第27話「あと一歩」
≪前回のあらすじ≫
イツァムがゲンラートの孫であることを知ったハルヤは、事情を隠すため兄弟として共に暮らす道を選ぶ。市政庁で身分登録を済ませ、正式に王都で暮らし始めることになったイツァム。
新たな家族を迎えた夜、ハルヤは意を決して彼の部屋の前へ向かう――
夜の廊下は静かだった。
持っているランプのろうそくの灯りがゆらめく。
俺は、イツァムに宛がわれた部屋の前に立って、右手は胸の前まで上げた状態から動けずにいる。
ノックをするためになのに……。でも、その手はそこから先へ進まなかった。
何を言えばいいんだ。
いや、言うことなら決めていたはずだ。
まずは、お礼。
今日、初めて会ったばかりなのに、突然、訳も分からないまま、『庭』へ連れて行かれて……
それなのに、俺の提案を受け入れてくれた。
それについて、ちゃんとお礼を言いたい。
それから……
少し話をしたい。
兄弟として暮らすなら、いつまでもこんな距離感のままでは駄目だと思う。
他の人から見ても、不自然に見えないように、少しずつでも、兄弟らしくならないと。
……でも。
「……」
……話題が全く浮かばない。
お礼を言ったあと、何を話せばいい?
好きな食べ物?
趣味?
今まで何をしていたのか?
……いや、いきなりそんなことを聞かれても困るかもしれない。
そもそも、俺はイツァムのことを何も知らない。
25年間、どこで暮らしていたのか、とか。
どうして王都へ来たのか、とか。
どうしてゲンラートさんのところへ、来たのかとか……あ、でもこれは、ゲンラートさんの買った移転魔道具を使ったとするなら、ゲンラートさんのお店に来るように設定されてたんだっけ……?
確か、エルがそんなことを言っていた気がする……
それだけじゃなくて、聞きたいことはたくさんある。
でも、それを聞く資格が自分にあるのかと思うと、言葉が止まる。
そんなことを考えているうちに、上げたままの手が、動かせなくなっていた。
……何してるんだ、俺。
ノックすらできないなんて。
自分でも呆れて、小さく息を吐く。
その時だった。
ギィ……
目の前の扉が、ゆっくりと開いた。
「……っ」
思わず肩が跳ねる。
中から出てきたのは、もちろんイツァムだ。
「何だ」
たったそれだけの、短い言葉。
黒い布で頭を覆い、革製のアイバイザーを着けたままの姿。
イツァムからは見えているだろうけど、目元が隠れているから表情が読めない。
だけど――
何をしに来たのかと言われているような気がした。
「え、えっと……」
まさか出てくるとは思わず、予想外の出来事に、頭の中で考えていた言葉が全部飛んでいく。
こんなはずじゃない。
ちゃんと話そうと思っていたのに。
「あの……」
なんとか口を開く。
「お、お礼を言いに……」
「……」
返事もなければ、相槌もない。
ただ、こちらを見ているだけ。
……見ている、と思う。
ううう……沈黙が怖い。
何か言わないと……でも、何を――
焦れば焦るほど、言葉が出てこない。
結局、俺は俯いた。
「今日……」
声が小さくなる。
「今日、初めて会ったのに……」
喉が詰まりそうになるが、なんとか声に出す。
「俺の提案を受け入れてくれて……ありがとう……」
なんとか言えたのはそれだけで、それ以上が続かない。
本当はもっと話したかった……兄弟として、これから一緒に暮らす相手として。
でも、今の俺にはこれ以上の言葉が出てこなかった。
「そ、それだけ…………おやすみ」
自分でも情けなくなるけど、逃げるようにそれだけを言って、イツァムの顔を見ることもできず、自分の部屋へ戻った。
背中に視線を感じた気がしたけれど、振り返る勇気はなかった。
部屋へ戻ると、扉を閉めた瞬間、力が抜けた。
ふらつくままベッドへ倒れ込む。
「……はぁ、何やってるんだろ……」
枕を手繰り寄せ、顔を押し付ける。
話したかった。
聞きたいこともあった。
もっと普通に接したかった。
でも、実際にはお礼を言うだけで精一杯だ。
「……だめだなぁ、俺」
小さく呟いた言葉は、静まり返った部屋の中で思いの外大きく聞こえた。
