第20話「二階の部屋」
≪前回のあらすじ≫
誕生月を知らないという異世界人ならではの不安も、この世界では珍しいことではなかった。
雨音に包まれた静かな休日の中で、ハルヤはヴォルクたちとの暮らしに安らぎを見出していく。
不確かな未来の中にも、確かな居場所が生まれ始めていた――
翌朝、目を覚ますと、最初に耳へ届いたのは雨音だった。
静かな雨で、窓を叩くほど強くもなく、嵐のように荒々しくもない。
ただ、しとしとと、石畳や屋根を濡らし続ける優しい雨。
布団の中でぼんやりと耳を澄ます。
日本にいた頃も、雨の音は嫌いじゃなかった。
いや、むしろ好きだったかもしれない。
雨の日って、少しだけ世界が静かになる気がする。
外へ出る人も減るし、車の音も遠くなる。
――まあ、こっちには車なんてないんだけど。
でも、静けさは同じだ。
目を擦りながら起き上がり、鎧戸を開けると窓の外は灰色だった。
少し前に、おぼろげに鐘の音が聞こえたはずなのに、どんよりと薄暗い。
どうやら雨は夜の間も降り続いていたらしい。
寝ぼけたままだった頭で、昨日より遅い起床に気付き、慌てて着替えを済ませて一階へ降りると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おや、おはよう」
ヴォルクさんだけでなく、いつもなら市場に出かけているはずのマルダさんも朝食の準備をしていた。
「遅くなって、すみません」
どれだけのんびりしてしまっていたのかと、すぐ二人に謝るが、ヴォルクさんには「気にするな」と言われ、マルダさんには「よく眠れたかい?」を聞かれてしまった。
そして、テーブルの上を見た俺は目を丸くした。
「パン……?」
焼き立てだったのか、まだほんのり湯気が立っている、こんがりと焼き色のついた丸いパン。
確か、昨日の昼間に聞いた話では、今日は市場へパンを買いに行く予定だったはずだけど……
不思議そうな俺に、マルダさんが笑った。
「雨だったからねぇ。昨夜のうちに生地を仕込んでおいたのさ」
「で、焼いた」
短く答えたのはヴォルクさんだ。
確かに俺も日本にいた頃、雨が降ったら買い物はせずに、あるもので済ませることもあった。でもそれは、冷蔵庫やレトルト食品があるから出来ることで――マルダさんは毎日、朝市にその日の食材を買いに行っていたはず……
俺の不思議に思っていることが何となく分かったのか、マルダさんが教えてくれた。
雨の日は、みんな目的の物をさっと買って急いで家に帰るから、いつもより市場がごった返して店を行き来するのも大変らしい。
それで、買わなくて済むものはなるべく買わず、必要最低限の買い物して帰ってきたのだと。
それを聞いて恐縮してしまった。
俺が惰眠をむさぼっている間に、マルダさんは雨の中、買い物に行って帰ってきてるんだもんな……
「す、すみません……」
マルダさんは、「何がだい?」と首を傾げていたが、俺は申し訳なさでいっぱいだった。
少し蒸し暑いように感じていたけど、雨の中、買い物をしたマルダさんの体は、もしかしたら冷えているかもしれない……と、この二日ですっかりハーブティーを淹れるのが日課になった俺は、今日のハーブティーに乾姜を入れることにした。
あと、マルダさんが買ってきたっていう香草の種類も量も、いつもより多いのは気のせいじゃないよな……?
