表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世の燈 -かくりよのあかり-  作者: 栖崎
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/21

第十五話 交わる思惑、踊らぬ会議 後編

自室へ戻ってからも、私はまったく落ち着かなかった。


紬が「少し休んでた方がいいよ」と言ってくれて、温かい茶まで置いていってくれたのに、湯気の立つ湯呑を前にしても、心だけが障子の向こうへ引っ張られているみたいだった。


会議は始まったはずだ。


この屋敷のどこかで、岩砕と蒼耀と明清が、雲仙様と同じ座につく。武官も文官も、財を動かす者も、技術を支える者も、その一室に集まっている。

考えるだけで、胸の奥がそわそわした。


もちろん、私がそこへ行けるわけじゃない。

行っていいとも言われていないし、行くべきじゃないのもわかる。けれど“行けない”と“気にならない”は別だった。


私は何度目かもわからないため息をついた。


そのとき、障子の向こうを、風が一筋だけ走り抜けた。


「……白嶺?」


思わずそう呟いたのは、その風の気配があまりにも白嶺に似ていたからだ。

でも、気配はそこで止まらず、少ししてからまた遠ざかっていった。たぶん本人ではなく、会議の周辺で白嶺の霊が動いた余韻のようなものなんだろう。


白嶺は今、あの場にいる。


しかも、迎える側としてだけじゃない。たぶん、会議の中で意見を求められる立場としても。

父と岩砕のような存在たちが居並ぶ中に、白嶺は一人で立っているのだと思うと、胸のあたりが少しだけ苦しくなった。


「……無理してないといいけど」


口に出した途端、私は少しだけ眉を寄せた。

こんなふうに白嶺のことを考えるのは、前ならもっと変だった気がする。でも今は、変だと思いながらも、考えるのをやめられなかった。


そこへ、障子が控えめに開いた。


「燈ちゃん」


紬がそっと顔を出す。


「どうしたの?」


私が聞くと、紬は少しだけ迷ってから部屋へ入ってきた。

さっきまでの整えた顔のままだったけれど、目の奥は忙しなく動いている。


「今、ちょっとだけ休憩が入ったんだ」


「会議に?」


「うん。完全に終わったわけじゃないけど、いったん人が動いてる」


その一言で、私は反射的に身を乗り出していた。


「どうだった?」


紬は「やっぱりそこ聞くよね」という顔をする。


「岩砕様は予想どおりだったよ」


「予想どおりって?」


「燈ちゃんの存在を、危険な火種みたいに扱ってた」


私は黙る。


そうだろうな、とは思っていた。

でも、実際にそうだと聞かされると、やっぱり胸の奥が少し冷える。


「“人間の子が屋敷の奥にいること自体が、妖魔界に対する侮りだ”って」


紬が言う。


「そんな言い方……」


「岩砕様らしいよ」


私は膝の上で指をぎゅっと握った。


侮り。

そんなつもりなんてない。私はただ迷い込んで、ここに置かれているだけだ。けれど向こうから見れば、それは関係ないのかもしれない。人間がいる、という事実だけで十分なんだろう。


