第三十一話 (サブリナ視点)
「え?」
それは一体どの令嬢が漏らした声か。
しかしその瞬間、明らかにシルドアに対する周囲の視線が変わっていた。
シルドアの陰口を主導していたバーリナに対するシルドアの親切。
それはこの場にいる令嬢達の心を溶かしていた。
……ただ、その中で私は気づいていた。
これは私に対するシルドアの宣戦布告であることに。
もし、ここで本当にシルドアがバーリナの書類を片づけてしまえば、その時点で事務方の評価はシルドアの方に大きく傾くだろう。
その時、私とシルドアどちらを令嬢達が重視し始めるのか、考えるまでもない。
……ただ、同時に私はここに勝機があることにも気づいていた。
私は横目でバーリナの机にある書類に目をやる。
いつもと比べ、一切処理できていない書類を。
そして、にっこりと笑って口を開いた。
「あら、また勝手なことを」
あがる心を必死に押さえながら、私はシルドアと真っ向から向き合う。
「貴女、勝手をしすぎよシルドア。この事務方の頭は私よ」
「分かっています」
「いいえ。分かっていないわ。貴女のしていることは越権行為よ。……ただ、貴女の仲間を思いやろうとする気持ちは尊敬に値すると言ってもいい。ただ、ここで貴女が書類を処理できなかったら、何が起きるか理解できているの?」
私の質問にシルドアは答えない。
しかし、それを無視して私は続ける。
「その時の尻拭いは私達が行うことになるのよ。それを考えて貴女は発言しているの?」
「……何が起きても私がその書類を片づけます」
「そう、なら片づけられなかった時はどんな覚悟があるのかしら?」
空気が凍る。
他の令嬢達はただ、私達が喧嘩しているとしか思わないかもしれない。
ただ、実際に起きているのは駆け引きだった。
今、シルドアは私の立場を奪おうとしている。
その上で、私はこう言っているのだ。
その賭を受けたいと思うほどの価値を見せろ、と。
そしてこれはシルドアから仕掛けた勝負。
シルドアは私の言葉を払いのけることはできない。
「……もし、この書類がこなせなければ私はハイド様の秘書を降りましょう」
その瞬間、私は喜びを押し隠すのに必死だった。
「有言実行のできない人間など、ハイド様の側にはいらないので」
「……分かったわ。そこまでの覚悟があると言うならば、許しましょう」
仕方なく認めた、その態度を必死に保ちながら、私の心は歓喜で一杯だった。
もちろんこの場でのこと、口約束を本気でシルドアが守るとは私は思っていない。
書面に残していないこのやりとり位、後でどうとでもごまかすことができるのだから。
しかし、それでも今シルドアの言葉をこの場にいる令嬢達が聞いている。
シルドアが秘書をやめると言った証人達がこんなにも居るのだ。
……いざ、シルドアをやめさせた時、今の発言は大きな武器になる。
そして、そもそも私にはシルドアがこの書類を終わらせられるなど思ってもいなかった。
これだけの大口を叩いて、終わらせられなければその瞬間シルドアの立場は一気に失墜する。
「では、今日の夕方の終了時刻までに終わらせなさい」
後付けで時間を設定して見せた私に対し、シルドアは何も言わなかった。
けれど、その内心の慌てようが手に取るように理解できて私は笑いをこらえるのに必死だった。
「さあ、帰りなさい」
「……ありがとう」
しかし、その時私は気づくべきだった。
自身の腹心を帰らせるシルドアに対し、腹心が向ける目に親愛と罪悪感が混じっていたことに。




