第28話「2人の店に」
≪前回のあらすじ≫
イツァムとの距離を縮めようと話しかけたハルヤだったが、お礼を伝えるだけで精一杯だった。その夜は、この世界へ来て初めて眠れない夜を過ごす。
それから一週間後、喫茶店の工事は無事に完了。しかし、営業申請を忘れていたことが判明する――
次の日の午後、俺は、3度目となる第2エリアの市政庁へ、マルダさんとイツァムと一緒に来ていた。
今日は営業の申請をしたあと、第3エリアで買い出しをする予定だ。
そのため、イツァムも一緒に来ている。
本人は何も言わないけど、荷物持ちとして期待されていることは、きっと分かっているんだろう。
❖
今日は今までと違って、少し人が多かった。
市政庁の受付はすべて埋まっていて、近場の受付のところに並ぶ。
と言っても、次だったから、大して待たずに呼ばれる。
「承知しました。営業申請ですね」
営業の申請をしたいと伝えると、穏やかな表情で対応してくれたのは、イツァムの登録手続きをしてくれた男性職員だった。
「はい」
俺が頷くと、職員は登録証を作った時とは別の一枚の紙を取り出し、慣れた手つきでペンを走らせ始める。
「まずは店名をお願いします」
店名を聞かれる前に書き込んでいた文字は、逆さまからで分かりづらかったけど、『月』っぽい文字や数字を表す文字を書いているようだったから、たぶん、日付だろう。
「えっと……『薬膳喫茶 カモミール亭』です」
店を始めると決めた時から、何が良いだろうかと考えていた店の名前。
こっちの『ルメリア』っていう名前と迷ったけど、最終的には俺にとっては馴染みのある……そして、今育てているハーブ名だ。
だけど、職員には薬膳喫茶もカモミールも耳慣れなかったようで、聞き返される。
「えっと……薬膳、喫茶…に、カモミール……ですか?」
「は、はい、そうです。薬膳喫茶、カモミール亭で、お願いします」
「分かりました」
職員はそう頷いたあと、紙に書き込んでいく。
まだ店名しか伝えてないのに、えらくドキドキしてしまう。
店名を書き終えた職員が顔を上げ、次の質問を投げかけてくる。
「営業内容は?」
「香草を使った薬膳茶……えっと、香草茶の提供です」
「香草……茶?」
職員のその反応で、マルダさんに初めてハーブティーを出した時のことを、はっと思い出す。
そうだ、俺の周りの人たちは香草茶を気に入ってすっかり慣れて当たり前のようになってたから忘れてた!
香草茶と言って喜んで飲んでくれているのは、俺が知り合った数少ない人たちばかりで、この国には「茶」の概念すらなかった。
そのことを思い出し、職員に香草茶のことを伝える。
「えっと……香草茶と言うのは、香草を沸かした熱湯で蒸らし、抽出した湯を飲むもの、です」
こんな説明で伝わるだろうかとひやひやする。
「飲む……ということは、飲み物、ということですね」
職員は「ふむ、」と少し考える素振りを見せたあと、そう答える。
その言葉に俺はほっとして、「そうです」と伝える。
すると職員はさらさらと紙に書くが、その手がピタリ、と止まる。
「……香草は、どんなものを? 薬湯とは、違うのですか?」
その言葉に、はた、と気付く。
こっちでの薬がどんなものかをきちんと把握していなかったが、マルダさんからは、薬屋や教会に薬用の効果があると知られている香草を煮出した「薬湯」が出されると教えてもらった。
だけど、その薬用効果があるとされていて、薬屋や教会で使われている香草の種類を俺は知らない。これは迂闊だった。