「蒼耀は?」


そう聞くと、紬の表情がさらに微妙になった。


「蒼耀様は、もっと言い方が穏やかだった」


「でも?」


「でも、言ってることは別方向に嫌だった」


私は息を呑む。


「燈ちゃんを、雲仙様のご厚意で客間に置いておくには、もう危うい段階じゃないかって」


「……管理しろってこと?」


「たぶん、それに近い」


穏やかに、正しそうに、でも逃げ道を削るみたいに。

まだ実際に会ってもいないのに、蒼耀がそういうことを言う姿だけは想像できてしまった。


「白嶺は?」


私が聞くと、紬は少しだけ目を細める。


「白嶺、すごく静かだった」


「それ、嫌な静かさ?」


「ううん」


紬は首を振った。


「たぶん逆。ちゃんと頭が回ってる時の静かさ」


その言い方に、私はほんの少しだけ呼吸を戻した。


「今のところ、燈ちゃんをすぐ動かす方向にはなってない。でも、後半でどう転ぶかはまだわからない」


そこで紬は、ふっと小さく笑った。


「あとね」


「なに」


「明清、思った以上に変な人」


私は思わず目をぱちぱちさせた。


「変?」


「うん。場の流れに乗ってるようで全然乗ってない。誰の味方もしてないみたいなのに、時々いちばん痛いところを突く」


それはなんだか、廊下で遠目に見た印象そのままだった。


「たとえば?」


「“人間の子をどう扱うか”って話で、岩砕様と蒼耀様がそれぞれ理屈を出した時に、“その前に門の綻びを塞げぬ者が、籠の置き場ばかり気にしてどうするのか” “閉じ込めれば済むと思うのは、壊れる者を見ておらぬ証左だ”って」


