第3節:合理的な悪戯
屋上のフェンス越しに中庭を見下ろすと、雪だるまを中心とした「片道の足跡」が、まるで巨大なコンパスで描かれた未完成の図形のように見えた。
「瀬戸口、見ろ。上から俯瞰すれば、この事件の『構造』は明白だ」
僕は手帳に、中庭の縮尺図を素早く描き込んだ。
「明白? 全然わかんないよ。だって、やっぱり帰り道がないもん。空でも飛ばない限り無理だよ」
「空を飛ぶ必要はない。要は、雪面に荷重をかけずに移動すればいいだけだ。……僕の仮説はこうだ。これは、高度な身体能力を持った人間による、計算された『物理トリック』だ」
僕は定規の先で、中庭の端にある「掲示板」と「雪だるま」の距離を指し示した。
「犯人は、掃除用具入れから盗んだバケツを両足に履き、雪を固めながら歩いた。あの足跡のエッジが不自然に鋭かったのは、靴ではなくバケツの円形の縁が雪を圧縮したからだ。そして、雪だるまの地点に到達した後――犯人は、あらかじめ用意していた『走り高跳び用のポール』、あるいはそれに類する長尺の道具を使い、校舎二階のテラスへ向かって棒高跳びの要領で脱出したんだ」
「ええっ!? 棒高跳び!? そんなマンガみたいなこと……」
「論理的には可能だ。今年の陸上部には、棒高跳びで県大会上位に入った一年生の『成瀬』という男がいる。彼は以前、部費の配分を巡って生徒会と揉めていた。生徒会の窓口から見える中庭に、不可能図形のような足跡を残すことで、彼らへの抗議、あるいは自らの存在証明を誇示しようとした……。赤い塗料は、陸上部のユニフォームの色だ。これを雪だるまの頭に塗ることで、一種の署名としたんだろう」
僕は自分の推理の美しさに、微かな満足感を覚えた。
バケツによる足跡の偽装、身体能力を駆使した脱出、そして動機としての反抗心。
すべてのピースが、力学と心理学の双方から矛盾なく説明できる。
「成瀬くんに会いに行くの?」
「ああ。彼のスパイクの底と、あのバケツの欠片が一致するかどうか。そして、昨夜から今朝にかけて、彼が陸上部の部室からポールを持ち出した形跡がないか。……それを確認すれば、この『不完全な図形』は完成する」
僕は迷いのない足取りで、陸上部が朝練を行っているグラウンドへと向かった。
律の脳内では、成瀬がポールを手に雪の中を舞う放物線が、完璧な数式として記述されていた。




