第4節:冷たい拒絶
空き教室の扉が閉まる音が、廊下に長く尾を引いて響いた。
僕は、足元に落ちたチケットを拾い上げることさえ忘れ、その場に立ち尽くしていた。
「律くん……大丈夫?」
紬が心配そうに僕の顔を覗き込む。いつもなら「パーソナルスペースを確保しろ」と一喝するところだが、今の僕にはその余力がなかった。
「……エラーだ」
「えっ?」
「僕の構築した数式が、致命的なエラーを起こしている。九条先輩の反応は、演技でも隠蔽でもない。あれは、深い喪失感に基づいた真実の拒絶だ。だとすれば、僕の前提条件そのものが間違っていたことになる」
僕は屈み込み、床に落ちたチケットをピンセットで拾い上げた。
一ミリの狂いもなく封印されていたはずの招待状。しかし、その中身に込められていたのは、僕が推測したような「前向きな再演」などという生易しいものではなかった。
「九条先輩、あんなに怒るなんて……。去年の事故、私たちが思っているよりずっと、演劇部の人たちをバラバラにしちゃったのかもね」
紬の言葉が、冷たい水のように背筋を伝う。
僕は自分のペンケースにチケットを押し込み、早足で歩き出した。行き先も決めず、ただ自分の無能さを振り払うように歩幅を刻む。だが、いくら正確なリズムで歩こうとしても、九条の「二度と僕に見せるな」という掠れた声が、メトロノームの針を狂わせる。
「律くん、ちょっと待ってよ! どこ行くの?」
「……屋上だ。外の空気に触れて、脳内のキャッシュをクリアする必要がある」
屋上へ続く階段を上りながら、僕は自問自答を繰り返す。
犯人が九条でないのなら、誰が、何の目的でこの「一年前のチケット」を僕に届けたのか。
活版印刷の技術を持ち、一年前の公演の詳細を知り、そして九条さえも知らないところで『未完の終幕』を演じようとしている人物。
屋上のフェンスに寄りかかり、暮れなずむ街を見下ろす。
文化祭の準備に勤しむ生徒たちの影が、校庭に長く伸びている。
その中に、自分だけが座標を失った異物のように感じられた。
「計算が合わない……」
僕は手すりを強く握り締めた。
九条先輩が犯人でないのなら、あのチケットにあった『 +1 』を彷彿とさせる執拗なまでの『秩序』は何だったのか。
封蝋の紋章、和紙の質感、精密な活版印刷。
僕は、自分の論理が「正解」に辿り着けなかったことへの苛立ちよりも、九条の瞳に宿っていた「言葉にできない暗闇」を正しく計測できなかった自分に、ひどく落胆していた。
「律くんの顔、すっごく険しいよ。まるで、世界中の定規が全部曲がっちゃったみたいな顔」
紬が隣で、僕と同じように街を見下ろしながら呟いた。
「……瀬戸口。僕は、何か重大な見落としをしているのかもしれない」
風が吹き抜け、紬のポニーテールが不規則に踊る。
そのノイズの中に、僕がまだ気づいていない「正解へのピース」が紛れ込んでいることに、この時の僕はまだ気づいていなかった。




