第21話「雨上がりの街」
≪前回のあらすじ≫
雨の日の朝、ハルヤは酒場の二階にある居住スペースの掃除を始める。
魔道ランプや床替えの風習に触れ、この世界にも確かな暮らしが息づいていることを改めて知った。
少しずつ整えられていく部屋は、やがてハルヤ自身の居場所へと変わろうとしていた――
3回の鐘が街に響いていた。
気が付けば、一刻近くも二階の掃除を続けていたみたいだ。
壁際に積まれていた小箱を動かしながら、ひとつひとつ埃を拭き取っていく。
やっぱり、使い捨ての埃取りシートが欲しいと思ってしまう。当たり前のように使い捨ててたけど、めちゃくちゃ贅沢なことだったんだなって、改めて思う。
粗方、埃を拭き終わると、ふうと息を吐いて一息ついた。
「思ったより物は少なかったですね」
「そうだねぇ。エリアナが元気だったときも物は多くなかったけど、その時と比べてもかなり少ないね」
雑巾がわりの古布をマルダさんが、バケツに汲んだ水で洗いながら話す。
床の埃を払って、家具の位置を確認する。
やっていることは単純だけど、物が少ないわりには、使われなくなっていた部屋を整えるのは思った以上に時間がかかった気がする。
あとは、ベッド回りくらいかな。
大したことしてないのに、地味に疲れた。
何気なく窓の外へ目を向けると、あることに気が付いた。
「あれ?」
「どうしたんだい?」
「雨、止んでます」
そう言うと、マルダさんも窓の外を見た。
本当だねぇ、と嬉しそうにマルダさんは目を細める。
昨日からずっと降っていた雨はいつの間にか止んで、重そうな灰色の空も少し明るくなっていた。
「丁度よかった」
「何か予定があったんですか?」
「肉を買い足したくてねぇ」
マルダさんは古布を畳みながら言った。
「夕飯用の肉もそうだけど、今日の昼用に干し肉をかなり出しちまってるからね。干し肉も買い足しときたいんだよ。昼飯のあとで馴染みの肉屋に行きたいと思っていてね」
「あ、それなら俺もご一緒していいですか?」
「もちろんさ」
マルダさんはあっさり頷く。
「その内覚えるだろうけど、店をやるなら、どこにどんな店があるか知っといた方がいいだろう?」
「ありがとうございます。助かります!」
本当は、少しでも文字が分かるようになってるか試したかっただけなんだけど……
言われてみれば、マルダさんの言う通りだ。
仕入れたり、備品を買ったりするようになるだろうから、少しでも道も店も覚えておいた方がいいよな。
この数日、ヴォルクさんと一緒に出掛けてから、マルダさんに付いて何度か第3エリア――商業街の一つに行っているけど、どんな店がどこにあるのか……まだ知らないことの方が圧倒的に多い。
案内してもらえるうちに、できる限り一緒に行かせてもらおう。
掃除の続きに取り掛かるために、俺はタペストリーで区切られた奥側の部屋――ベッドの方へと近づいた。
積もった埃の塊をほうきで掃き、ちりとりで取ってく。
とは言っても、ほうきは硬い枝を丸く束ねたような――いわゆる魔女のようなほうきで、ちりとりは先が使われている木材の厚みのままで、薄くなっていない。
学校の掃除の時を思い出すけど、ちりとりで取り切れないゴミが、学校で使っていたちりとりの比じゃなくて、もどかしい……。
――どころじゃない。はっきり言って、埃の塊以外取れないんだけど。
これ、エルにほうきだけでもどうにかならないか聞きたいけど、マルダさんもいるところでは聞けないし……。また夜にでもノートに書いて聞こうかな。
ちりとりは、エーヴァルトさんに相談したら先端だけでもどうにか薄くしてもらえないかな、って思ったけど、窓代の銀貨100枚を思い出して、それはまたにすることにした。
「ん? これ、何だ?」
ぐるっとベッドの周りの埃を掃き出していると、ベッドで死角になっていた場所に、大きな布が被せてある物があった。
埃を被った布をそろ~っと除けるが、結局埃が立ってせき込んでしまう。
ま、マスク代わりの布とか、口に巻いておけばよかった……。
布で隠されていたのは、棺くらいの大きさのある木製の箱。
蓋が平らになっていて、その上に麻紐が付けられた鍵が置いてある。
マルダさんに聞いてみたらわかるかな?
