相談No.4 置いてきぼりの吟遊詩人
どんよりとした雨雲が広がる、ある日の南西通り。
遠い国からやってきた吟遊詩人のティアナは、誰もいない宿屋の部屋で呆然としました。「フリームニルの洞窟」を目指して仲間と旅をしていましたが、こんなことになるとは思ってもみませんでした。
置いていかれた。
彼女はすぐに気づきました。道具も食料も持ち去られ、残っていたのはパンひとつも買えないような小銭と、ティアナの相棒である「金の竪琴」だけ。
「どうしましょう。ああ、私、どうすればいいの……!?」
ティアナは雨の中、見知らぬ街をさまよいます。
顔に叩きつける雨粒はだんだんと大きくなり、目についた水晶屋の軒下に駆け込みました。曇天を見上げて立ちすくんでいると、カラン、とベルが鳴り、そっと空いたドアから一人の男が顔を覗かせます。
「大丈夫?」
「ええ……少し、雨宿りをさせてください」
「それは構いませんが」
「すみません。雨が止んだらすぐに去りますから」
ティアナは、この雨が止まなければいいのにと、胸の中で思いました。ずうっと雨が降ったまま、ここから動く理由を奪い続けてほしい。うつむいたまま、男に問いかけました。
「私は、竪琴を弾いて歌を歌えます。この辺りに、私のような者を必要とする場所はあるでしょうか?」
「歌ですか……。僕はあまり詳しくなくて」
男は申し訳なさそうに首を振りました。
突然、男の足元から飛び出した女の子が、水たまりに飛び込みました。
「わぁーーー!」
「うわっ、スウィルト! やめろ!」
服は一瞬で泥だらけになり、女の子は水たまりに顔をつけて雨水をごくごくと飲みだします。
「えっと、もしお金に困っているなら、”あそこ”に行ってみたらいいんじゃないですかね。あっスウィルト、服を脱ぐな!」
「あそこ……?」
「そこの角を曲がったら果物屋があって──スウィルト! カエルはだめだ!」
「……」
重たい雨雲は通り過ぎ、あたりはいつの間にか、小川のせせらぎのような優しい小雨へと変わっていました。
苔むした石の階段を上ると、目印の赤い旗はすぐに見つかりました。
「こ、こんにちは。旅の者ですが……」
長い黒髪を下した男は「どうぞ」と気だるげに答え、彼女を迎え入れました。
純情なティアナは、この国で「レーベリヤ」が何を意味するのか知りません。なので、目の前にいる男の名前が「レーベリヤ」なのだと思っていましたし、何か歌を歌う仕事を紹介してもらえるのだと信じていました。しかし話が進むにつれ、ここがどうやら悪徳な金貸しの家だということが分かると、自分のあまりの浅はかさにぽろぽろと涙を流し始めました。
「……借りないなら帰ってくれるか?」
「うう、ひぐっ……ひぐっ」
「ていうか、本当に金ないの?」
「ええ、ありませんよ! お金があれば、雨に濡れながらこんな所には来ないでしょう……!」
レーベリヤは、彼女がなぜこんな嘘をつくのか不思議に思います。
立ち上がり、濡れた服を乾かしてやると言って、彼女のコートを脱がせてやりました。ティアナは「あ、ありがとう……?」と警戒しながらも、極悪人だと思った男がふいに見せた優しさに戸惑います。
盗賊の勘はぴたりと当たりました。コートの内側のポケットに、一番上等な金貨が入っています。宿や食事に文句を言わなければ、一か月は問題なく暮らせるでしょう。しかし、彼女は金貨の存在には気づいていない様子です。
暖炉の前にコートを掛けながら、レーベリヤは金貨を素早く抜き取りました。ティアナは「自分は仲間に捨てられた」と語りましたが、何か勘違いをしていそうです。でも、レーベリヤには関係のないこと。何食わぬ顔で「今日の宿はどうするんだ」と話を続けました。
結局、ティアナはお金を借りてしまいました。
今日の食事と宿代だけですが、三日後には倍の金額を返さなければなりません。
街の大きな楽団をたずねましたが、この国の歌を歌えませんでした。貴族の館に行きましたが、出自の分からぬ女だと取り合ってもくれません。冒険者ギルドでは、有名な冒険者の武勇伝を歌う必要がありましたが、ティアナは何一つ知りません。最後にやってきた酒場でようやく、ティアナの国の歌を知る客がおり、少しは演奏できたものの、返済にはほど遠い小銭が稼げただけでした。
三日目、ティアナは教会へ向かいました。
お金を貸してもらえないか。ティアナはすがりますが、修道士は彼女がレーベリヤと関わっていると知るや、鬼のような形相で追い払いました。この時代、この国においてレーベリヤとは、「弱き者から搾取する悪魔」であり、「富める者は貧しい者に施すべき」という神の教えに反する、教会の敵だとみなされていました。
ティアナは竪琴を抱え、途方にくれました。
行くあてはあります。行かなければなりません。重い足を引きずりながら、果物屋の脇の階段を上りました。
「それで? 返せない理由は分かったから、早く金を出せ」
レーベリヤは、ティアナの竪琴を指さします。
「それを売ればいい」
「いえ、これだけは……!」
「死んでもいいのかよ。死んだら意味ないだろ。売ってこい」
ティアナは「分かりました」と、小さく言います。