ちなみに、今日の朝食のメニューは、具沢山のスープをメインにして、少しの焼いたお肉と焼きたてのパンだった。美味しかった。
昨日のまったりとした食事の時間が嘘のように、パパッと朝食を終えると、ヴォルクさんはいつも通り工房へ移動した。
「ハルヤは今日、どうするんだい?」
あらかた片付けも終わり、マルダさんは昼食用の食材をチェックしながら俺に聞いてきた。
少し前に鐘が2回鳴っていたのを聞いたから、昨日のまったり具合を考えると、平日の動きはスピーディーだ。
「……酒場の二階を掃除したいです」
俺は少し考えてから、マルダさんに答えた。
一階の店はだいぶきれいになったから、あとは窓の工事が終わってからだと思ってる。
となると次は、ずっと気になっていた二階の居住スペースを整えたい。
まだ手を付けていない、あの広い部屋。あそこを綺麗にしたい。
「そうかい。なら、手伝うよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
マルダさんに助けてもらってばかりで申し訳なさはあるのだが、掃除中にマルダさんに確認したいことも出てくる可能性があるから、正直、この申し出は嬉しい。
実際、酒場だった一階を片付けている時がそうだった。エルに聞いて解決することもあるけど、王都の人たちが実際にはどうしているのかとかは、細かいところまではエルにも分からなかった。エルの情報は文字化されていることが大前提らしい。
俺たちは外套を羽織って、雨の中、酒場へ向かった。
一昨日は晴れていて暑いくらいだったのに、今は、石畳は濡れて、空気は少し冷たいくらいだ。でも、このひんやりとした空気は嫌じゃない。
雨の日の王都は、晴れの日より静かだった。
行き交う人も少なくて、遠くから聞こえるのは車輪の音と話し声だけ。
雨の日の街って、なんだかいつもより少し小さく感じるな。
酒場に着いて、マルダさんが暖炉の近くの壁にあった木製の杭に外套を引っかけるのを見て、俺もそれにならう。
そのまま二階へ上がり、廊下の一番手前にあった扉のドアノブに触れ、開く。
広い部屋のわりに、窓が垂れ壁とタペストリーの掛けてある奥側にしかなく、天気の悪さも相まって、思っていた以上に暗かった。
中央に置かれたテーブルや椅子とかの家具にぶつからないように気を付けつつ、垂れ壁の奥の部屋にある鎧戸を開ける。風はあるけど、風向きが良かったのか雨が降り込む様子はなかった。
これで少しは明るくなったかな。
部屋を見渡せば、一見きれいなようだった部屋にも埃がそれなりに積もっているのが分かった。
「あれ? マルダさん、それは?」
部屋を見渡していると、部屋の角にあるチェストの近くでマルダさんが、丸っこい何かを持っていた。
マルダさんはそれを、持っていた布で埃を拭き取りながら中央のテーブルに近づいていく。
「これかい? ふふ、見たら驚くよ……」
ついたらいいんだけど……と、マルダさんの独り言が聞こえたと思ったら、マルダさんが持っていた球体が光った――
「……えっ!? これって、まさか“ライト”!!?」
マルダさんが、持っていた物――明るく光る、丸いランプのような形をしたスタンドライトと言えるようなもので……。しかもそれが、透明な硝子ではなく、青を基調にした、シーグラスを繋げ合わせたようなおしゃれな見た目をしている。下に広がるような形の土台部分も、細部の装飾が華やかで、とてもじゃないが安物には見えない。それこそ、貴族の部屋で見かけるなら納得できるが、間違っても、酒場の店主の居住スペースにあるような代物には思えなかった。
それに何より明るい――蛍光灯やLEDライトと同じくらい――
「おや、“ライト”かい?……ふふ、確かに明るさは似てるが、これは『魔道ランプ』だよ」
俺の言った言葉に少し驚いた様子を見せたマルダさんは、『魔道ランプ』をテーブルに置いて教えてくれた。ただ、俺はさらに続いたマルダさんの言葉に驚く。
「それにしても生活魔法の“ライト”を知ってるなんて、ハルヤ、あんた魔法が使えるのかい?」
「えっ!? ま、魔法!? とんでもないです! 俺は魔法なんて使えませんよ!」
俺は慌てて、手と頭をぶんぶんと横に振る。
その様子がおかしかったのか、マルダさんはおかしそうに笑っていた。
だけど、「まぁ、あたしも自分が使えるわけじゃないからねぇ」と続いた言葉に、今度は首を傾げた。
そういえば、もしマルダさんやヴォルクさんが魔法の“ライト”が使えるなら、オイルランプを使う必要はないはず。第一、2人が魔法を使っているところを見たことがない。
そう考えると気になってしまって、俺はつい聞いてしまっていた。
「誰か知り合いに魔法が使える人がいるんですか?」
「職人街だと人数は多くないけど、一番身近なのはアデーレだね」
マルダさんは、世間話をするように気軽に教えてくれる。
確か、エルが前に教えてくれた内容だと、使える人はそう多くなかったはずだから、もっと特別感があるのかと思ってたけど、そうでもないのかな?