「……あの、マルダさん!」
「ん? どうしたんだい、ハルヤ?」
汚れた水を捨てに行っていたマルダさんが部屋に戻ってきたタイミングで呼ぶと、マルダさんが部屋の奥まで来てくれる。
「この大きい箱って、何か知ってますか?」
「おや、ここに置いてたんだね……これはこの辺じゃあ、“トルヘ”と言って、お金とか、厚手の高価な服とかを入れて保管する箱だよ。」
木箱を見たマルダさんが教えてくれる。それから、箱の上に乗せてある鍵を指さす。
「貴重品を入れるからね。その鍵で、トルヘの鍵を掛けて、鍵の保管場所か肌身離さず持つかするんだけど……トルヘと一緒に置いたってことは、ゲンさん、最初から戻るつもりはなかったのかねえ……」
そうこぼすマルダさんは、少し寂しそうに見える。
「……そう……なんですね……」
俺はなんて言っていいのか分からず、そう頷くしかできなかった――
大きい木箱――トルへを開けてみると、中に入っていたのは、大きなタペストリー1枚と、丈の長い外套が1着入っていた。
マルダさんと話して、そのタペストリーもしっかり晴れた日に広げて風を通すことになった。湿気が残ると傷むらしい。
掃除が終わる頃には、部屋は十分過ごせそうと思えるくらいにはこざっぱりしていた。
窓を閉め、マルダさんと一階へ降りると、掛けていた濡れた外套を持って酒場から出る。
あ、取り切れなかったゴミは、結局、階段のところまで意地で掃き出して、段差を利用して何とか取った。
細かいゴミを広げた気がしなくもないけど――
「おーい!」
酒場の出入り口の扉を閉めて鍵を掛けていると、少し離れたところから呼びかける声がした。
振り返ると、大きく手を振りながら近付いてくる男性が一人。
明るい茶髪に白髪が混じり、笑い皺の目立つ人懐っこい顔には覚えがあった。
ヴォルクさんと一緒に出かけた日に、服の仕立てを頼んだ工房の親方のフリッツさんだ。
「フリッツさん」
「おう!」
フリッツさんは前に会った時と変わらず明るく笑いかけてくれる。
「ここで会えて良かったな」
「何かありました?」
仕上げに入る前に声を掛けるとは言っていたけど、さすがに一週間どころか、まだ4日くらいしか経っていない。
しかも昨日は休日で、仕事もしたらいけない日だったはず……となると、3日……いくらなんでも、仕上げの話じゃないな、と思っていたのだが――
「仮仕立てが出来たぞ」
「えっ!?」
まさかの仮仕立てが終わった知らせで、びっくりした。
思わず声が漏れたのは仕方ないと思う。
だって、めちゃくちゃ早くないか!?
いや、服がどれくらいで出来るかなんて知らないけどさ!
「もうですか?」
「採寸が終わってりゃ早いもんさ」
フリッツさんは楽しそうに、にやりと笑う。
「一度合わせたいからな。都合のいい時に工房へ来てくれ」
「今日でも大丈夫ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、今日の午後に伺います」
「おう、待ってるぞ」
満足そうに頷くと、フリッツさんはひらひらと手を振った。
「じゃあな!」
そして来た時と同じ勢いで去って行く。
本当に仕事が早い。
その背中を見送りながら、感嘆してしまった。
マルダさんの家に戻ると、いつも通りに昼食の準備に取りかかる。
取り掛かった時間がいつもより早かったのか、お昼の鐘が鳴る頃にはほとんどの料理が完成していた。
工房の人達に手伝ってもらう必要もなく、工房の人達が来て揃うと、そのまま皆で食卓を囲む。
温かな食事と賑やかな会話。
最近ではそれも当たり前になりつつあった。
雨が上がったおかげか、家の中の空気もどこか明るかった。
昼食も終わり、午後一番にマルダさんと第3エリアの肉屋へ向かった。
肉屋の店先には大きな塊肉が並んでいて、燻製肉や干し肉も吊るされている。
マルダさんは慣れた様子で注文を済ませていく。
「これと、あと干し肉を少し追加でね」
「毎度あり」
マルダさんが店主と雑談も交えながら注文をしているのを横で眺めつつ、据え付けのスレートにある、値段と思われる手書きの文字をじっと見る。が……
――だめだ、さっぱり分からん!