「……殺してください。誰も、私の歌を必要とはしていません。私は魔物と戦えませんし、旅先でもあまりお金を稼げませんでした。でも、皆との旅が楽しくて、自分の歌を磨くこともなく、仲間に甘えていたんです」
レーベリヤは灰皿に煙草を押し付け、上着を羽織りました。
「行くぞ」
「……え?」
「思い出した。女の子を一人、欲しがってる店があった」
ティアナは「本当ですか……!」と顔を上げます。
しかしその期待は、店に着くなりすぐに裏切られました。相変わらず純粋なティアナ、彼女は少し人を疑うことを覚えた方がよいのですが、まさか「女の子が踊る怪しいキャバレー」に連れてこられるとは思っておらず、扉の前でたじろぎます。
抵抗もむなしく、「ボス」の部屋に引きずられていきました。
「この子どう? とりあえず1万ディーツ貰えりゃいいんだけど」
「……ふーん」
ボスは、ティアナの身体と竪琴をまじまじと見つめます。
「歌えるの?」
「え、ええ……でも私、こんなお店無理です、私には……!」
「って言ってるけど?」
レーベリヤは、勇気づけるようにティアナの肩に手を置きました。
「さっきまで、死ぬとか殺してとか言ってただろ。じゃあもう昔の自分は死んだと思って、一回やってみりゃいいじゃん」
「えぇ……!?」
あれよあれよという間に、下着よりもいかがわしい布をまとわされ、「ちょっと大人な曲を歌ってね」と言われた通り、ええいままよと舞台に立ったのでした。
その日、ティアナのステージは大盛況で幕を下ろし、1万ディーツなどはした金と思えるほどの大金を手に入れた彼女は、すっかり「キャバレー」の魅力に取りつかれたのでした。
巷では「歌って踊れる異国の女の子」と大評判です。
「ティアナちゃん、ヴァン会長のお相手できる?」
「はぁい」
「ティアナちゃん、次のステージは上半身裸でさ、竪琴で胸を隠す感じでやってほしいんだけど」
「えぇ~、恥ずかしい」
「頼むよ、うちが世話になってるギルド長がご所望なんだ」
その光景を、遠くから見る男二人の影がありました。
「……何があった?」
水晶店の店主、イリオは顔をしかめますが、まあ、レーベリヤと関わった人間がろくな事にならないのは、今に始まった話でもありません。
「あっ! レーベリヤ、来てくれたの!」
ティアナは、表情をぱっと明るくします。
「三日目だけど」
「後で払うから! ちょっと遊んで行ってよ~」
「払えるなら今払ってくんね?」
「この後すごいステージがあるのよ。裸で、ふふ……」
彼女はすっかり人気者になりましたが、それと同時に、レーベリヤと会う口実のために借金をし、わざと返済を遅らせる「困った客」にもなってしまいました。レーベリヤは、「まぁまぁ、ちょっと見てこうよ」と口を挟んだイリオの足を蹴り、肩にもたれかかるティアナを、次はないぞと脅します。
その時、背後で懐かしい声がしました。
「ティアナ! 見つけた!」
数人の男女が駆け寄ります。
「なんだその格好……! こんなところで何してるんだ!?」
「レオン……?」
「探したんだぞ!? 俺たち無事に、洞窟でクオーツを手に入れたんだ! 一緒に国に帰ろう!」
どうして。
今さら何を。
仲間たちの話でようやく、ティアナは自分の身に起こったすべてを理解しました。
故郷の仲間と共に旅に出た、吟遊詩人のティアナ。しかし仲間たち、特に幼馴染のレオンは、彼女を路銀稼ぎのためだけに連れ出したのではなく、たとえ稼げない日があろうと、笑顔で一緒にいてくれればよかったのです。
いよいよ目的地の洞窟も目前というところで、やはり魔物と戦えないティアナを連れて行くのは危険だと、皆は言いました。必ず迎えに来るから、この街で待っているように。しかしティアナは酒に酔っていて、その約束をすっかり忘れてしまったのでした。
「嘘……嘘よ! 私を無一文で置いていったくせに!」
「コートに金貨を入れていただろう!?」
「知らないわよ! 嘘ばっかり!」
レーベリヤは腕を組み、なるほどそういうことかと納得しながらも、我関せずとばかりに視線をそらします。
ティアナはそんな彼に腕を回し、かつての仲間をにらみつけました。
「私、ここで本当の自分を見つけたの。悪いけど、仕事中だから帰ってちょうだい」
その後は逆上したレオンが、お前が全部悪いんだろうとレーベリヤに襲い掛かり──すったもんだの後、キャバレーの店員は慣れた手つきで、割れたグラスを拾い上げ、こぼれたワインを拭き、床で伸びた冒険者たちを外へ放り出しました。
***
水晶店に、新しい水晶玉が入荷しました。
街で人気の踊り子が、レーベリヤに次から次へと「利息」を貢ぐおかげで、彼の手にも余るお金が生まれます。そうして得た稼ぎは貯め込んでおくのではなく、この店の商品に変えて保管されるのでした。
理由は様々。レーベリヤの家は常に狙われていますし、彼が四六時中家にいるわけでもありません。水晶店には、小さくて可愛らしい「用心棒」もいますから、ここに預けておけば安心です。
「スウィルトはどうした?」
「急にお腹を壊したんだ。心当たりしかないから、何が原因かも分からないよ」
「あいつでも腹壊すんだな」
レーベリヤは煙草に火をつけ、呆れたように煙を吐きました。
『南西通り水晶店』。
今日もまた、誰かの欲望と後悔と、わずかばかりの純情が、美しい水晶へと姿を変えて並べられていくのでした。