そう不思議に思いつつ、アデーレという人が誰なのか分からず、聞き返す。
「アデーレ……さん、って?」
この数日でいろんな人に会ったけど、記憶を辿ってもアデーレという人はいなかったと思う。
するとマルダさんが「服と靴を仕立ててもらってるって言ったね。靴はドーグのとこかい?」と聞いてきた。そうだと頷けば――
「アデーレはドーグの奥さんだよ。彼女は生活魔法が使えるのさ」
「そうなんですね」
魔法への憧れもあって、「いつか会ってみたいな~」なんて思いながら、明るくなった部屋の掃除に取り掛かる。
あとになって、魔道ランプをゲンラートさんが持っていた理由が気になり、その魔道ランプにまつわる話を聞いた時は、貴族のやることに頭を抱えた。いや、貴族というよりその人が特殊だった、と思いたい。まぁ、その話についてはまた今度。
マルダさんと、埃をはたいたり掃いたりして掃除をしていると、何度も目を引いた、タペストリーの奥側に置かれたベッドだった。
最初に見つけた寝室にあったベッドとは違い、ちょっと広めのベッド。
布団をはぐれば、毛布が何枚も重ねられている。
そして、一番上に掛けてある布は、色とりどりの布を縫い合わせた厚手のもの。
「きれい……」
思わず声が漏れる。
埃を被っていて、少し灰色っぽく見えるが、ただ様々な色の布が縫い合わせてあるだけじゃなく、部分的に花や鳥の刺繍が施されていた。
雨で、外に干したり埃をはたいたりできないのが残念だ。
じっと上に掛けてある布を見ていると、マルダさんが懐かしそうに教えてくれた。
「それ、エリアナが縫った上掛けだよ」
「……この刺繍も……?」
「そうさ。昔はよく、おしゃべりしながら上掛けを縫ったり、生地を織ったりしたもんさ……」
マルダさんが、エリアナさんが縫ったという上掛けの刺繍をひと撫でして、窓の外を見て小さなため息を一つ。もしかしたら、マルダさんも同じことを考えたのかもしれない。
「……ここ、綺麗にできたら……ここで寝ようかなって思ってます」
少し続いた沈黙のあと、俺はそう伝えていた。
今借りている部屋も十分ありがたい。でも、もともと一人で暮らすつもりだったし、この部屋を見つけた時からそうしようと思っていた。
俺の言葉に、マルダさんは俺の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「それなら、実の月の床替えが済んでからの方がいいねぇ」
「床替え?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「ああ。ベッドの中身を全部新しい藁に替えるんだよ」
――藁。
そういえば、この世界のベッドは藁の敷き袋だった。
今の部屋を借りた初日、横になると何となくチクチクするし、寝返りを打つとカサカサ鳴る音に落ち着かなくて、マットレス代わりの大きな布袋の口を覗いてみたら、ぎっしりと藁が詰まっていて驚いたのを思い出す。一週間くらいしか経ってないのに、ずいぶん前のように感じてしまう。
ちょっと気が遠くなり始めたが、マルダさんの話に引き戻される。
「一年で一番大きな手入れさ。収穫が終わった頃に、新しい藁へ入れ替えるんだよ」
「へぇ……」
ベッドのメンテナンスか。
考えたこともなかったな。
現代日本なら敷布団かマットレスだし、干せなかったら除菌ミストを使ってた。
藁を見るのだって、しめ縄くらいだったし。
でも、この世界は、当たり前だけど現代日本と違ってて、藁も生活用品なんだ。
「その床替えはいつなんですか?」
俺は、その床替えの時期が気になって尋ねた。
「来月末だねぇ。街中でやる大仕事さ」
「街中で?」
「そうさ。あちこちで古い藁を出して、新しい藁へ替えるんだよ」
なるほど、季節行事みたいなものなんだ。
こういう話を聞く度に思う。
異世界って、ちゃんと暮らしてるんだなって。
魔法があって、
神話の絵本通りなら、生命の樹があって、
ドラゴンもいるかもしれなくて……
でも、その一方で、人は藁を替え、布を織り、パンを焼いて生きている。
当たり前の生活がある。
それが何だか嬉しかった。
俺は片手に持っていたほうきを両手で握る。
――まずは掃除だ!
この部屋を綺麗にしよう。
少しずつ……本当に少しずつだけど。
俺の居場所を作っていこう。
窓の外では、まだ静かに雨が降っていた。
次回:第21話「雨上がりの街」 7月23日(木)20:30公開です| 'ע )