漢方では生薬を使うけど、生薬の中には、スパイスやハーブとして普通に料理に使うものだってあるし、イギリスなんかのヨーロッパではメディカルハーブやメディカルハーブを使った薬は日本の漢方薬みたいに資格を持っている人しか販売できないけど、日本じゃ当たり前に手に入る。
そんな感覚でいたけど、この世界に来てまだ数ヶ月しか経っていなくても、薬は貴重だということはなんとなく分かる。
それでも、ここで「それは薬屋や教会の者でないと販売できません」なんてことになったら、落ち込む。国家試験に落ちた時以上に。それこそ立ち直れない。
「香草は、ロスメルやサルヴェナのほかに、ペルメンタやジンゼル、ジフスの実も使います。色々な香草を1種類、もしくは複数種類合わせたものを、火から外したお湯で蒸らすだけで、煮出す薬湯とは違います」
俺は必死にそう説明をするが、さっきまでとは別の緊張で心拍数が上がるのを自覚する。
けど、職員は俺の言葉に驚いたように目を見開く。
「ジフスは香草なのですか? 果物では?」
その言葉に、あぁ……と思いつつ、「ええ、生の果物が市場で売られていますが、一部の香草屋では乾燥させたものを扱っていますよ」と頷き、答える。
これは、エーヴァルトさんが「市場で売っている」と言っていたのを、買い物の時に思い出し、マルダさんに頼んで生のジフスも購入してもらっていたから話せた内容だった。
生のジフスはその日の夕食の時に食べて、おいしかったのを覚えている。
リンゴみたいにシャリシャリとした食感で、酸味も少なくて爽やかなやさしい甘みの果物だった。
で、意外とビックリだったのが、青果を扱っている露店では、生のジフスをどこでも見かけたのに、香草屋で乾燥したジフスを見たのは、ヴォルクさんと出掛けた時に初めて香草を買ったあの露店と、第4エリアにある大きな香草屋。それから、輸入の香草を取りそろえた、この王都の人たちからするとニッチな香草ばかりを扱っている露店の3カ所だけだった。
乾燥させたジフスがあまり知られていないのもうなずける。
「そうなのですね……それに、煮出す薬湯とは違う、と……」
「はい」
職員の言葉に頷くと、職員は「わかりました。薬屋と教会の規定には抵触しないようなので、大丈夫ですね」と言い、さらさらと再びペンを走らせる。
……よかった。
まだドキドキする胸を手で押さえ、ひとまず営業の許可が取れそうでほっとする。
今度は、薬屋と教会の規定とやらを知る必要がありそうだけど。
こんな感じで、質問に答えるたび、さらさらと文字が書き込まれていく。
そして――
「営業開始予定日は、お決まりでしょうか?」
「……あ」
そこで止まった。
そういえば、このことで、営業の許可の申請を出していなかったことが分かったのに、結局決めていなかったな。
とは言っても、いつ頃から始めるのが良いのか……
思わず困った顔になる。
「まだ決めてなくて……」
正直に、そう伝えると、隣にいたマルダさんが助け船を出してくれる。
「床替えか、ほしあめ祭りが終わってからの方がいいだろうねぇ」
そう穏やかに言った。
床替えは、前にマルダさんが言ってたことだよな……でも、ほしあめ祭りっていうのは初めて聞く。
まぁ、祭りであることには変わりないんだろうけど。
マルダさんの言葉に職員も頷いた。
「そうですね。準備が整っていて、すぐ営業を始められる状態であれば床替えの頃でも問題ありません。ただ、もう少し準備が必要であれば、星雨祭が終わってからの方がお客様も動き始めますので、お勧めですよ」
星雨祭……なんか呼び方が変わったぞ。もしかして、こっちが正式名称とか?
