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AIと一緒に異世界で薬膳喫茶をオープンしてみました  作者: 西坂さそり


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第23話「共同井戸」

≪前回のあらすじ≫

 雨上がりの午後、仕立て工房で仮仕立ての服と完成した靴を試したハルヤは、その見事な職人技に驚く。そんな中、エリアナが織り残した布で服が仕立てられていたことを知る。

 職人たちの温かな想いに触れ、胸に温かさと痛みを抱きながら工房を後にした――


 仕立て工房から戻ったその日の夕方。

 夕食の支度を始めるには少し早い時間、マルダさんに呼ばれ、水場の外へと出ていた。


「さあ、今日は洗濯の準備をするよ」


「よろしくお願いします!」


 現代日本では洗濯機に任せるのが当たり前だった洗濯も、この世界では洗剤として、木灰(もくばい)液作りから始まる大仕事だ。

 エルにその話を聞いた時は驚いたけれど、実際に体験できるとなれば話は別で、興味の方が勝っていた。


 マルダさんは、大きな木桶の中へ麻袋を広げ、その中へ灰をどさどさと入れていく。


「これはかまどで出たのを溜めておいた広葉樹の木灰さ。針葉樹の灰よりこっちの方がガツンと汚れが落ちるんだよ」


「へぇ……」


 そう言いながら俺も手伝うが、加減が分からず思った以上に勢いよく入れてしまい、灰が舞い上がる。


「げほっ……」


「あんまり吸い込むんじゃないよ」


「す、すみません……」


 思わず咳き込む俺を見て、マルダさんが苦笑した。

 袋の半分くらいまで木灰を入れると、袋の口をしっかり縛る。

 その間に、庭では大鍋を吊るす台の下に、焚き火が組まれていた。

 マルダさんが火打石で火を起こし、大鍋いっぱいの水を沸かす。


 ぱちぱちと薪が爆ぜる音に、ぐらぐらと湯が沸き始める音が混ざりだす。

 どれも現代日本ではなかなか聞く機会のない音だった。


 お湯が沸くと、長い柄の付いた木桶で少しずつすくい上げ、木灰の入った桶へ注いでいく。


「重っ……!」


 腕が震える……なんてことはなかったが、木桶一杯でもかなり重い。

 しかも熱湯だ。

 慎重に運ばないと、火傷しかねない。


「無理しなくていいよ」


「は、はい……!」


 腕を動かすだけで、移動をしなくて済むのが救いか……

 それでも、ようやく全部移し終えた頃には、じんわり汗が滲んでいた。

 桶の中では、木灰がゆっくり湯に沈み、独特の灰色に濁っていく。


 俺が木灰の入った桶へ熱湯を注いでいる間、マルダさんは台所と外を往復して、夕食の準備を進めつつ俺の様子も見に来てくれていた。


「これで一晩置いておけば、明日には上澄み液ができるよ」


「思ってた以上に力仕事ですね……」


「そうだねぇ。毎週のことだから、そのうち慣れるさ」


 その何気ない一言に、俺は思わず遠い目になる。

 今回は、俺がこれをしたけど、今までは、この作業をしたあとに夕飯も作ってたんだよね……

 マルダさんに、そのことを尋ねれば、「まあね。ま、いつものことだから」と何てことないように言った。


 現代でも家事は大変だと思っていたけれど、この世界では比べものにならない。本当にすごい。

 心からそう思う。


 桶を眺めながら一息ついていると、ふと思い出したことがあった。


「あれ?」


「どうしたんだい?」


「マルダさん、今日の夕方にグレーテさんと話すって言ってませんでした?」


「ああ、済ませたよ」


「えっ?」


 俺は首を傾げる。

 工房を出てからそんな場面は見ていないけど、いつの間に済ませてたんだろう。


「ハルヤが着替えてた時さ」


「あっ……」


 そうだ、あの時――俺が試着スペースで着替えている時に、マルダさんとグレーテさんの話し声もしていた。

 ドーグさんがフリッツさんを揶揄って騒いでいる声の方が大きくて、2人が話している内容までは聞こえなかったけど、あの時にしてたのかな。


「洗濯の準備を始めるかって話だったんだよ」


「なるほど……」


「洗濯物は待ってくれないからね」


 そう言って笑うマルダさんに、俺も苦笑いするしかなかった。



    

