ep13
「んぐっ‥‥兄さんに!?」
エミリアは一呼吸おいてそう言った。
「ほっほっほ…」
ワイゼルは笑顔で笑った。
「何かされなかった?怪我は?」
母は俺の体をチェックした。
「くすぐったいよ!何もないってば。」
「キアラ、何があったのか
説明しなさい。」
ワイゼルが言った。
「実は…」
キアラは今日起きたことをつぶさに説明した。
「何をやってるのかしら…
あのバカ兄貴は…」
エミリアはため息交じりに言った。
「だけど、すごく楽しかったよ。
父さんや母さんの昔の話なんかも
たくさん聞けたし!」
俺は少し意地悪い笑みを浮かべて見せた。
「ちょっと! 何を聞いたの?
教えなさい!」
母は慌てている。
「それは言えないよ、メルシオおじさんとの
約束だからね。」
「ちょっとアシュリー!
ほんとに悪い子!」
エミリアはプッとふくれっ面をした。
「でも…僕はこの国が好きになったよ。
母さん。」
「うん、よかった。」
エミリアはいつもの優しい母の顔に戻った。
ワイゼルとキアラも優しく微笑んだ。
◆
カランカランと御者のオンジが鐘を鳴らす。
「他に北の砦方面の方はいらっしゃいますか~
もうすぐ出発しますよ~」
オンジが声を張り上げた。
「この季節に雨とはめずらしいの」
ロバートが言った。
昨日、エクセシアで一泊したあと、今日は家に
とんぼ返りするという慌ただしい行程だ。
エクセシアは明け方から雨が降り出した。
傘をさす人々もまばらで、露店も閉っている店が
多い。
「マルトマイヤーさんに挨拶しとかなくて
いいのかな?」
「今回は二日という工程ですので
あまり時間がありません。
私の方から伝えておきましょう。」
大きな黒い傘を差したワイゼルが言った。
俺たちの住む村、北の砦方面への乗客は
俺たちの他に、30代くらいの男と中年の女性が
一人乗っていた。
男は左手が無く、誰の目にも戦傷で退役したのだと
理解できた。
俺はふと気配を感じ、あたりを見回すと
停留所から少し離れた休業中の露店の横に
赤いドレスを着た女性がこちらの様子を伺うように
立っていた。
エクセシア特有の赤毛から雨水が滴っていた。
昼間の仕事をするようには見えない。
そんな女性と俺たち一行との接点は無いはずだ
だとすると…
いや…俺たちには関係ない事だ。
前世の俺ならば、こんな事はやり過ごしてきた
だが、今の俺は、体が勝手に反応していた。
「あの…」
俺は奥の座席に俯いて座る、片腕の無い男に
声をかけた。
母もロバートも表情をこわばらせた。
だが、俺に何も言わなかった。
「なんだ?」
けだるそうに男は俺を見た。
「あそこに立っている女性…
あの赤いドレスの女性はお知り合いですか?」
俺は女性を指さした。
男はゆっくりと視線を俺の指さす方向に
向けた。
「!」
その瞬間男の目が明らかに見開かれたが
すぐに視線を下に落とした。
「いや…」
男はそう言って体を丸め顔を伏せた。
「おせっかいかもしれませんが…
あの女性はあなたを必要としています。」
「俺とは関係ないんだ。坊主。」
顔を上げずに男は言った。
「すみません、ワイゼルさん、あの女性に傘を
渡して頂けますか?」
俺はワイゼルに女性を指差してみせた。
「はい」
ワイゼルはやさしく微笑み、ゆっくりと歩いて行った。
女性の元に行ったワイゼルは予備の白い傘を手渡し
少しだけ言葉を交わして戻って来た。
「あなたに伝言を預かってきました。」
ワイゼルは静かに言った。
男は顔を伏せたままだ。
「生まれて来る子供の名前は
男なら、ジョシュア・ハートランド・Jr
女の子なら、サラ・ハートランド
にするつもりだと。」
ワイゼルが言った。
その瞬間男はハッと顔を上げ立ち上がった。
「御者の旦那、やっぱり俺行けねえわ
乗車賃は取っといてくれ。
それと坊主…ありがとな。」
そう言って荷台から降り、駆けていった。
男が女性を抱きしめると、白い傘が
はらりと落ちた。
雨脚は強さを増した。
ワイゼルは微笑みながら頷いた。
「余計な事だったかな…」
俺は呟いた。
「ううん」
母はそれだけ言った。
少しだけ嬉しそうだった。
オンジが鐘を鳴らす。
「出発致します。」
馬車はゆっくりと雨のエクセシアを出発した。
車内は皆、言葉少なく、それぞれの思いに
ふけっているのだろう。
やがて中年の女性は途中の小さな宿場町で下車した。
エクセシアの街でも、手足が欠損している者や
目に眼帯をしている者を多く見かけたが
この宿場町にもそのような者を多く見かけた。
仕事が見つからず、道端に座り込んでいる者や
壁際にうな垂れている者達も多く居た。
街道沿いには、倒壊し焼け焦げた家屋や、更地になった土地、
名も無き墓などがいくつもあった。
何処かしこに戦争の傷跡は色濃く残っていた。
戦争は終わっていない。
休戦しているだけなのだ。
何かの拍子にまた戦いが始まる。
そんな状況をまざまざと見せつけられた
ようだった。
しかし、2日間という短い行程だったが、この国に
生まれ変わり、この世界がどのような構造なのか
理解するにはかなりいい経験ができた。
「おかえり」
父リースが停留所まで出迎えてくれていた。
「ただいま!父さん。」
「エクセシアはどうだった?」
「楽しかったよ!とっても。」
メルシオとの一件を話すと
リースは母と同じリアクションをしたのは
言うまでもなかった。
「明日はバスケス達と山へ行くんだろ?