自分のダメさを突き付けられたみたいだ。
いつものように、寝る前に文字の練習をしようと思っていたはずなのに、それすらやる気力が湧かない。
少しでも早く読めるようになるためにと、毎日続けてきた日課。
こんな日は仕方ないと、眠りを決め込んでも、そのまま眠れるほど気持ちも落ち着いていないみたいだ。
目を閉じても、今日のことばかり考えてしまう。
イツァムは、どう思っているんだろう……俺のことを。
突然現れた、血の繋がっていない兄。
……いや、建前だけで、兄ではないんだけど。
……ん? 登録をしたからやっぱり兄でいいのか……
そんな思考に沈んで、さらに眠れなくなる。
結局、その夜。
この世界へ来てから初めて、俺は眠れない夜を過ごした――
❖
それから1週間以上が経った頃、窓の取り付け工事が完全に終わった。
俺の希望したとおり……というわけではないけど、出入口を挟んだ両側に硝子の突き出し窓がつき、店の中がぐっと明るくなった。
窓の工事が始まってから、もうすぐ4週間。当初の予定では、3週間程度で終わるみたいだったけど、雨の日が続いてその分延びたらしい。
天気だけはどうにもならないから仕方ないことだ。
俺は気にすることもなく、完成の日――今日を楽しみに待っていた。
「いやぁ、待たせたな」
ブルーノさんが笑いながら言う。
「いえ、そんな、雨もありましたし……」
俺は首を振る。
むしろ、予定通り進めようとしてくれた職人さんたちには感謝しかない。
「本当にありがとうございました」
工事に関わった人たちに頭を下げ、お礼を言うと、みんな嬉しそうに笑った。
工事が午前中に終わったことと、今日で完成するとエーヴァルトさんがみんなに知らせていたのか、最後の金格子を取り付けたアベルさんだけでなく、石工職人やハーゲンさんたちにラーグさんも揃っている。
だからこの日は、工事に関わってくれた職人さんたちへのお礼も兼ねて香草茶を用意していた。
いつものように、カップを並べ、ジャグに入れていた香草茶を注いでいく。
職人さんたち以外にも、様子を見に来てくれていたマルダさんやヴォルクさんたち、それに来てくれたイツァムにも香草茶を渡していると、近所の人や最近知り合った護道ギルドの人も、いつの間にか混ざっていた。
足らないカップの分は、仕方ないからジョッキで。
「いや~、そこの石工のヤツらに、この香草茶のことを聞いた時から気になっててな、一度飲んでみたかったんだよ」
美味いな、コレ! と、笑って言う護道の人に、近所の職人さんたちも、うんうん、と頷く。
いつの間にか話が広がっていたことには驚くが、これは純粋に嬉しい。
「それなら、ぜひお店を始めたら、飲みに来てください」
「おう。楽しみにしてる」
そう言ったあと、ふと思い出したように護道の人に聞かれる。
「ところで、いつからやるんだ?」
「え?」
「店だよ」
「あ……」
開店日を聞かれていることに気づいて、そこで言葉に詰まる。
そう言えば、決めていなかった……
「えっと……まだ、はっきりとは……」
すると護道の人は首を傾げた。
「ん? じゃあ、まだ営業の申請は出してないのか?」
「……え?」
その言葉に、思考が止まる。
「営業……申請?」
そう言えば、普通ある……よな……?
今まで気にしてなかったけど、誰からもそれらしいことは聞かなかった。
そう思ってちらりと周りを見ると、その言葉を聞いたブルーノさんやエーヴァルトさんに、ヴォルクさんやマルダさん、全員が「あ……」と同じような顔をしていた。
そして――
「……すっかり忘れてたねぇ」
と、マルダさんがそうこぼし、「悪かったねぇ、ハルヤ」と申し訳なさそうに謝ってくる。
どうやら、この第5エリア――職人街では、新しい工房や店が立つこともあるが、ほとんどは工房の継承手続きのみで済むため、すっかり忘れ去ってしまってたらしい。
うん、これは仕方ない。
俺も営業の許可のこととか、全然思いつかなかったし。
笑って、大丈夫だと伝え、明日、営業の申請をしに市政庁と商業ギルドに行くことにした。
次回:第28話「2人の店に」 9月10日(木)20:30公開です| ˙꒳˙)