 ――翌日。

 風の月の32日目で、堅幹の日。気付けば、この世界に来てもう一週間が経っていた。


 空は朝から厚い雲に覆われていた。

 朝食を済ませ、食器を片付け、畑の苗へ水をやる。

 そのいつもの一作業が済み、一息ついた頃、マルダさんが声を掛ける。



「それじゃあ、始めようかね」


「はい」


 これからするのは、昨日の洗濯作業の続きだ。

 水場から外へと出て、木灰液を作った桶を覗くと、灰は底へ沈み、上には透明に近い琥珀色の液体ができていた。


 これが木灰液――天然の洗剤だ。




 昨日の夜、俺は気になってエルへ質問していた。


『木灰でどうして洗濯ができる?』


 するとアイテムブックには、こんな説明が表示された。


『木灰を湯や水に浸すと、灰に含まれる炭酸カリウムなどの水溶性成分が溶け出し、液体は強いアルカリ性になります。

 このアルカリ性の液体は、衣類に付着した皮脂や油脂を加水分解し、脂肪酸へと変化させます。

 さらに、その脂肪酸が木灰中のアルカリ成分と反応することで、ごく少量の天然石けんが生成されます。

 この天然石けんが界面活性剤として働き、汚れを繊維から浮かせて洗い流しやすくします。

 また、アルカリ性そのものにも皮脂汚れを分解する作用があるため、石けんが少量でも十分な洗浄効果が得られます』


 なるほど。聞いたことはあったけれど、理屈まで考えたことはなかった。

 知識として知っているのと、実際に目の前で見るのでは全然違う。



 ――俺は昨日のエルの言葉を思い出しながら、木灰液を眺めていた。


「どうしたんだい?」


 さすがに、不思議そうな表情(かお)をするマルダさんに声をかけられ、慌てて答える。


「あ、いえ。すごい仕組みだなって」


「そうだねぇ、昔の人はよく考えたもんだよ」


 本当にその通りだ。

 文明が違えば、生活の知恵も変わる。

 昔の地球上でもしていた事だろうけど、異世界へ来てから、それを何度思っただろう。


 俺たちは柄杓を使い、上澄み液だけを昨日お湯を沸かすのに使った大鍋と、別の木桶の二つに移していく。

 底の灰が舞い上がらないよう慎重に。


 木灰液だけを取り分け終えると、今度は洗濯物を浸していく。


 布巾に、下着に、服――を入れようとしたところで、マルダさんから待ったがかかる。


「ちょい待ち、ハルヤ。色物の服は、浸けたら色落ちするよ」


「えっ、あ! すみません!」


 言われて気付く。

 そりゃそうだよな、強いアルカリ性なら確かに、実家の洗面所にあったあの強力な衣服用漂白剤みたいに色物厳禁だよな。

 よく見れば、マルダさんが持って来ていた洗濯物は全て白っぽい布類だけだ。

 色物のズボンは除けて、俺も白物の衣類だけを漬け込んでいく。



「これで昼まで一旦置いておくよ」


「浸けるだけじゃないんですね」


「このあとが本番さ」


 そう言うマルダさんは実に頼もしい。


「さ、次は昼飯と夕飯の食材の買い物だよ」


「あっ、そうか……」


 今日は朝のうちに、午前中に夕食も含めた食材の買い出しに行くと予定を教えてもらっていた。

 もう、買い物に行く時間になってしまっていたらしい。

 俺は思わず苦笑する。


 洗濯だけで午前中が終わるなんて、日本では考えたこともなかった。

 急いで台所へ戻り、必要な買い物かごやパックを持って、マルダさんと買い出しに出かけ、戻ると手分けして昼食を作る。

 慌ただしく食事を済ませ、片付けが終わると、今度は午後の洗濯作業が待っていた。


「さあ、ここから煮洗いをするよ」


「煮洗い……」


 言葉だけは聞いたことがある。

 でも実際に見るのは初めてだ。


 午前中に木灰液と洗濯物を移していた大鍋の下に薪をくべる。


 ごと、ごと、ごと……


 やがて火が回り、鍋の中から鈍い音が聞こえ始めた。

 しばらくすると、小さな泡が立ち始め、木灰液が静かに煮え始める。

 立ち上る湯気には、灰の独特な匂いが混じっていて、さらにその奥から、古い皮脂汚れが溶け出したような、何とも言えない匂いも漂ってくる。


「うっ……」


 く、くさい……


 思わず眉をしかめそうになる。

 隣を見ると、マルダさんは平然としていた。


「……慣れですか?」


「そうさねぇ。」


 そうあっさりと返ってくる。

 やっぱり慣れなんだ。


 ……いや、俺はあんまり慣れたくないな。


 心の中だけでそう呟く。