そんなどうでもいいことを思いながら、俺は少し考える。
正直、お金は早く稼ぎたい。
でも生薬……じゃなかった、香草の種類も全然足りないし、何より道具が全然だ。
第4エリアに行った時に、代用できるものはないかと探すけど、これといったものはまだ見つけられていない。
第4エリアにはたまにしか行かないから仕方ないんだけど。
それに、店の流れだって頭の中では何度も考えているけど、本当に大丈夫なのかと言われると、自信はない。
「……もう少し、準備期間が欲しいです」
そう答えると、職員は書類を見ながら考えた。
「それでしたら、落葉の月6週目の深根の日か、翌週、霜の月1週目の深根の日がお勧めです」
霜の月……
まだぽかぽか陽気だけど、涼しいと感じる日が増えてきたと思ったら、冬が近いのか。
今日は、実の月の23日目だけど、確か……落葉の月が来月で、その次の月が霜の月……だったはず。
その霜の月の1週目の深根の日、という事は1日目。
まだ1ヶ月とちょっとある。
そのくらいなら十分準備できるはずだ。
そう考え、職員に返事をする。
「じゃあ……霜の月1週目の深根の日でお願いします」
「承知しました」
職員はさらさらと予定日を書き込む。
これで、ようやく開店日が決まった。
あと1ヶ月ほど……長いようで、きっとあっという間なんだろうな。
その後も、納税の時期や営業中の注意事項などを一つ一つ説明してもらい、申請は無事に終わった。
❖
市政庁を出ると、そのまま第3エリアへ向かい買い物だ。
肉屋では、いつものようにマルダさんが店主と楽しそうに話しながら注文をしている。
俺とイツァムは、その少し後ろで待っていた。
沈黙が続く中、不意にイツァムが口を開いた。
「……なぜ俺もぉ入れやがったぁ」
「え?」
思わず顔を向ける。
内容はさておき、イツァムの方から話しかけられるのなんてめったにない。
いや、ないと言っていい。今までは、俺がイツァムの様子を見ていると、鬱陶しいと言わんばかりに「何だ」と言ってくる。
それだけだったのに……今回はそうじゃない。
そう思うだけで、少しだけ嬉しくなる。
だから正直、この時にイツァムが何のことを指しているのか分かっていなかった。
「営業申請だぁ」
短く続けるが、やっぱりピンと来なくて、首を傾げる。
すると、若干トーンの下がった声で言い放たれる。
「店主の欄だぁ」
「ああ……」
そこでようやく合点がいった。
さっきの手続きの店主を誰にするかと聞かれた時に、俺は迷いなく「俺とイツァムです」と答えていた。
答えた直後に、「あっ」と気付いて、店主が2人でも良いかと尋ねると、職員には「大丈夫ですよ」とにこやかに言われたのを思い出す。
「だって……」
少し言いづらくて頭をかく。
「薬膳喫茶をやるのは俺だけど……」
そう言いながら、ちらりとイツァムを見て続ける。
「あの建物、本当ならイツァムが受け継ぐはずだったものだろ?」
「……」
「だから、イツァムの名前も書いたら……少しは、イツァムの店って感じになるかなって……」
イツァムから反応はなく、また2人の間に沈黙が流れる。
やっぱり勝手だったかな。
そう思い始めた頃……
「余計なことだ」
そう一言だけだった。当然だ。
「ご、ごめん」
俺は謝って、でもイツァムのことが見れなくて、足元を見る。
だけど、その次に続いたイツァムの言葉に、反射的に顔を上げて叫んでいた。
「責任だけ押し付けて逃げやがったら殺すぞ」
「そんなことしない!」
だって、これは、店は俺がやりたくて始めることなんだ。
逃げたりなんかしない。
「俺、本気でこの店をやりたいんだから!」
イツァムを見てそう言った俺に、イツァムは小さく鼻を鳴らす。
今度はイツァムが俺の方に顔を向け、ぽつりと言った。
「……その権利を使って、店を潰されるとは思わなかったのかよ」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
だって、そんなこと、思いもしなかったから……
「思わなかった……」
本当に、その発想がなかった。
だから、そう素直に伝えた。イツァムには小さく息を吐かれたけど。
「……めでたい頭だな」
「えぇ……」
そっぽを向かれ、そう言い放たれる。
そんなことを言われるくらい、危なかったのか? と、今さら少し不安になる。
でも、イツァムがそんなことをするとは、どうしても思えなかった。
「お待たせ」
次の沈黙が始まる前に、買い物を終えたマルダさんが笑顔で戻ってくる。
「さぁ、帰ろうかね」
「はい」
マルダさんが肉の入った袋をイツァムに渡すと、イツァムは返事も文句もなく無言で受け取る。
その様子を横目で見やり、歩きはじめたマルダさんに付いていく。もちろん、イツァムも。
まだぎこちないし、お互いのことをほとんど何も知らないけど……
今日は初めて、イツァムの方から会話らしいことを話しかけてくれた。
内容はアレだけど、それだけでも……
本当に、ほんの少しだけ、兄弟らしい一歩を踏み出せたような気がした。
次回:第29話「床替え」 9月17日(木)20:30公開です|ΦωΦ)




