第1節:未完成の雪だるま
その日の朝、学校は不自然なほどの静寂に包まれていた。
未明から降り積もった雪が、校舎の角を丸く削り取り、騒がしい日常のノイズを白いベールで覆い隠していた。
午前七時十五分。
僕はいつものように、一ミリの狂いもない定時登校を果たし、昇降口で上履きに履き替えた。
「……計算外の積雪だな」
窓の外、中庭を見下ろした僕は、手に持っていた手帳を握りしめた。
四方を校舎に囲まれた中庭は、誰も足を踏み入れていないはずの処女雪が広がっている――はずだった。
だが、その幾何学的な中心付近に、無骨な「未完成の雪だるま」が鎮座していた。
下段は直径約五十センチ。
上段はまだ載せられたばかりのような、歪な球体。
そこには目も鼻もなく、ただの雪の塊が虚空を見つめている。
「わあ、律くん見て! 誰かが朝早くから雪遊びしたみたいだよ。いいなあ、元気だね」
背後から、冷えた空気と共に紬の声が響く。
彼女はマフラーを顔半分まで埋め、楽しそうに中庭を指差した。
「瀬戸口、単なる遊びだと断定するには早計だ。よく見てみろ。……あの雪だるまへ向かって伸びている『足跡』を」
紬が目を凝らす。
昇降口の庇の下から、雪だるまの地点まで、一直線に並んだ靴の跡。
一歩の歩幅は約六十五センチ。規則正しい歩行だ。だが、問題はその先だった。
「あれ……? 帰りの足跡が、ない」
「そうだ。入り口から雪だるままでは足跡があるが、そこから校舎に戻る足跡も、どこか別の出口へ向かう足跡も、一切存在しない。……まるで、雪だるまを作った人間が、その場で消えてしまったかのように」
僕は窓を開け、冷たい風を頬に受けながら、中庭の雪面を鋭く観察した。
中庭を囲む四方の校舎に、二階から飛び降りたような痕跡はない。
屋根から吊り下がったようなワイヤーの跡もない。
積雪は一律に三センチ。少しでも歩けば、必ずその深さの溝ができるはずだ。
「……不完全だ。入り口があるのに出口がない。この物理的矛盾は、僕の脳内の平穏を著しく害する」
「律くん、また顔が『難問に出会った数学者』になってるよ。単に、雪だるまの中で冬眠しちゃったとか?」
「冗談はやめろ。……行くぞ、瀬戸口。雪が溶けて証拠が曖昧になる前に、あの足跡の深度と圧力を計測し、この『片道だけの訪問者』の質量を特定する」
僕はカバンから金属製の定規とピンセットを取り出した。
白い静寂の中に残された、一連の足跡。
それは、僕の論理に対する挑戦状のように、中庭の真ん中で不自然に途切れていた。