昨日練習していて知ったが、この国の数字は、英数字と違って、文字の上に横線を入れることで数字を表す。
英数字のように同じ文字を並べて、桁を表すならいいけど、1も10も100も1000さえも使う文字が違う……
それぞれが、一文字で表していて、数字が分かるようになるにも一苦労だ。
金額でも必要だし、何より簡単だろうからまずは数字を覚えればいいだろうと取り組んだものの、一筋縄ではいきそうにないことが、ここに来てなおのこと分かった。
何が、って……手書きだからか、字の癖もあって同じ字に見えない。
いや、もしかしたら俺が覚えられていない桁の数字なのかも……
俺は当分の間は数字を表す文字の練習に集中しようと心に決め、マルダさんが肉屋の店主に別れの挨拶をした時に、俺も店主に挨拶をして肉屋を後にした。
マルダさんが買った肉を半分受け取り、一度見上げると、空模様もかなり変わっていた。
灰色の雲は少しずつ流れ、白い雲と青空が顔を覗かせている。
「このまま晴れてくれるといいねぇ」
「そうですね」
同じように空を見上げていたマルダさんの言葉に同意する。
雨上がりの空気はひんやりとしていて心地良かった。
第5エリアへ戻り、マルダさんの家に向かう道すがら、近くの共有井戸の周囲に、何人か女性達が集まって話しているのが見えた。
「あれ? もしかして、グレーテさん?」
その中に見覚えのある顔がある。
仕立て工房で会った女性、フリッツさんの奥さんだ。
「ああ、グレーテだね」
マルダさんが手を振って、グレーテさんに呼びかける。
「グレーテー!」
「? マルダ!」
こちらを振り向き、呼びかけた人がマルダさんだと分かると、グレーテさんは柔らかな笑みを浮かべて近付いてくる。
「何か集まってたんですか?」
グレーテさんに尋ねると、少し笑って教えてくれる。
「明日の洗濯の相談だよ」
「洗濯?」
「ええ」
グレーテさんは頷いた後、空を見上げる。
「いつもなら明日は洗濯をするんだけどね……今日みたいな雨の翌日は、天気が不安定なことも多いから、洗濯を明日するのか先に延ばすか話し合っていたのよ」
なるほど……前に堅幹の日に雨が降ったら洗濯もずれ込むって聞いてたけど、こうやってご近所で話し合ってたんだ。
洗濯物は天気に大きく左右されるから、主婦達にとっては大事な問題なのだろう。
もちろん、俺にとってもだ。正直、毎日……とはいかなくても、数日ごとには洗いたい、というのが本音だ。
「とりあえず、準備だけはしておこうって話になったところだよ」
「そうだねぇ」
グレーテさんの話にマルダさんも頷く。
「このまま晴れそうだしね」
「夕方にもう一度集まろうか」
「そうしよう」
そんな2人のやり取りを聞きながら、日本にいた時のことを思い浮かべる。
日本に居た頃でも天気の話はよくしてたけど、天気予報で翌日の天気なんてすぐに分かる。
けれど、ここではそんな便利なものも技術もまだなくて、近所同士で話し合って決めているみたいだ。
話がまとまると、グレーテさんがふと思い出したように、俺に話を振ってきた。
「そういえばハルヤ、フリッツから聞いたと思うんだけど、」
「えっと、仮仕立ての件ですか?」
「ええ」
グレーテさんは頷いた。
「このあと工房へ来る予定で良かったかしら?」
「はい。ちょうど向かおうと思ってました」
「それなら一緒に行きましょうか」
思いがけない申し出だった。
「いいんですか?」
「もちろん」
柔らかな笑顔はどこかマルダさんにも似ている。
「私も工房へ戻るところだから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺がグレーテさんに軽く頭を下げて、話が終わると、マルダさんは俺が持っていた分の肉を見て「じゃあ、それは預かろうかね」と言って、俺から肉を受け取ると荷物を持ち直した。
「じゃあ、あたしは一度家に戻るよ」
マルダさんは、「夕飯までこれを放っとくわけにもいかないからね」と笑い、そしてグレーテさんと俺を見て言った。
「あとからあたしも行くからね」
「はい」
「分かったわ」
その言葉に俺とグレーテさんは頷く。
マルダさんは両手に肉を入れたカゴを抱え、家の方へ戻っていった。
「では、私たちも行きましょうか」
「はい」
雨上がりの石畳はまだ少し湿っている。
けれど空は明るく、雲の切れ間から差し込む陽光が街並みを照らしていた。
職人達の声が聞こえ、金槌の音が響く。
工房や店の先で、さっき見たように女性たちの話し合う姿もあった。
そんな景色を眺めながら、今度はグレーテさんと並んで仕立て工房へ向かった。
次回:第22話「職人たちの贈り物」 7月30日(木)20:30公開です||ωΘ)..