アシュリー 疲れないか?」
父が言った。
「大丈夫だよ、父さん。
疲れなんて無いよ」
だがなぜかその夜はなかなか寝付けずにいた。
◆
「よう、アシュリー おはよう!
今日は早いな、リース。」
バスケスが櫓の上から俺たちに声をかけた。
「バスケス、カチュア、ちょっと話があるんだ。
下りて来てくれるか?」
父リースは櫓に向かって大声で言った。
「話だって? 何の事だ?
告白でもされんのか?」
「馬鹿野郎!さっさと降りて来てくれ。」
ほどなくして、二人は下りてきた。
「話って?」
「ああ、ここからはロバートに話してもらう
お前たちの代わりに俺が櫓に行くよ。」
「?」
二人は首をかしげた。
「バスケス、カチュア、落ち着いて聞いてくれ。
グールの事じゃ…」
「!?」
二人の顔色が変わった。
「冷やかしや からかいは無しにしてくれ
ロバート、いくらあんたでも
許されない事がある。」
「もちろん、理解している。
お前たちの前ではこの話はタブーだからな。」
「じゃあ、どんな話なんだ?」
そこからロバートは俺の事を話した。
「500体だと!?……
奴らは只の魔物ではない。
歴戦の兵士でもてこずるんだぞ。
そんな話を誰が信じる?」
「だから今からそれを見せるんじゃ。
俺の小屋へな。」
「アシュリー、私は以前、2万の兵を
率いていたんだ。
お前の事は初めて会った時から、普通ではないと
思っていたが、これはあまりに突飛すぎる。
この爺さんの世迷言に付き合わされているなら
早々に家に帰った方が良い。」
「バスケス、この子を追い詰めないでくれ。
頼む。これはわしが言い出した事なんじゃ。
わしの名誉などどうでもいい。
ただ一度だけ、この子を信じてくれ」
ロバートは静かに言った。
「カチュア、お前はどう思っている?」
バスケスが言った。
「……ロバートが嘘をついているとは思えない。
それに…」
カチュアはフードを取り、俺を見た。
透き通るような白い肌が露になった。
カチュアの赤く潤んだ瞳が俺を見つめた。
射抜かれたような、全て見透かしたような
瞳だった。
俺はカチュアにゆっくりと頷いた。
「行きましょう姉さん。」
カチュアが言った。
「ふっ…妹がこんな事を言うのは
珍しいことなんだ。
わかったよ、ロバート爺さん。
あんたの世迷言に乗ってやろう。」
「うん、ありがとう。
では早速わしの小屋へ行こう。
実際に見た方が話がはやい。」
ロバートは荷物を背負いなおした。
「砦番はどうするんだ、まだ終業時刻には時間がある。」
「バスケス! 心配するな、俺がやっとくよ!」
櫓の上から父が声をかけた。
「何から何まで…計画してたのか?」
「そんな大層なもんじゃないがな…」
そして、俺たちはロバートの研究室に向かった。
◆
ロバートの小屋に着くと、やはり結界の向こうに
は、無数のグールが蠢いていた。
俺たちを見つけると、こちらに来ようともがいている。
気が付くとカチュアが弓を構えていた。
黒檀の弓が目一杯引かれ、ギリギリと音を立てていた。
「カチュア!」
バスケスが叫んだ。
カチュアの脳裏には、かつてグールに殺された部下の、
そしてオライオンの事が昨日の事のように
思い出されていた。
あのグールは部下だった奴かもしれない。
だが、あのまま、あの腐った獣のままこの世に
姿をさらし続ける事は耐えられなかった。
「カチュア!弓を降ろせ。」
再度バスケスがそう言うと同時に、カチュアの弦は
指から離れていた。
先頭のグールの眉間に突き刺さる。
すごい精度だ…
寸分の狂いも無い。
俺は背筋がゾッとした。
カチュアがもし敵であれば、倒されていた
かもしれない。
だがグールは頭に弓が刺さったまま
動き方は全く変わらず、こちらに
来ようとしていた。
「ほら…何をしたって無駄さ。」
バスケスはため息交じりに言った。
「じゃあこっちに来てください。」
俺は小屋の屋根に続くハシゴを登った。
バスケスとカチュアもついてくる。
「バルキリー…」
おれは小さな声でバルキリーを呼んだ。
するとライフルが俺の手に収まるように
出現した。
「これがお前のスキルか?
アシュリー」
「うん。」
俺は頷いた。
いつものように寝そべり、スコープを覗く。
バスケスもカチュアも固唾を飲んでみている。
コアがくっきりとわかる。
精神を深い海の底に沈める。
ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
吐き切ったところで息を止める。
世界が止まる。
カチュアとバスケスは息をすることを忘れていた。
この、まだ5歳の子供の集中力に。
いつの間にか二人はアシュリーと同調していた。
一瞬、空気がピンと張りつめる。
そして俺はゆっくり引き金を引いた。
バンッ!
一体のグールが砂の様に空気に
溶けていった。
カチュアが目を閉じた。
バスケスの口角が少しだけ上がった。




