第6節:裏返しの論理
僕は屋上のフェンスを離れ、校舎の配置図を脳内で再構成した。
紬がもたらした「雨」の記憶と、チケットに残された「鏡文字」のスタンプ。
それらを組み合わせると、九条先輩という変数は消え、別の解が浮かび上がる。
「瀬戸口、僕の仮説を修正する。犯人の目的は『再演』ではない。あの日、事故によって『左右が反転してしまった世界』を、元の秩序に戻すことだ」
「左右が反転? 律くん、難しすぎて全然わかんないよ!」
「物理的な話ではない。……いいか、このスタンプは鏡文字だった。そしてインクには美術部の岩絵具が混じっていた。ここから導き出される事実は一つ。犯人は、常に『鏡の中の世界』を観察している人物――すなわち、一年前のあの日、舞台袖で主演の佐伯香織を支えていた人間だ」
僕は歩きながら、証拠の吟味を続ける。
チケットが濡れていなかったのは、あの日、その人物が誰よりも早く、事故の喧騒から逃れて「乾いた場所」に避難したからだ。
あるいは、あの日から一度も外気に触れさせず、密閉された空間で保管していたから。
「一年前の事故で、佐伯さんは足を挫いたと言ったな。その時、彼女を介抱し、救急車に付き添ったのは誰だ?」
「ええと、確か……演劇部のマネージャーをやってた、美術部の……あ! 深町さんの先輩の、岸田さんだ!」
「岸田……。彼女は今、どこにいる?」
「岸田さんは今年、文化祭の装飾リーダーをやってるはず。でも、最近はあまり姿を見かけないって美術部の深町さんが言ってたよ。……ずっと『旧講堂』の掃除をしてるって」
すべてのピースが音を立てて噛み合った。
九条先輩が「あの日、僕たちの時間は死んだ」と言ったのは、演出家としての絶望だ。
だが、岸田という人物にとっては、あの日の中止こそが「永遠に終わらない劇」の始まりだった。
僕はポケットから、昨日の事件で解決したはずの「あの消しゴム」を無意識に指先で転がした。
「一年前の十月二十五日。あの日、雨が降っていた。中庭のイベントは中止。生徒たちは校舎へ。だが、旧講堂の中だけは、事故の瞬間まで『晴れ舞台』だった。犯人は、その断絶を埋められずにいる」
「ねえ、律くん。でもどうして律くんにチケットを送ったの? 岸田先輩と律くん、接点なんてないよね?」
「……いや、ある。僕はこの学校で、最も『一ミリの狂いも許さない』男だ。犯人は、僕ならこのチケットの不自然さに気づき、論理的にこの場所へ辿り着くと確信していたんだ」
僕は旧校舎と新校舎を繋ぐ、薄暗い渡り廊下へ視線を向けた。
その先にあるのは、立ち入り禁止のバリケードが築かれた旧講堂だ。
「僕を『観客』として招待したのではない。僕に、この止まった時間の『終止符』を打たせようとしているんだ。僕の潔癖な論理を使ってね」
僕はバリケードの隙間に手をかけた。
その先にあるのは、一年前の埃と、反転したままの真実が眠る舞台だ。
「行くぞ、瀬戸口。……カーテンコールには、まだ早い」