 時々、鍋の中をかき混ぜて、火が小さくなりはじめると薪の追加を繰り返す。

 臭いにおいに気分が悪くなりそうに感じながら、長い時間をどうにか耐える。


 ゴォォォン……

 ゴォォォン……


 そうしていると、街中へ6回目の鐘の音が響き渡る時間になっていた。

 最後の鐘が鳴り終わると、マルダさんは頷いた。


「そろそろ良いかね」


 火がしっかり付いている薪を火消し壺へ移し、鍋の火を落としていく。

 俺は鍋を見ながら尋ねた。


「これ、このあとどうするんですか?」


「今日はこのまま置いておくよ」


「え?」


「明日の午前中に共同井戸へ持って行って、叩き洗いさ」


 それを聞いて固まってしまった。


 せ、洗濯って3日仕事なのか……


 思わずそんな言葉が喉まで出かかったが、なんとか飲み込む。


「……分かりました」


 俺が頷くと、マルダさんはにっこり笑った。




 翌日、朝食を済ませると、俺たちは昨日の鍋のある外へ向かった。

 マルダさんから受け取った木の棒で洗濯物をすくい上げ、持ち手付きの木だらいへ移していく。

 液を軽く切っただけの布は、見た目以上に重い。


「うわっ……!」


 一枚一枚は布なのに、まとまると腕へずっしり重さが掛かった。

 一度では運び切れず、複数のたらいへ分けて運ぶ。

 何往復かしただけで額に汗が浮かんだ。


 毎週これをやるのか……



 一つ目のたらいを運んだ時は、共同井戸の洗い場は洗濯物の入ったたらいは少しあるくらいだったのが、最後のを運んだ時には、すでに何人もの女性たちが集まっていた。

 ポンプ井戸から水を出しながら、楽しそうに世間話をしている。

 その中に見覚えのある顔を見付けた。


「あっ、グレーテさん」


「あら、おはよう」


 グレーテさんの隣には、初めて見る背の高い女性が立っていた。

 淡い紫――ライラック色の髪に、年齢を重ねていてもなお分かる整った顔立ち。

 落ち着いた雰囲気の、とても綺麗な人だった。

 グレーテさんと隣の女性に挨拶をすると、マルダさんが笑顔で俺たちを紹介してくれる。


「ドーグから聞いてるだろうけど、この子はハルヤ。ゲンさんの孫だよ」


「初めまして」


 優雅に微笑まれ、俺も慌てて頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「……で、こっちはドーグの女房のアデーレさ」


 少し間のあったマルダさんの言葉に不思議に思って頭を上げると、みんな少し驚いたような顔をしていた。


 あ、しまった! 頭!

 この国では、挨拶の時に頭を下げるのは相手が貴族とか格上の場合、平民同士はしない。

 ――だけど、それに気付いて気にとどまったのは一瞬で、マルダさんの言葉に意識が全て持ってかれた。


 ……え? だって、ドーグさんの……奥さん?

 背も高くガタイが良くて、肌が色黒なせいもあって……あのぱっと見、厳ついというより熊を連想してしまうドーグさんだよ?

 いや、めちゃくちゃ失礼なことを思ってるのは分かってるけど……え??


 ドーグさんとアデーレさんが並んでいるところを想像して思わず固まる。

 美女と野獣にしか見えない……!


 ふと、我に返って、マルダさんたちを見ると、俺の様子に3人が不思議そうな顔をしていた。


「どうしたんだい?」


「えっ、あ……その……」


 さすがに顔に出てた!?

 なんて言おうか思考を巡らすが、何も浮かばず、ついて出たのは誤魔化しの効かない言葉。


「失礼なことを思ってしまって……」


 しどろもどろになる俺へ、グレーテさんが興味津々で近寄ってくる。


「なぁに? 何を思ったの?」


 逃げられない。

 ただ、どことなく楽しそうなグレーテさんに不思議に思いつつ、俺はグレーテさんの耳元へ顔を寄せ、小さな声で囁いた。


「……熊みたいなドーグさんに、こんな綺麗な人が奥さんだなんて思ってなくて……」


 一瞬の沈黙。

 だけど、次の瞬間。


「あははははっ!」


 グレーテさんが堪えきれず笑い出した。


「やっぱりそう思うよね!」


「え?」


「初めて二人を見た人は、だいたい驚くんだよ」


 グレーテさんだけじゃなく、聞こえてしまっていたのかアデーレさん本人もくすりと笑った。


「ドーグさんには内緒にしておいてくださいね?」


「はい……」


 その柔らかな笑みに、俺も思わず笑ってしまった。



     

