を
探った。
おかしい…半径100mの範囲ではない…
どこから…どこだ…どこだ…
逃げながら思念を影から影へ移動させ範囲を広げていく。
500m…1000m…1200…!!
1230m先に何かいる…
崖の上…あれは…
その時、声がした
「おい!! しっかりしろ!!」
「受験生二名確保!! 負傷している模様」
エクセシア兵が叫んでいる。
次第に、兵士や魔法使いなどが集まり出した。
まずい…人が集まり出した…
仕方ないが一度退く…
しかしあれは何じゃ…あの距離から…
信じられんが…子供じゃった…
ローブの男はそのまま闇の中に消えていった。
◆
兵士達が慌ただしく動き回っている。
シルヴィとラッツは治癒魔法で回復していた。
一通りの報告も終わり、巨大な木の根っこの上に
座っていると、一人の男が近づいてきた。
大柄で無精ひげを生やしている。
「大変だったな」
二人とも黙っている。
「フィールドワークの試験は中止になるかもしれない。」
男がそう言うと二人は視線をその男に移した。
「“死告げのヴァレス” 恐らくそいつだろう。
君達の報告からの推測だがね。」
「そんな事はどうだっていい
試験が中止になったら合否判定はどうなる。」
ラッツが吐き捨てるように言った。
シルヴィも男の答えを待った。
「まあ待て、決まった訳ではない。
上層部が話し合っている。それに…
ヴァレスとやりあった君達がどうなるのか
見てみたいしな。」
男はにやりと笑った。
「結論が出るまでここで待機だ。
わかったな。」
そう言って男は去っていった。
暫く沈黙が続いていたが
やがてシルヴィが口を開いた。
「私、待ってられない。
こうやってボーっとしてる間に
他の人たちはシニカの洞窟に
辿りついているかもしれない。」
「フン…」
ラッツは鼻で笑った。
少しして、先ほどの男が戻って来ると
シルヴィとラッツの姿はなかった。
「やれやれ…」
蒼鷺騎士団副長のジャック・シボレーはため息をついた。
だがその表情は少し嬉しそうだった。




