第十八話
侯爵家の屋敷から、騎士団の詰め所まで決して遠くはない。
兄様と話している間に、すぐに馬車を降りる時間がやってきた。
「さて、シーリャ」
兄様がまじめな表情で口を開いたのは、ちょうど馬車を降りた時だった。
いつになく、まじめな表情の兄様に私は思わず姿勢を正す。
「今から大事な話をしておく。場合によっては命に関わることもあるから頭に入れておいて欲しい」
「……はい」
「まず、この詰め所は辺境の森に近い。当然魔獣がやってくる可能性がある」
魔獣、人類の天敵にしてこの辺境の最大の敵。
その存在を示す言葉に私は息を呑む。
同時に、私の頭にかつて聞いた話がよみがえる。
「……この詰め所は辺境の森から辺境の村を、屋敷を守る砦にもなるんですよね」
「ああ。かつて、魔獣暴走が起きた際は実際にここで食い止めた例もあるらしいね」
そう言いながら、私を安心させるような笑みをお兄さまはその顔に浮かべる。
「といってももう過去の話だ。今はもう長らく使っていない。そんな事態が起きることはほぼないから、過度な心配はいらないよ」
「はい!」
お兄さまの言葉に頷きながら、実のところ私は理解していた。
魔獣暴走がここ数年起きていないのは、お父様と兄様の働きのおかげであることを。
というのも、魔獣暴走が起きなくなったのはお父様の代。
危険を冒して辺境の森の魔獣を間引く雪狼騎士団を作ってからなのだから。
辺境の森の魔獣を間引けば、魔獣暴走は起きないのではないか。
その判断の元に作られた雪狼騎士団、その活躍はめざましかった。
何せ、それまで十数年ごとに起きていた魔獣暴走がぴたりと止まったのだから。
そして、今兄様が騎士団を引き継いだ今、雪狼騎士団は王国最強の精鋭として、主要な都市に派遣されることもある。
今のフランシスコ侯爵家の繁栄も、雪狼騎士団の功績だ。
何せ、魔獣暴走が起きるこの土地は、以前まで民衆が安心して暮らせる状態になかった。
雪狼騎士団によって、この数十年徴兵が起きることもなく、民衆達は農業に専念できている。
また、主要な都市への派遣に対する料金、定期的に入手される魔獣の素材。
最近では雪狼騎士団なら安心だと、お金を預ける商人さえいると言う。
「まあ、シーリャは何があっても私が守るけどね」
──その最強の騎士団の団長にして、最強の騎士と言われる人間こそ、目の前の人だった。
「頼りにしています、兄様」
「ああ、してくれ。……ただ、今朝にも言ったが私もシーリャに助けを求めることになると思う」
そう言いながら、兄様の顔に浮かぶのは真剣な表情だった。
その表情に私は理解する。
……これは今後に関わる話であると。
「雪狼騎士団は大きくなりすぎた故に、裏方で女性中心の事務を雇っている。雪狼騎士団団長秘書の主な役割は、事務と騎士団の橋渡しだ」
「分かりました。つまり、私の最初の仕事は事務方で仕事を覚えることでしょうか?」
「……ああ、そうだ。そうしないと橋渡しができないからね。ただ、これから事務でシーリャに働いてもらうに当たって、一つ知らせておく話がある」
そう告げる兄様はどこか、言いにくそうに告げる。
「──事務方と騎士団には、君が僕の妹であることを言っていない」
想像もしていない言葉に、私は思わず目を見開く。
本来であれば、私の身分を隠すことに意味はない。
何せ、事務にいる人間達が不敬を働く可能性が高くなり、後で私に不信感を覚える可能性があるのだから。
……そう、本来であれば。
その時点で私は理解していた。
これが兄様が私を頼った理由。
今、騎士団の事務は通常ではあり得ない状況にあると。
「分かりました。私はただの平民として振る舞いますね。……いえ、さすがに無理でしょうか」
「そうだね、君が平民には見えない。イメージは子爵以下の令嬢かな。何かあれば、後で紹介する腹心に伝えて欲しい」
「分かりました」
あえて、兄様に多くは聞かずに私は頷く。
しかし、聞くまでもなく私は理解していた。
……今、想像以上にやっかいなことが起きているのだと。
「そして最後に一番、大事なことがある」
「今の話以上にですか」
「そうだ」
真剣そのものな兄様の表情に私もまた、覚悟を決めて兄様を見つめる。
「騎士団の男には気をつけろ」
「はい?」
「騎士団の男には気をつけろ」
まじまじと兄様の顔を私は見つめる。
さすがに冗談だと思って。
……けれど、兄様の顔は真剣そのものだった。
「言っておくけど、真剣な話だよシーリャ。君は自分が思っているよりかわいいんだ。騎士団の獣達が何をするか分からない。騎士団にくるときは絶対に僕から離れないように」
長々と話し始めた過保護な兄の言葉に、私は気づかれないようにため息を吐いた。