私は思わず息を止めた。


それ、かなりきつい。

しかも両方に釘を刺している。


「……僕、明清のことあんまり知らないんだよね」


「そうなの?」


「うん。姉さんの跡を継いだ人なのに、ちゃんと話したこともほとんどないし……なのに、向こうは僕を知ってるみたいな顔をする時がある」


紬は肩をすくめた。


「会議、まだ終わってないけど、思ってたよりずっと空気が悪いよ」


その言い方に、私は小さく頷いた。

悪いに決まっている。あれだけの重鎮が集まって、それぞれの思惑を抱えていて、しかもその中心の一つに私がいるのだ。


その現実が、湯呑の湯気よりずっと重く胸に沈んでいた。





紬が戻ってから少しすると、また屋敷の中の気配が変わった。


休憩のあいだにゆるんでいた空気が、もう一度、ぴんと張りなおされる。回廊を行き交う傀儡の足取りまで整って見えるのは、私が気にしすぎているからだけじゃない気がした。


会議の後半が始まったのだ。


私はじっと座っていられなくて、部屋の中を少しだけ歩いた。

障子のそばまで行っては戻り、卓のそばに座ってはまた立ち上がる。そのたびに、自分でも落ち着きがないと思う。


でも、落ち着けるはずがない。


向こうではたぶん、私のことが“燈”としてじゃなく、別の言葉で呼ばれている。人間の子。危険因子。鍵。火種。そういう、私自身の顔を持たない呼び方で。


そのことが、じわじわと苦しかった。


「……嫌だな」


思わず漏らした時だった。


障子が開いて、今度は椿が入ってきた。


「そりゃ嫌だろうね」


最初から聞こえていたらしい。


椿はいつもの調子みたいに見えたけれど、機嫌は明らかによくなかった。眉のあいだにしわが寄っていて、歩き方も少し荒い。


「どうだったの」


「気分の悪い話ばっかりだよ」


そう言いながら、椿はどさっと腰を下ろす。


「兄貴は“危険なら奪え”って顔を隠しもしないし、蒼耀は“守るために管理が必要だ”って、いかにももっともらしい顔して囲い込みに来る」


その言い方に、私は自分の袖を握った。


「白嶺、平気?」


「平気じゃないだろうね」


椿はあっさり言う。


「でも、今のとこ一番まともに立ってるのもあいつだよ」


「まともに?」


「ああ」


椿はふっと息を吐いた。


「兄貴が力の話を持ち出したら、“では先日の探りに対し、貴殿の武官は何を防いだのか”って返した」


私は思わず目を見開いた。


「そんなこと言ったの?」


「言ったよ」


椿は口元を少しだけ上げる。


「公の場でね」


その光景を想像した途端、胸の奥が少し熱くなった。

白嶺が、公の場で父や岩砕に対して、ちゃんと“返している”。


椿は続けた。


「蒼耀にも、“燈を移すかどうか以前に、何故その議論が今必要とされるのかを切り分けるべきだ”って言ってた」


「……白嶺っぽい」


「だろ?」


椿は得意げに言う。


「真正面からぶつかるんじゃなくて、相手の理屈の筋道を崩すんだ。ほんと、いやらしい頭してるよ」


その表現は相変わらずだったけれど、今の椿の声にはちゃんと認めている響きがあった。


「でも、それで通るの?」


私が聞くと、椿は少しだけ黙った。


「通りきらないから会議なんだろうね」


その答えは重かった。


理屈で崩せても、相手にも立場と力がある。岩砕は武官の最上位で、蒼耀は政の重鎮だ。白嶺が一人で正しいことを言ったからといって、それで全部が動くほど簡単じゃない。


「雲仙様は、何て?」


「まだ決めてない」


椿はそう言って、少しだけ遠くを見る。


「我の庭に置く、とも。すぐ移せ、とも。そこはまだ明言してない。ただ……」


「ただ?」


「みんなの顔を見てる」


私はその言葉を聞いて、少しだけ息をついた。


雲仙様は決めていない。

それは不安でもある。でも同時に、まだ完全に私が誰かの理屈で動かされるところまでは行っていない、ということでもあった。


「明清は?」


聞いてみると、椿は一瞬だけ嫌そうな、でも面白がっているような顔をした。


「変わったやつだよ」


「紬くんもそう言ってた」


「だろうね。あいつ、兄貴にも蒼耀にも肩入れしてないようでいて、どっちにも釘を刺してる」


椿はそこで少しだけ笑った。


「“人の子一人の扱いで座を乱すほど、諸卿は暇なのか”だってさ」


私は思わず変な顔になった。


「すごい言うね」


「言うよ。しかも涼しい顔で」


あのするりとした雰囲気をまとう男が、少しだけ脳裏に浮かんだ。

飄々としていて、何を考えているかわからない。でも、場の一番痛いところを平然と突く。たしかに、かなりやりづらそうな人だ。


「でもね」


椿の声が少し低くなる。


「明清が完全に味方かっていうと、そんな感じもしない」


「どうして?」


「ああいうのは、自分の立ち位置を先に決めてないだけさ」


その言い方に、私は少しだけ寒くなった。


敵とも味方とも決めない。

どこにも立たないようでいて、そのぶん、どこへでも行ける。

それはそれで、すごく怖い。


その時だった。

遠くで、何かが静かに鳴った。


鐘とも鈴とも違う。屋敷の中を流れる霊力路が、一斉に調律される時のような澄んだ音だ。


椿が顔を上げた。


「終わるね」


その一言に、私は息を呑んだ。


会議が終わる。

つまり、何かしらの方針が決まるか、あるいは決まらないまま次へ持ち越される。どちらにしても、前と同じ場所には戻れない気がした。


「燈」


椿が立ち上がる。


「このあと、白嶺か雲仙様から何か言われるかもしれない。変に気負うな」


「……気負わないの無理じゃない?」


「まあね」


椿はそう言って、少しだけ笑う。


「でも、燈がここで“私のせいです”って顔するのは違うよ」


その言葉は、前にも似たような形で言われた。

でも、会議のあとに言われるとまた重みが違った。


「うん」


私は小さく頷く。


そのとき、障子の向こうを、今度は本当に白嶺の風が通った。





白嶺が部屋に来た時、私はなぜか立ち上がって待っていた。


自分でもそれに気づいて少し恥ずかしくなったけれど、白嶺は特に何も言わなかった。会議のあとの白嶺は、いつもより少しだけ顔色が薄かった。疲れているんだと思う。けれど、父に呼び出された時みたいな、内側へ閉じた冷え方ではない。