 それからは本格的な洗濯が始まった。

 石の洗い台へ布を広げ棒で叩き、汚れが残っている場所は手でこすり、水で流す。

 一人では大変な作業も、人数がいれば不思議と苦にならない。

 楽しい会話をしながらだとなおさら。

 ここにいる大人はほとんどが女性だが、手伝いなのか若い男性もちらちらいて、周りには親の手伝いをしながら、手伝いに飽きた小さな子どもたちが遊んでいる。

 すごくにぎやかな時間だ。


 洗濯が終われば、今度は二人一組になって大きな布を絞る。


「せーの!」


 ぎゅうっと力を込めると、水が勢いよく流れ落ちた。

 干し場まで運ぶ時も、みんなで手分けする。

 広い物干し場には、白い布が風にはためいていた。

 気付けば昼の鐘が鳴っていた――


「終わったぁ……」


 思わず声が漏れる。

 洗濯だけで半日。

 想像以上の重労働だった……


 でも、不思議と嫌な疲れではない。

 井戸端で交わされる他愛もない会話に笑い声。そこに入り交じる近況報告。

 共同洗い場は、洗濯をする場所であると同時に、近所の主婦たちが交流する社交場でもあった。

 だからこそ、この町では大変な家事も、みんなで支え合って続けられているんだろうな。


 そんなことを考えていると、がさつく自分の手が目に入った。

 水で薄まったとは言っても、ゴム手袋もないこの世界で、直に木灰液に何度も触れた手が一度で荒れてしまうのは仕方のないこと。

 それでもちょっと不安に思ったところで、はたと気付く。


「あれ?」


 ずっとこの洗濯をしているはずのマルダさんやグレーテさんの手が、あかぎれもなくきれいだったことに思わず首を傾げる。

 すると、マルダさんやアデーレさんの近くにいたはずのアデーレさんがこっちに近づいてきていた。


「ハルヤさんも手を見せてね」


 ふわりと微笑み、やさしく手を取られる。

 きつめの印象を与えるつり目も、アデーレさんの雰囲気で全くそんな風には感じない。


「え? あ、はい……」


「終わった後に治しているんですよ」


 そう言うと、アデーレさんは俺の両手をそっと包んだ。

 淡い光が手を包み込む。

 じんわりと温かく、乾いていた指先が潤っていくような、不思議な感覚だった。


「これで大丈夫」


「あ、ありがとうございます」


 ――治癒魔法、なのかな。


 俺は思わず自分の手をじっと見つめる。

 木灰液でガサガサになってしまっていた手が、つっぱった感じもガサガサ感も消えてきれいになっている。

 そういえば、この前マルダさんにドーグさんの奥さんは生活魔法が使えるって聞いてたな。

 見た目の印象で吹っ飛んでたけど。



「ふふ、どういたしまして。私の魔法は大したことはできないけど、肌荒れを治すくらいは出来るのよ」


「それでもすごいです」


 うっかり、遠い目をしそうになるところで、アデーレさんの言葉で何とかとどまる。

 にこりと笑ったアデーレさんは次の人のところへ行ってしまった。

 まさか、ここにいる人たち全員の手荒れを治すのだろうか……?

 それは流石に大変なんじゃあ……と思って、マルダさんやグレーテさんに聞いたら、そうらしい。

 お人好しなグレーテさんは、この場にいる人たちの手を治していくもんだから、アデーレさんが洗濯する日をわざわざ確認に来る人もいるのだとか。

 それはちょっと大変なのでは……

 

 この世界で、ハンドクリームとかがあるのかは分からないけど、薬用クリームがあればいいのにと、勤務先だったドラッグストアのハンドクリームを揃えた棚を思い出す。

 手作りなんてしたことないけど、自分の分くらい作れないかな……なんて考える。




 はじめて、この世界で喫茶店以外の目標が出来た日だった――



次回:第24話「新たな出会い」 8,000字は超えてませんが、それなりに文字数が増えました…。

   8月13日(木)20:30公開です|ロ゜)

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