考えきって、削られて、でもまだ前を見ている顔だった。


「会議は終わった」


白嶺はそう言って、部屋の中へ入ってきた。


「……どうなったの」


私が聞くと、白嶺はすぐには答えなかった。

代わりに椿を一度見て、それから私へ視線を戻す。


「結論から言えば、君は当面、引き続きこの屋敷に留まる」


私は思わず息をついた。

安心したのか、不安になったのか、自分でもすぐにはわからない。


「ただし」


やっぱりその先がある。


「客としての扱いではなく、“保護対象”としての管理は強まる」


「……やっぱり」


口からこぼれた声は、自分でも思っていたより小さかった。


白嶺はそれを責めなかった。


「蒼耀――父は、より厳格な隔離に近い管理を求めた」


その言葉に、椿がすぐ顔をしかめる。


「気に食わないね」


「僕も同意だ」


白嶺は淡々と言った。


「岩砕は、人間の子を雲仙様の懐に置くことそのものを危険視した。奪うべきだとは明言しなかったが、方向としては近い」


私は膝の上で手を握った。


「明清は?」


「どちらにも乗らなかった」


白嶺の答えは短い。


「ただ、門の綻びを放置したまま器の置き場を争うのは愚かだと指摘した。結果として、議論は“燈をどう動かすか”から、“屋敷の守りをどう見直すか”へ一部ずれた」


「明清らしいねえ」


椿が鼻を鳴らす。


白嶺はそれに小さく頷いてから、続けた。


「雲仙様は、現時点で君を屋敷の外へ移す判断は下されなかった。ただし、今後同様の探りが続くなら再考の余地はある」


つまり、今日は残留。

でも永久ではない。

たぶん、そういうことなんだろう。


私は少しだけ唇を結んだ。


「……私、ここにいていいの」


気づいたら、そう聞いていた。


白嶺はまっすぐ私を見る。


「いいかどうかではなく、今ここにいるのが最も妥当だと判断された」


やっぱり、白嶺らしい答え方だ。

でもそのあと、少しだけ声がやわらぐ。


「そして僕は、その判断に賛成している」


その一言が、思ったより深く胸に落ちた。


賛成している。

それはただの実務上の話かもしれない。でも今の私には、それで十分だった。


「ただ」


白嶺は続ける。


「君が息苦しさを感じるのも理解している。今後、管理の仕方は必要最低限に留めるよう調整するつもりだ」


椿がそこで腕を組む。


「ちゃんと“必要最低限”にしなよ」


「そのつもりだ」


「蒼耀の“必要”を持ち込むんじゃないよ」


「持ち込まない」


短いやり取りだったけれど、そこに嘘がないのはわかった。


白嶺は私へ向き直る。


「燈」


「うん」


「今日の会議で、君の存在は完全に伏せられる段階を過ぎた」


私は黙って聞く。


「だが同時に、誰もまだ君を自由に扱える段階でもない。そこを混同するな」


その言葉は、難しいけど大事な気がした。


みんなに知られ始めている。

でも、まだ誰のものでもない。

むしろ、その“誰のものでもない”状態を保つことが今はいちばん大事なのかもしれない。


「僕たちは、しばらくそのために動く」


白嶺が言う。


「門を守り、視線を逸らし、必要なら偽の道も作る。今日の会議は、そのための時間でもあった」


私はゆっくり頷いた。


「……わかった」


「わからないことがあれば聞け」


「ある」


即答すると、椿が横で吹き出した。


「早いねえ」


「だってあるし」


私は白嶺を見た。


「今日の会議、白嶺は……ちゃんと話せた?」


聞いてから、自分でも少し変な問いだと思った。

でも、一番気になっていたのはそこだった。


白嶺は一瞬だけ目を見開いた。

そのあと、ほんの少しだけ口元をやわらげる。


「話せた」


短い答えだった。


でも、その一言で十分だった。


父の前でも。

岩砕の前でも。

あの重い座の中で、白嶺はちゃんと“自分”として立ってきたのだ。


「そっか」


それだけ言うと、胸の奥が少しだけ軽くなった。


白嶺はそこで、ふっと息をついた。

会議が終わってから初めて、ほんの少しだけ肩の力が落ちたように見える。


「今日はもう大きな動きはないはずだ」


「はず、なんだ」


「絶対とは言わない」


「そういうとこだよ」


椿が呆れたように言う。


でも、そのやり取りが妙にいつも通りで、私は少しだけ笑ってしまった。


窓の外では、夕方の光が庭石を斜めに照らしていた。

会議は終わった。重鎮たちはそれぞれの思惑を抱えたまま、この屋敷を出ていく。何も解決したわけじゃない。むしろ、ここからもっと面倒になるのかもしれない。


それでも今は、まだここにいられる。


閉ざされた庭の内側で、風はまだ通っている。

門は誰かのために閉じられ、誰かのために開かれる。そのたびに、思惑は交わる。けれど全部が全部、思い通りにいくわけじゃない。


私はそのことを、今日の会議が終わって初めて少しだけ実感した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